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ぐだぐだ話のすゝめと戒め ~すゝめの編~

英語は直線、日本語は渦巻き。

こう学んだのは10年ほど前、アメリカ在住時代に通っていた 英語の個別指導塾でのことだった。作文の書き方が 言語と文化によってどう違うのかの図解を見て、妙に納得した覚えがある。
英語ではまず結論を述べ、理由や例を列挙し、結論で締める。対する日本語では、テーマについて何となく色々と語り、「結論は言わないけれど、わかったでしょ?」という傾向にあるとか。

時は移ろい、高校時代。英語部の一員としてアカデミックディベートに没頭した。全国大会の議題は「ベーシックインカム」「移民政策」のような社会課題で、本や新聞記事を読み漁り、議論を組み立てる日々。大会では、主張とエビデンスを機関銃のように打ち続けた。
まさにアメリカンな話し方。

わかりやすく話せ!結論から話せ!エビデンスは?それ、話す意味ある?
なんていうビジネス本や動画も飽きるほど目にした。
実際、ディベートや読書で培った思考や話術は、大学時代のプロジェクトや論文執筆に大いに役立った。

そして今。ふたたび振り出しに戻る。
渦巻きのように会話をしても、いいのではないか。むしろ、それが大事なのではないか。相手をグサリと刺す直線ではなくて、丸みを帯びた渦同士が時には干渉して新たな波をつくる会話。
すぐには答えが出ないし、永遠にも答えが出ないようなことを、とりあえず語り合う場。そもそも、の話をする場。

健康寿命などと言われていますが、そもそも「健康」とは何ですか?
世界平和が叫ばれていますが、そもそも「平和」って何でしょうか?
みんな、それぞれにとって、「幸せ」とは、「豊かさ」とは?

そんなことをぐだぐだ話す。
相手を言い負かすためでもなく、正解を見つけるためでもなく。
終電なんか、気にせずに。ワインを片手に。焚火でも囲んで。
結論と、理屈と、効率が求められる今だからこそ。

スロー・カンバセーションとでも呼べばいいのか、じっくり噛みしめるようにする対話は、重要性を増している。


インスピレーション源
仲間との会話

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