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ぐだぐだ話のすゝめと戒め ~このぐだぐだ文章を終わりにする編~

時間泥棒なぐだぐだ話と、せかせかした世の中だからこそ優雅な時間の使い方としてのぐだぐだ話。二つの違いはどこにあるのか?
シリーズ第三回目、このぐだぐだにも終止符を打ちます。


まずそもそも、好感を持っている相手なら、「この人の話だったらちょっとぐだぐだでも聴こう」と思える。

あの頃、片思いしていた子の話もそうだった。彼が何度、家族の話をしようと、この間参加してきたというパーティーの話をしようと、これから始めたい事業の話をしようと、なぜか飽きなかった。大親友に格が 下がった 上がった今だって。

つまり、恋というものに限定されず、親友・恩師・志を同じくした仲間などとはいくらでも話せる。相手自身に興味を持っているからだ。


次に、相手をリスペクトし、話をまずは素直に受け取るということ。
「わぁ、面白いね!」「そのモノの見方、ユニークだね!」「さすが!」
私の周りにいる大人たちは(といっても自分も成人だが)、未熟な私の話もとても面白がってくれる。

だから私もつい話してしまうし、彼らの話を聴くのも大好きだ。


本質を避けてはならない。

ぐだぐだで、心の底から時間の無駄だと思うような会話はたいてい、大事なところ(例えば感情・価値観・世の中の矛盾)からわざと話を逸らしている。だからぐだぐだ話が終わった後に、「あれ、何話したっけ?結局何も話さなかった」という虚無感と、時間を無駄にしてしまった罪悪感が残る。


そして最後に、ユーモアも忘れないこと。

特に深刻な話は、そのままだと「深」く真っ暗な闇の底にズーンと落ちていってしまう。永遠と続く愚痴なんかは典型的な例だ。何か現状を変えようと思うなら、闇の底からちょっとでも離れて、ふわっと浮いた状態がいい。見える世界が変われば、アイディアも湧いてくる。

ふわりと浮かせてくれるのがユーモアだと思う。


もう一つ付け加えるとすると、心地の良い沈黙の時間があること、少なくともそれを恐れないこと。これについての文章は世の中にあり溢れていると思うので、割愛する。


これらを、会話の中で、聴き手・話し手が交代してもお互いができているぐだぐだ話に、私は積極的に参加したい。


インスピレーション源
仲間との会話(有意義なぐだぐだ話を含む😊)




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