うるさくない
「出社」がなくなったのが3月の終わりで、GW最終日の今日は曇っていたけど蒸し暑く初夏の気候だった。
あとひとつき、在宅勤務が延長されますという知らせを読んでまた少し寝た。それならご飯茶碗を早く買いたいなと思った。
人との交流を避けることを国が推奨するなんて、どこかの陰キャのもしもボックスみたいな世界だ。
これまで毎日毎日起こっていた、
電車でくっつく他人がどんな人か不安に思わなくてもいいし、会社の雑談に少し交じっておくタイミングを探らなくても良くて、帰り道も前後に同僚がいないか気にしなくていいし、背後を歩く人が突然話しかけてこないかも気にしなくていい。
このままだと寿命が120歳まで伸びるかもしれない。
他人が起こすノイズがなくなって静かに時間が過ぎていく。
今日で言えば、昼は近くのカフェに行って、テイクアウトの料理を待つ時間で少し歩き、これまで存在を知らなかった商店に並ぶイチゴや大根を見た。イチゴは298円で、いつも行くチェーンのスーパーよりも100円安く感心した。
商店近くの坂を登ったら○○洋服店と書かれた建物があって、今はもう使われていないであろうその建物でいつかの昔、洋服のお直しをお願いするご婦人が今日のような夏前に服を抱えて坂を登りチャイムを鳴らすことや、日の当たる窓辺でミシンを動かすベテラン店主の姿を想像した。
夜になったら長い間、雷が鳴って、ソファーに寝転がりながら同じように雷の音に怯える人をスマホで探して、満足してやめて、音が収まったらテレビを見て、チャンネルを変えて、それだけ。
聞きたくない音が聞こえず何にも怯えることのない生活はいつぶりだろうと考えると、自我の芽生え+集団生活が始まった中学生より前、小学校の時以来かもしれない。
そう考えると今日のように家のソファーで湿気の多い外の空気を吸うような、こんなことが小学生の夏休みにもあった気がする。それを思い出そうとすると実家のソファーの感触とカーテンのにおいが蘇ってくる。
どこかのページを開いてから書くとそこ仕様の内容になっちゃうからメモ帳に書いたのをコピーして貼りつけた日記。
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