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傷つけられた人との関わりをやめたら楽になった

初めまして。
「傷つけられた人との関わりをやめたら楽になった」って、いきなりなんだ?って思われたかもしれません。
私、ずっとプライドを引きずってたんですよ。
子供の時はコミュ障。
高校に入ってやっと友達ができた。
まさに世の中に出ようとした時にバブル崩壊、就職氷河期。
何とか就職に漕ぎ着けたけどブラック企業で長時間労働とモラハラ、パワハラに遭って地元に逃げ帰り、低賃金パートで再就職。
アラサーにして派遣で働き出して、正社員登用を狙って失敗。
職場が変わってもお局様にいびられ続け、今は自分が最年長なのでいびられないけど煙たがられないように気をつけてる。
職場だけじゃなくて、パート時代も元夫が学生時代世話になったというおばさんに嫁いびりされ(元夫の親は温厚ないい人)、元夫モラハラ、ご近所のおばさんにも目をつけられてあることないこと言いふらされて肩身の狭い思いをした(1年後特養入り)。
そんなんで自己肯定感上がるわけもなく。
元夫と離婚後に付き合った相手は妊娠が分かって逃亡。
養育費も払わず。
手に職というか、出産後も仕事を続けられたから何とか暮らしてきた。
「何で自分ばっかりこんな苦労を」とか、傷つけられた相手と縁が切れてからも何か上手くいかないことがあるたびに思い出して。
「あの人のせいで(キーッ)」って、怒りの念を飛ばしまくって。
でも、怒りと同じくらい自己嫌悪があって。
風水、ヒーリング、お祓い、パワースポット巡り、塩まじないとか色々試したけれど一時的にスッキリしてしばらくすると元に戻る繰り返しで。
「悪いことが起こるのは、浄化が足りないからだ」って開運グッズやパワーストーン買ったり。
自分が派遣で働き出した頃は、正社員の人の方がスキル高いって見方されてて当時アラフィフだった人は足を引っ張りたい人が多かった。
そういう人も還暦近くなったら丸くなったから、単純に更年期でイライラしてたのかも。
とにかく、私が「目障りな存在」であったことは間違いない。
だから「プライド高い私」でいることは自己防衛の手段だった。
モラハラしたり、利用したり、いびる方は、自己肯定感低い人をターゲットにするだろう。
あるいは、自信がありそうな人を貶めて自己肯定感を下げさせることに快感を見出すのかもしれない。
私は、そんな人の術中にまんまとはまっていたというわけだ。
今、過去に嫌な目に遭わされた相手とは、全く接点もないし、どうしているのか分からない。
20代やアラサーの頃に接していた相手はとっくにリタイアしている。
どの相手も、過去の嫌がらせの事など忘れているだろう。
「相手を許す」本や、「恨み」「怒り」を収める方法などの本も読んだ。
ここ数年の健康診断では要経過観察の項目がぐっと増えた。
胃や腸が弱っているらしい。
毎日のようにファストフードやインスタント食品を食べていたのだから、そうなるのも当然だろう。
私は脂の多い食事をやめ、野菜中心の食事に変え始めた。
すると、ギスギスと好戦的だった心境に変化が訪れた。
もう視界に入らない人のことにこだわるかわりに、自分の健康の方が大事。
時々、養育費の未払いや嫁いびりのニュースを見ると我が事のように気持ちが塞ぐことはある。
思い出すと怒りが沸いてくることはあるけれど、「存在を無視」するようにしている。
私が傷つけられてきた相手はもう視界に入らないのだから「いない」のと同然だからだ。




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