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逃げ道の手段を考えること

1年で1番好きな夏が終わってしまう。8月31日の夜。夏が好きになったのは果たしていつからだったのだろう、と思う。

思えば小学生や中学生のころは、夏休みの宿題を全然終えることが出来なくて泣きながら宿題をしたり。両親が仕事をしていたから夏休みの家事を毎日のようにしなければいけなく辛かった。夏が好きといいながら、悪い思い出も同じようにたくさんある。

#8月31日の夜に  というハッシュタグに寄せられた投稿を見て、

びっくりするのと同時に心がざわついた。「8月下旬は10代の自殺が1番多くなる時期」なのだそう。

10代のわたしは、思いだしたくないことの方が多いし、戻りたくない事の方が多いし、「10代のころ、自殺したいと思ったことがありますか?」ともし聞かれたら即答で「もちろん、ある」。と言うと思う。誤解を恐れずに言えば、みんなそういう風に思って生きているとさえ思っていた。

それは8月下旬に限ったことでもなかった。

夏休みなんて来る日も来る日も1日テレビをみて宿題をして家事をして、きちんと出来ていないと両親にひどく攻められて、夏休みなんてつまらない。と思っていた。

それに、中学に入ってからはいじめなんて日常茶飯事だった。

昨日まで仲良くしゃべっていた子から突然無視されたり。とか、

そのあとどんどん色んな人が喋ってくれなくなる経験だって、当たり前のことだと思っていた。私の学校はそれがルーティーンのように行われていたから。(今考えるとぞっとするけれど)。

それに加えて先生からの暴力だって辛かった。

8月下旬に限らず、もし…もし「自殺」したら今抱えているつらさはなくなって楽になるのかな、と時々考えることもあった。
特に眠れない夜中のふとんの中とかで。
「それって、なんのために?」という気持ちもむくっと出てくる。

わたしが死んだらだれが悲しんでくれるのか、とか、今の状況がつらいからって、それって逃げてるっこと?と思うと、逃げることは絶対したくない!という気持ちがふくれあがって爆発しそうになる。

そもそも「逃げてもいい」なんて、誰も言ってくれなかった。

大人が「逃げていい」って言ったからって、いいってもんじゃないんだよ子供の世界は。と思ってただろう、生意気に。

今の状況に逃げても何も解決しないし、むしろ今の状況をどう工夫して楽しく生きるか?って考えている人たちが、すっごくかっこよく見えた。

自分もそうなろうと心から思った。誰かに言われるでもなく「自分がそう思う」そのエネルギーってすごいのです。生きることにつながるエネルギー。
それはささいなことで全然いい。
私の最初のエネルギーは、ファッションが好きで、生まれてはじめて将来の夢を、言葉にできたとき。「ファッションデザイナーになりたい」
大人のみんなに反対されても周りのみんなにふふふと笑われても「これしか生きる術がない」って大真面目に思ってた。
それがあったからこそ、いじめられても傷つかないでいられたし、そこしか見てなかったからこそ、毎日のつまらなさにもきっと我慢してこれたし、今の私はその時があったからこそできている、と思う。社会人はじめての仕事は、みんなに反対された「ファッションデザイナー」にちゃんとかどうかはさておき、なれたのだ。
そしてそこから15年近く経った今も、その好きにつながる仕事ができている。あの時のエネルギーがなければ絶対できていない、だからあの時のあの辛さは今の自分を作るための、いわば修行みたいなものだった。
私は逃げなかったわけじゃなくて、そのことがある意味の逃げ道だったのかもしれない。

それは10代の時も30代になった今も全く変わらない。

「今をどう工夫して楽しく生きるか?」のクエスチョンにたくさん答えを出せることが「逃げ道の手段」とも言えるし、「生きていく手段」そのものだと思う。

逃げ方の方法ひとつで、それは自分の強みになる。
それが私の生きている理由と言ってもいい。
だからそこから広がる世界にもっと目線を向けていたいと思う。これからも。

大人になっても逃げたいことなんていくらでもあるし、そこにきちんと向かっている、という証拠が痛みだとするなら、今感じてる痛みは決して無駄じゃない。
もし10代の私に、何か伝えることがあるとすれば、ふとんの中で悶々と悩んだり泣いたり眠れない私にこっそりそう伝えると思う。