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「君の名は。」名も知らぬ小人を「オシント」で情報分析した結果【前編】

街中を散歩をしながら、ふと「気になる小人」を発見しました。
マスクの是非はさておき、こういうご時世の中でも
「笑いやユーモアを大切にする姿勢」というのは大事だと感じます。
彼がマスクを外して、住人を出迎える日はいつ来るのでしょうか?

さて、本来であれば「面白いものが見れたから良し」とするところ、
この日は去り際にふつふつと疑問が湧いてきました。

「この小人の名前って、なんだろう?」

君の名は?

一目見たときに、私は直感的に『白雪姫』の小人だと思いました。それは、私が小さい頃からディズニー映画に何度も接する機会があったからです。小人を見た瞬間に『白雪姫』の記憶が呼び覚まされたのでしょう。

しかし、幼少の頃によく見ていたのは『眠れる森の美女』でした。
実は『白雪姫』のストーリーについてはほとんど何も覚えていないのです。そのため、以下のような「あやふやな記憶」しか残っていませんでした。

●鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?
●毒りんごを食べてしまう白雪姫。
●「ハイホー♩、ハイホー♩、仕事が好き♩」の歌。
●白雪姫を助けてくれた小人は、全員で7人いたと思う。

このように、小人の名前に関する情報は一切欠落していたのです。そもそも、7人の小人に名前があることに意識を向けたことがありませんでした。こんな私ですが、どうすれば名前を知ることができるでしょうか。

誰でも考えつく一番簡単な方法は、インターネットで検索でしょう。検索をかければ10秒でわかりますね。しかし、それだけで終わってしまうのももったいない。

私は最近、「軍事や情報分析に関する書籍」を何冊か読んでいました。
せっかくnoteを始めたのだから本で学んだことを活用してみよう。
そう思いたち、今回は「私が見つけた小人の名前を検証すること」を記事にしてみようと思います。

検証するにあたり、それに用いた情報分析の書籍をはじめに紹介します。いずれもオススメですので、気になった方は実際に手にとって読んでみてください。

 『超予測力 不確実な時代の先を読む10カ条』

「専門家の予測精度はチンパンジーのダーツ投げ並み」
―ーこんな調査結果で注目を浴びた著者の研究チームが、
大規模な予測力研究プロジェクトを実施した。
計2万人以上のボランティアに市場動向から政治情勢まで、
さまざまな領域の未来予測をさせた結果、
抜群の成績を誇る「超予測者」が約2%存在することが判明。
彼らの思考法やスキルはどこが違うのか。
徹底検証の末に導き出された、
読むだけで予測精度を高める「10の心得」とは。
混迷を極める時代に、より良い意思決定をするための必読書。

この本を読み始めたのは、数ヶ月前に東洋経済「ハリネズミ型」と「キツネ型」の専門家についての興味深い記事を見つけたことがきっかけでした。両者の違いを私なりにまとめると、ハリネズミ型が「特定の思想信条に固執する自信家」であり、キツネ型は「複数の視点を統合する折衷家」です。

ハリネズミ型は自信を持って物事を断定するのでメディア受けする傾向にありますが、間違っていても自説を曲げず、曖昧な問題に関する予測精度は高くありません。

一方、キツネ型は「確実」「不可能」などの断定的な言葉を避けます。「〇〇かもしれない」と曖昧な表現をしがちなので、メディア受けは良くありません。しかし、多角的に物事を捉えるため予測分析については精度が高い傾向にあります。

 『戦略的インテリジェンス入門
 分析手法の手引き』

日本の周辺環境が厳しさを増すなか、国防の万全を期すためにはインテリジェンスの強化が欠かせない。
そのためには情報分析官の能力向上が不可欠である。30年以上にわたり防衛省および陸上自衛隊で情報分析官などとして第一線で勤務した著者が、インテリジェンスの分析手法を具体的な事例をあげながらわかりやすく紹介。
インテリジェンスの作成から諜報、カウンターインテリジェンス、秘密工作、諸外国の情報機関等々、情報分析の基礎知識を網羅。
専門家だけでなく一般読者にとっても「インテリジェンス・リテラシー」向上の書として最適!

佐藤優(元外務省主任分析官・作家)氏推薦!
陸軍中野学校の伝統を引く陸上自衛隊小平学校の教官をつとめた上田篤盛氏による優れたインテリジェンス教科書。
この一冊で、国際基準で一級の知識と技法を身に付けることができる。
国際政治、軍事、テロリズムに対する戦いに関心を持つ人の必読書。是非、手に取って欲しい。

こちらは元陸上自衛隊・防衛省情報分析官の上田篤盛さんがまとめた「インテリジェンスの入門書」です。日本語のいわゆる「情報」「インフォメーション」「インテリジェンス」=「情報を処理して得た知識」と定義しています

私の本職は栄養士なのですが、なぜ軍事? なぜインテリジェンス? と通常はなりますよね。インテリジェンスという言葉を聞くと難しいですが、私たちは仕事や日常生活の中で常に情報処理をしていないでしょうか? どんな人でも周囲から情報を得、それを処理し、物事を判断・決定しているはずです。

情報分析はどんな仕事でも必要な技能ですし、学ぶことで「情報に対する向き合い方」が変わるのではないでしょうか。何より、私自身が前述のハリネズミ型にならないよう、思考の訓練も兼ねて別ジャンルの本は積極的に読むようにしています。

ミッション:7人の小人を「オシント」で特定せよ。

さて、本題に戻ります。前編の情報分析に用いたのは、『戦略的インテリジェンス入門』で学んだ「オシント(OSINT:Open Source Intelligence)」です。これは調べようと思えば誰でも調べられる「公開情報」のことです。同書によると、

 米国では、特定の情報源から情報を収集する手段を収集方法もしくはINTs
(Intelligenceの略、イント)と呼んでいる。
(中略) オシントは、公開資料、地図、通信社、新聞、ネット、TV、雑誌など誰もが手にする公開情報源からの収集手段、あるいは公開情報源からえられたインテリジェンスを指す。今日ではグーグルアースの商用画像衛星、政府刊行物なども公開されているためオシントの活用範囲は拡大している。

とあります。
「公開情報? 調べるってことはネットでググればいいってこと?」 

その通りです。情報分析官というと、一般人の知り得ない非公開情報を探し求め、それを報告対象者の意思決定に役立つように分析結果をまとめるように思われがちです。私もそう思っていたのですが、実際には誰でも調べられる「公開情報」を日頃から集積し続け、それを予測に反映させているようなのです。特に「科学技術に関するインテリジェンスに効力を発揮する」ことが特徴というのもポイントですね。

同書によると、

「オシントでは重要な情報がえられない」との既成概念は全くの誤解である。英国の歴史家A. J. Pテイラーはかつて「情報機関が使用するインフォメーション(情報)の90%はオシントからえられる」と述べ、シャーマン・ケントは「米国では情報公開が進んだことからその比率は95%にまで増加した」と述べた。これらの発言が物語るように各国情報機関は一様にオシントに高い評価を与えている。

とあります。その数値を鵜呑みにすべきかはともかく、情報分析の専門家であっても公開情報は大事にしているということはよくわかりました。

もし、これが「黄色いくまの置物」だったら?

「オシント=公開情報」を元に考察を続けます。一番簡単で手軽な方法は、スマホやPCでネット検索ですね。しかし、そもそも公開情報をネットで調べること一つとっても「ググることが唯一の解」なのでしょうか?

検索エンジンといってもGoogleだけではありません。日本での利用者が多いYahoo!Japanもあれば、アメリカのYahoo!、Microsoft社のBing、中国の百度(Baidu/バイドゥ)、露西亞(カタカナ表記だと上に警告が出るので…)のYandex、プライバシー保護重視のDuckDuckGo、その他にも調べればたくさんありますね。

今回私が調べるのは「白雪姫に出てくる小人」です。しかし、もしこれが「黄色いくまの置物」だったらどうでしょうか? 中国の百度は「くまのプーさん」が検閲対象なのは有名な話です。私が百度で調べても検索結果に表示されないことでしょう。しかし、中国国民の人々は何らかの手段で「くまのプーさん」についての情報は知っているのではないでしょうか。その場合、百度とは別の方法で「公開情報」を探すしかないですよね。

「くまのプーさん」に限らず、これはまさに、2022年3月現在の世界情勢の中で、起こっていることではないでしょうか。インターネット上では、サイト運営者や政府から検閲をかけられれば、また、検索をかけても上位にヒットしなければ存在しないに等しいです。

しかし、探そうと努力すれば、そのヒントの大部分は「公開情報」の中に散らばっている。それが今回わかったのです。これは大きな収穫でした。

問題は、公開情報が膨大であり、玉石混交であること。これに尽きます。情報の真偽を検討し、ふるい分けする力が求められています。同時に、信頼できる情報源も複数用意しておかなければ、誤った見解を鵜呑みにしてしまうかもしれません。

「情報を得る手段が一つしかない」「自分の見解が絶対に正しい」と思い込んでいると、特にネットでは「検索エンジンの鳥籠」に囲い込まれているのではないでしょうか。

色眼鏡を外そう

似たようなことで、以前、自分のnoteで以下のようなことを呟きました。

これは前述の「ハリネズミ型」の専門家に対する私なりの見解をつぶやいたものです。自らの専門領域内で有力な仮説があるからと言って、それだけに囚われていたらどうでしょうか。「真の情報」あるいは「より確からしい情報」は「領域の外側」にあるかもしれません。しかも、目で見ている情報そのものは、自分の色眼鏡=フィルターを通しているので、何らかのバイアスは避けられません。

『オズの魔法使い』にはエメラルドの都が出てきます。都の中は全てエメラルドの緑色。ここでは特別なメガネをかけなければ、まぶしくて何も見えません。オズの意図とは異なるかもしれませんが、専門家になるということは、エメラルドの都に入って専門家の色眼鏡を身に付けるということでもあると思います。なので、メガネを外せることを忘れると、ときには全ての色=情報を歪んで見ていることに気づかないかもしれない。

専門家であろうがなかろうが、自分が調べたいことを特定の領域だけで限定せず、ときには別領域に目を向けて境界を越境すること。横断的思考をすること。たとえ、認知バイアスが影のようについて離れられないものだとしても、自己批判的姿勢を忘れないことが大事なのだと私は思っています。

以上、私も気をつけていますが、ネット検索一つとっても「釈迦の掌」ならぬ「マスメディアの掌」の上で踊らされているだけかもしれない、そのことを述べたかっただけです。

前置きが長くなりましたが、そろそろ私の見つけた小人を分析していきたいと思います。

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検証①
君は本当に「仕事が好き」な小人なのか?

まず、私のなかでは「小人、即、ハイホー」でした。冒頭で述べたとおり、『白雪姫』の内容はすっかり忘れています。

しかし、それでも「ハイホー、ハイホー、仕事が好き!」のフレーズだけは耳に残っているのです。

まずは、日本におけるディズニー公式の音源を聴きました。
映像を見れば、『白雪姫』の小人たちの特徴も確認できますね。

*ここで、本来はYoutubeのディズニー公式動画自体を埋め込みたいところですが、ディズニーは著作権に厳しいのでリンクに留めておきます。埋め込むとディズニーの絵も入って華やかになりますが、著作権についてちゃんと学び、問題なさそうであれば埋め込みます。著作権については、最近この方のnoteで勉強中です。

「あ〜こんな感じの曲だったなぁ、でもハイホーではなく、ハイ・ホーだったんだな」と新たな発見もありました。しかし、最後まで聴いて「おかしいな?」と違和感も覚えたのです。

なぜなら一度も「仕事が好き!」のフレーズが登場しないのです。私が小さい頃に見た映画では、確かに「仕事が好き!」と歌っていました。思い違いだったのでしょうか? 

そこで、他国のディズニーではどのように歌われているのか、別の音源(公式マークあり)を探してみました。いずれも1〜2分で確認できます。

「Disney UK」 英語版『Heigh-ho』

「Disney Fre」 フランス語版『Heigh-ho』

「Disney Channel España」 スペイン語版『Hi-ho』

「Disney IT」 イタリア語版『Ehi-ho』

私は初めに「Disney  UK」を見つけました。UKが英国の国名略記だと想像がついたので、国名コードを探してDisney ○○と入力。すると、検索で他の言語版もヒットしたので、複数見つけることができました。コードをもとに推測すれば、上記以外の国のディズニー公式も見つかるでしょう。

さて、初めて外国語で『ハイ・ホー』を聴いたのですが、お国柄が現われていることがよくわかりました。

基本的に他国は「仕事は終わった、さあ家へ帰ろう!」と言ったフレーズを繰り返しているのです。しかも、動画をよく見ると、時計はローマ数字の V を指しています。V =夕方5時。定時が来たから労働は終わり!家に帰ろう!なんですね。

一方、日本の『ハイ・ホー』についても、以前は「仕事が好き!」のフレーズだったようで、時代の変化とともに表現が書き換えられたようです。

「仕事が好き!」のフレーズは、炭鉱内でダイアモンドを掘ることが好き、という表現からとってきたのだと思います。この部分はリンク先の日本語公式では編集カットされているのですが、
「Disney Fre」 フランス語版『Heigh-ho』

では歌を聴くことができましたので、興味のある方は確認してみて下さい。

『白雪姫』が日本で公開されたのは1950年。戦後の経済復興期だったことを考えると、「時代の空気感」が翻訳にも影響を与えたのでしょう。

検証①の結論です:
「ハイ・ホーは、別に仕事が好き!と歌っているわけではなかった!」

「表現は時代とともに移り変わる」
「その表現には国民性や国や社会のあり方が反映される」
「映像はオシントとして役立つ、しかしまだ写真の小人かは特定できない」

時代とともに表現が書き換えられるというのは、些細なことに見えて、結構な問題を孕んでいます。学校教育を例に挙げると、私が学生の頃に pH は「ペーハー」と習いましたが、今は「ピーエイチ」です。ドイツ語読みからアメリカの英語読みになりました。ℓ や ㎖ は L やmL に、「m/秒」「km/時」は「m/s」「km/h」になりました。
直近では、キエフがキーウになり、チェルノブイリがチョルノービリに呼称変更されました。もう少し遡れば、第二次世界大戦後、大東亜戦争が太平洋戦争になりました。

このように、呼称の表現一つとっても日本の国際社会での立ち位置や在り方が読みとれますね。学術的にも英語が世界共通語として認識されているからこそ、世界のスタンダード(と今現在認識されていること)に日本も合わせる必要があります。改めて、言語・表現というものは国の文化の根幹に関わる問題なのだなと感じる昨今です。

【後編】に続きます。


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