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不登校体験記4

こんにちは。
Prism校長のきよこです。

今回は、高校生で不登校になったDさんのお話です。
不登校期間は、3ヶ月ですが、相当しんどい3ヶ月を過ごされています。

怪我がキッカケで不登校に

Dさんは、小学校の頃から野球をしており、スポーツ推薦で高校に入学しました。入学後、実力の格差に、焦りを感じ、1ヶ月で16kg体重が落ちるほどの練習を重ね、オーバーワークになっていきました。その結果、部活中に負傷し野球ができない身体になったと言います。しかし、内心、ホッとしている部分もあり、この時は、「これからは、勉強にシフトしよう!」という意気込みがありました。

「お前は明日から学校に来るな」と言い放った監督

怪我の報告を監督にすると、明日から、お前は来なくていい。スポーツ推薦は、スポーツができなくなったら、学校に来る資格がないと言われました。
親に報告すると、学校に行く資格がないはずがないと言われ、翌日も学校に行くことにしたそうです。
しかし、監督にも冷たい態度を取られ、クラスでも、スポーツ科であったため、部活をしないDさんに対して、風当たりが強く居場所がなかったと言います。
唯一、担任の先生だけが味方をしてくれましたが、やはり、学校に居場所はなく、家でも、親に無理やり学校に行くよう促され、次第に、Dさんは精神的にしんどくなっていきました。

朝が怖い毎日

学校に行きにくくなってからは、朝がくるのが、怖くなりました。昼や夕方は、まだ精神的に安定しますが、夜になると、次の朝が怖くなり、夜に眠れなくなりました。
布団の中で、なかなか眠れない中、恐怖に耐え、朝方に力尽きて眠りにつく。
しかし、朝になると、そんな夜を過ごしていることを知らない母親が、叩き起こしにきました。
今日も学校に行かないのか、このままでいいと思っているのか、数々の厳しい言葉を受けながらも、布団から出られませんでした。
母親が諦めて、パートに出かけると、ホッとする時間が訪れました。

「いいな、そんな生活ができて」

家に人の気配がなくなると、ベッドから出て、テレビをみたり、ゲームをしたり、お菓子を食べたりしました。
側から見たら、ただのサボりにしか見えなかったのだと思います。母親が、パートから帰ってくると、「いいね、そんな生活ができて」と言われました。
母親の言うことは正論だと思いました。きっと、母親も不安で、仕方がなかったのだと、今ではわかります。しかし、その時のDさんは、自分を守るために、物を投げたり、親に罵声を浴びせたりして、必死に反発していました。この親への反発は、精一杯の防衛反応だったとDさんはいいます。

消えたいと思うほどに苦しい毎日

親に、罵声を浴びせた後、強い自己嫌悪に悩まされていました。なんで自分は学校に行けないんだろう、生きているだけで迷惑な気がして、自殺願望も出ていました。しかし、自殺する勇気はなく、もう、ただ、消えたいと思っていました。
そんな姿を見ていた姉が、これは正常な状態ではないと感じたようで、母親に「朝、起こさないでやってほしい。学校に行けというのをやめてほしい」と伝えてくれたそうです。

信頼を失っていく感覚

朝は、本当にしんどくて起き上がれないのに、昼、夕方にかけて元気になり、なんともない感覚がありました。「明日は学校に行けるかも」と思うことがありました。その時に、母親と、「明日は学校に行く」と約束しても、朝には、布団から出られないことの繰り返しでした。
そして、Dさんは、次第に母親からの信頼が失われていくと感じたそうです。約束しても、朝には起きられない。それなのに、夕方には元気になっている。「そりゃ、信頼されないよな・・・」と、Dさんの自己肯定感はどんんどん下がっていきました。

Dさんを救った姉の言葉

Dさんの自己肯定感は底をつき、もう、この世を去るための準備をしようと決意していました。
しかし、その時、姉から呼ばれたそうです。
「どんなあんたでも、家族は絶対あんたの味方やから」と泣きながら言われ、Dさんも泣き崩れてしまいました。
あの時の、姉の言葉がなかったら、もう、この世にいなかっただろうとDさんは言います。
姉のような人間になりたい。そう思ったDさんは、それから、少しずつ変化していきました。

姉の言葉を支えに強くなったDさん

Dさんは、姉のように人に寄り添える人間になりたいと考えるようになりました。たくさんの「言葉」で傷つき、しんどくなってしまいましたが、そんなDさんを救ってくれたのも、また、姉の「言葉」でした。同じ「言葉」を扱うなら、人を救う「言葉」を使いたい。
苦しんている子どもたちに伝えていきたい!伝えるには、どうしたらいいだろうと考え、志そうと決めたのは、国語の教師でした。
教師になろうと決めると、Dさんは動き出します。
遅れていた勉強に関しては、友人にノートを借りて、追いつきました。長く引きこもっていたため、体力も落ちていたので、外の散歩も始めました。
ボサボサの頭も、伸びていたヒゲも全て整えました。
そして、学校に戻とうと、決意します。
不登校になってから、3ヶ月の月日が流れていました。
学校に戻り、周囲の目は変わりませんでしたが、姉のようになりたいという目標ができたDさんにとっては、どうでもよくなっていました。
それから、Dさんは、学校を休むことがなくなりました。

Dさんが今、志しているもの

それから、紆余曲折を経てDさんは、国語の教師になりました。
不登校という経験がなければ、この職にはついていなかったのかもしれません。
Dさんは、不登校児に寄り添える人になりたいと考えています。
しかし、不登校児の未来を明るくするためには、当事者だけでなく、両親や、支援者、教師など、もっとたくさんの人が、不登校ということについて理解する必要があると考えています。
学校に行かないという選択をしただけで、未来が見えなくなってしまうような環境では、Dさんと同じ苦しみを味わう子どもたちが、たくさん出てしますのです。
だから、その環境を変えていくために、今、Dさんは奔走しています。

たくさん辛い体験をされており、話すことが辛いと思うのですが、Dさんは、僕の体験が、誰かの光になるのならばと、まっすぐな眼差しで包み隠さず、お話ししてくださいました。
これから、きっと、たくさんの悩まれている子どもたちに寄り添っていかれるのだと思いました。
Dさん、ご協力ありがとうございました。

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