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【牧師エッセイ】アンパンマンとイエス・キリスト

最近娘が大好きなおもちゃの一つに、アンパンマンのぬいぐるみがあります。
今の姿のアンパンマンを原作者やなせたかし氏が登場させたのは1973年の幼児向け絵本が初出でしたが、実はそれに先駆け、青年向けの物語としてアンパンマンが登場していたことはご存知でしょうか。

その時のアンパンマンはまだ人間の姿をしていました。
世界中で飢え渇いている人のところへとやってきて、自分のマントから「自分の大事なもの」として食べ物を差し出していくのです。
既にこの時点で今のアンパンマンの骨子が整えられていますが、注目したいのはこのパンが「自分の大事なもの」だということです。
この点は自らの顔をちぎって分け与える現在のアンパンマンのデザインに昇華されていますが、アンパンマンは有り余って余裕あるものから分け与えているのではなく、自らも「大事なもの」を手放す痛みを負いながらも、目の前で困っている人のためにすすんで分かち合っていくという姿として、描かれているのです。

アンパンマンは顔を取り換えることを自分からは決して求めません(見た限りでは)。
あくまでパン工場のジャムおじさんたちから新しい頭を投げてもらえるまでは、どんなに頭のパンが減っても濡れても、自分からは催促したりしないのです。
これらの姿は、イエス・キリストがあくまで神様から委ねられた力として人々に様々な助けを与える姿と重なるものがあります。

イエス・キリストもまた、ついには自分にとって最も大事であったはずのその命をも私たちの救いのために差し出してくださいました。
私たちもまた、その命を信じて受けるからこそ、キリストと同じく、大事なものを分かち合う愛へと送り出されています。
やなせたかしはアンパンマンの主題歌にその思いを込めているのです。

──「♪アンパンマンは君さ」。

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