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男性を好きになれない自分

捻くれているのかもしれませんが。


私は子供の頃に目の前で半分血の繋がった赤ちゃんを抱えてる知らない女の人が怒鳴ってる姿を見ました。
いわゆる不倫現場です。
小学校3年生で物心ついてから初めて会った血の繋がった男性。
結婚をする。そう語っていました。
お父さんになってくれる。そう言っていました。
ですが小学校4年生でその存在は呆気なく消えました。

さて、その前置きを置いて話を変えますが
最近の世の中では多様性という言葉が重要視されているかと思います。
LGBTQもその一種ですね。

LGBTQの括りとして“アロマンティック”という恋愛的指向があります。
なかなか聞かない言葉かと思います。
簡単に言えば『恋愛感情は抱かない人』です。
アセクシュアルといった言い方もありますが
性的欲求を持つ人と持たない人という違いがあります。
私は女性としての欲求はあるが恋愛感情を持たない“アロマンティック”の人の考え方を持っています。

人は皆、誰かを好きになるもの。
好きになれないのは心が冷たいから
そんな言葉をかけられたこともありました。

自分自身でも人を好きになれないことに疑問を抱くことがありました。
なぜなのか。前置きの思い出が頭を過りました。

何か1つでも当てはまって自分自身が分からなくなっている方へ、そして私自身へ。
自信が無くなってしまった時に読み返せるように記してみたいと思います。

物心ついて初めて父親と出会った8歳

平穏な毎日を送っていたとある日です。
いつものように学校から家に帰るため道を歩いていると
1台の車が目に止まりました。
こちらをじっと見つめる強面の運転手。
私はこわくなって足早に家へと帰りました。

「ちょっとお出かけしようか」

母がそう私に話しかけてきました。
なんの躊躇いもなくついていくと見覚えのある車が。
さっき見たこわい運転手の車だ。そう思いました。
乗るように促され、母と一緒に警戒しながら乗ると
「この人はね、あなたのお父さんなの」
そう母に言われました。

当時はなんのことか分かっていなかったので
自分にもお父さんが居たんだな~くらいの感覚でした。
大人になってみると8年間も姿を見せなかった血縁関係のある父親が急に現れてそれを紹介される。
なかなかインパクトのある思い出だなと感じます。

インパクトのある出来事はその後も続きました。

酒癖の悪さと母への暴力

お父さんになるはずだったその人は
料理は上手でしたが酒癖がかなり悪い人でした。

よく家に行くようになり料理を振る舞ってもらい
美味しいご飯も食べさせてもらいましたが
夜お酒を飲んで酔うと暴力的になりました。

その標的は私ではなく母でした。
忘れもしません。目の前で母を叩き髪を掴み
私を見ては「こんな父親は嫌だろう」と言いました。
ここで嫌だと言ったら自分も殴られる。
そう思うと声も出ずにただただ怯えていたのを覚えています。

あんまり酷くなると夜にコソコソと二人で抜け出して
実家に帰ることもありました。
その度にもうあの人の家に行くのはやめようと言いましたが聞いてくれませんでした。
洗脳と同情。母はそんな状態だったと思います。

元々がそういう人だったんでしょう。
母は祖父母に隠れてその人に会っていました。
「どこに行くのと聞かれても嘘を吐いてね」
そう言われてから私は嘘を吐き続けました。
まあ気付いてはいたと思います。
それでも帰ってきてくれるからと祖父母は何も言わずにいたんだと思っています。

このまま嘘を吐き続けなきゃいけないのかな
そう思い続けて1年ほど経った頃、ようやく父親になるはずだったその人が祖父母と話したいと言い出しました。

口は上手いんでしょう。
祖父母と話したその人は結婚の許可を貰いました。

ですがやはり、そう簡単にいくことではありませんね。

赤ちゃんを抱えた女の人

とある日です。

結婚の許可も貰い、その人の家に行きやすくなり
その頃には酒癖も少しずつ落ち着いてきていて
その日もいつも通りご飯を食べ終わって三人でテレビを見ていました。

まるでドラマで見る借金の取り立てかのようにドアを叩く音が急に聞こえてきました。
もうその時にはその人も気付いていたとは思います。
不思議なくらいに冷静に、観念したかのようにドアを開けました。

すると女の人が物凄い形相で怒鳴り込んできました。
その頃の私の年齢じゃなんのことか分かりませんが
赤ちゃんを抱えて「この人は私の婚約者なのよ!」と叫ぶ女の人を見てこれは不倫現場なんだなということだけは分かりました。

母には寝ていなさいとだけ言われました。
隣の部屋に行き、その後にどんな話をしていたのかは分かりません。

人間、ショックが最大限に達すると無になるんだなとその時知りました。
自分でも不思議なくらい、いつも通り眠りについていたのを覚えています。

アロマンティック

以上が私の振り返りです。

ただ、小学生にして不倫現場に居合わせてしまったその後は
案外普通に過ごして高校卒業までなんのトラブルも無く今に至ります。

お付き合いした方も居ました。
ほとんど1ヶ月程で別れを切り出してしまいましたが。

好きと言われれば好きになれるかも。
そう思い相手が喜ぶことをするように努めましたが、
どうせいつか捨てられる。そんな風に考えてしまって今も尚、その考え方は変わりません。
多分この先も変わらないかもしれません。

私が伝えたいのはそんな考え方も1つの指向であるという言葉です。

冒頭でもお伝えした通り、多様性という言葉に重きを置かれる時代です。
アロマンティックという指向を見つけて、男性を信用できずに恋愛感情を持てないことを何が悪いんだ、と思うようになりました。

未だにまだ結婚はしないのかなどと家族や周りに言われる方もいらっしゃるかもしれません。

でも自分の人生は自分で決めるものです。
そこは強気になっていいところだと思います。
『まあこんな人もいるなら自分の恋愛観だって間違ってないだろ』
そんな風に思ってもらえたら
これを書いたかいがあります。

また読み返すであろう自分の励みのためにも。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

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