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高速バスは東京を出て行く 20220917

まだ暑さの残る9月。
台風が迫っている。

高速バスに乗る機会があった。
乗用車に乗るのはなんだかおっかなくて苦手なのだが、高速バスは別だ。
この躯体であれば多少の物理的衝突も吹き飛ばしてくれそうだという安心感がある。
また座席からの眺めは周囲の殆どの車を見下ろす。
事故を前提に物を語るのもあまり良い事ではないだろうが、敢えて実直に語るのなら高速バスは勝てそうなのだ。
例え事故に巻き込まれても高速バスは負けない。
その様な思い込みを伴って走るので俺は高速バスが好きであり、安心して乗る事ができる。

しかしまあ東京駅から出て行く高速バスは眺めが良い。
杉並区に住む自分にとって東側の東京がこの様に構成されているのだとパノラマの景色で知ることができる。
スカイツリーのふざけた存在感が2020年代においても尚新鮮である事が馬鹿らしくもあり、ほんの少しだけ気持ちが良い。
こうした気持ちの良さはなんだかうすらと危険だと察しながらも、背徳感と共に味わう快感が消えない。
大局的に物事を考えればスカイツリーという公共物は市民の所有物ではない。寧ろ公共の名の下に多額の税金が投入されたのだから、我々はこの高い塔を利用している様で最初からこの塔に見下ろされているのだ。
この倒錯した価値観が"みんな"とか、"国"とか、"国民"とか、"日本人"というそれはそれはフワッとした共有人格に回収される事で我々はこの東京に帰属する。

スカイツリーが見えなくなる頃、徐々に目に入る高層建築物は商用から住居棟に移り変わっていく。
あのおびただしい窓の一つ一つに生活がある事を想像する。
とても理解が追いつかない。
己の想像力の限界をいとも簡単に思い知る。

さらに都心を離れると開発地や大型の倉庫や工場が並ぶ。
FF7に登場する都市ミッドガルの様にそれは無骨で厳つくそして何故だか少し幻想的だ。
自信が学んできたファンタジーは魔法や妖精ばかりではない。とても人工的で機械に彩られたその街もまた、一つのファンタジーなのだろう。
ともかく非日常的なその景色に少しばかり心が躍る。

やがて工業地帯を抜けるといよいよ都心とは相まみえる事のない自然が広がる。
俺は自然に囲まれた環境が苦手なので心が踊らなくなる。
設計図通り、秩序立てられた工業地帯の方がよほど想像の範囲内であって、混沌の如く生える木々や草の方が想像を超えてきそうな物なのに何故だかワクワクしないのだ。
これは性癖の問題かも知れない。
人の言う事など一つも聞かない雑草の乱雑さには面白みよりも面倒臭さを感じる。

こんな事を書いているうちにどこだか分からない所まで進んできてしまった。
目的地に着くまでに少しだけ眠る事にする。
障壁越しに見えるラブホテルの背中が妙に煌びやかだ。
眠りの妨げになる。

今日はここまで。

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