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不登校体験記5

学校に行かなければならないと思うと、お腹が痛くなる。などの経験をされた方は、どれくらいいるでしょうか?

今回は、小学校3年生の時に、原因不明の体調不良で半年間学校に行けなかったYさんのお話しです。

【不登校の時期と期間】
小学校3年生の時
半年間
高校の時
椎間板ヘルニアにて不定期登校

原因不明の体調不良

朝、学校に行こうとすると、腹痛や頭痛の症状が出て、明確な理由はないが、学校に行けなくなってしまった。
今、思えば集団生活が苦手だったのだと思います。
全ての人と仲良くしなければいけないと思っていたのです。
10歳年上の兄がいて、兄との会話は専ら時事ネタが多かったです。
話す内容も、大人っぽかったと思います。
不登校になった頃は、母親がたくさんの本を買ってきてくれました。
小説をよく読んでいました。
母親は不登校になったことを責めたりはしませんでした。
後に、兄が、自身の経験から、イジメられているかもしれないから、あまり問いたださない方がいいと庇っていてくれたのだと知りました。
別に、いじめられていたわけではなかったですが(笑)

全ての人と仲良くしなくていいと気づく

それから、体調は少しずつ良くなっていき、保健室登校を経て、クラスに戻りました。
もともと、大人っぽい性格もあり、同級生のノリについていけなかった。それでも、合わせなければと気をつかっていましたが、気の合う人とだけ付き合えばいいと気づき、学校がしんどくなくなりました。
勉強は特に嫌いではなく、テストの点数でお小遣いが増えていくという我が家の制度もあり、テストは頑張っていました。

死にたくなる経験とカウンセラーの出会い

中学からはソフトテニス部に入り、テニスに没頭しました。
高校も、スポーツ推薦で入ることができました。
試合でも結果は出ていましたが、椎間板ヘルニアになり、大好きだったテニスができなくなりました。
その時は、大きな絶望を味わい、死にたくなりました。
なぜなら、その頃は仲のいい友達もおらず、教室でも馴染めていませんでした。
自分には、テニス以外何もなかったのです。そのテニスを奪われたことで、全てを失った気分になりました。
腰の痛みから、学校にもなかなかいけず、不登校気味になりました。
大きな転機は、先生の紹介で、盲目のスクールカウンセラーに出会ったことです。
そのカウンセラーは、物事の本質を教えてくれました。
盲目だからこそ、余計なものが見えず、相手の本質のみを見つめることができるのだと。
カウンセラーの方に言って頂いた「その感性を大事にしたらいい」という言葉は今でも胸に刻まれています。
そこから、再起してスポーツトレーナーの専門学校に行くことにしました。

仕事仲間に裏切られて人間不信に

スポーツトレーナーの資格をとり、ベンチャー企業に就職し上京しました。しかし、、3ヶ月でその仕事は辞めました。その理由としては、副業が禁止だったから。
アルバイト登録会で出会った人と、アンテナ取り付け工事の仕事を始めました。そこで1年で4000万円を稼ぐという経験をしました。
しかし、仕事が拡大していくにつれて、仕事仲間との人間関係が悪くなり、夜逃げ同然で関西に戻ってきました。
しばらくは、人間不信で人と関わりたくないと思ったものです。

色々な挑戦は続く

その後は、ネットの広告でたまたま見たオンラインデザインの学校に通いました。
名刺デザインやホームページを作る仕組みを学び、仕事にしましたが、あまり楽しくなかった。そのうち、動画の仕事が入り、動画の仕事は面白いと感じた。
今は、ドキュメンタリー動画を撮っています。
動画の撮影費用を支援してもらい、仲間作りを中心としながら動画の撮影費用を支援してもらうことで動画を撮るという仕組みを作りました。
今、新しい事業も立ち上げ途中です。

仕事の楽しさを教えてくれたのは父親だった

父親は、大手企業の営業マンで、小さい頃から、働く姿を見せてくれていました。
いつも楽しそうに働いていて、仕事はとても楽しいものなんだと、幼心に思ったものです。
だから、僕の仕事の原点もそこにあります。
思いついたことは、とりあえずやってみる。
やってみて、周りの反応を見る。反応悪いものはやめる。
潰した事業も多くあります。
ワクワクする余白を、たくさん作っておくことが大事だと思うのです。
僕は、会社員は無理だと早めに悟りました(笑)
会社員だと、自分に合った人だけと付き合うということができませんから。

Yさんから、お話を聞いていると、とても楽しくてワクワクしました。
不登校も、テニスができなくなるという挫折も、Yさんにとっては、一つの気づきと学びのポイントに過ぎず、常に前を向いておられる方だと思いました。

ご協力ありがとうございました。


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