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【プロポ5】生者が死者と結ぶ関係

プロポ

プロポとはアラン『幸福論』に代表される文筆形式を表すフランス語。短い文章で簡潔に思想を著すエッセイのようなもの。日本では「哲学断章」とも訳されます。アランのそれは決して学問として哲学というほど仰々しいものではなく、アランが人生で培ってきた教訓や行動指針を新聞の1コーナーに寄稿するという形で綴ったもの。僕も見習って、頭を行き来する考えをプロポとしてまとめることで思考を整理していきたい。

僕のブログ「持論空論」で展開していたものをnoteに移行しました。

【プロポ5】生者が死者と結ぶ関係

大切な人を亡くすというのは、とても痛ましく、同時にありふれた悲劇です。人が生まれるやり方はひとつしかないけれど、人が死ぬやり方は無数に存在します。だから、そのありふれた悲劇の響き方は、多種多様。今回は「生者が死者と結ぶ関係」というテーマでプロポを書きますが、果たしてどれくらい一般性があるものか、自信がありません。よって、僕に起こったありふれた悲劇から、僕が考えたことを書いてみます。

 反射的に述べるなら、人と人との関係は、どちらかが亡くなった時点で打ち止めになります。残された人は、大切な人を失うと同時に、その人との関係も失う。少なくとも、関係は死という時の一点で化石化し、残された人は考古的にその化石を観察する事しかできない。しかし、この反射的な関係の捉え方は、現実に即していないと僕は思います。

 これを書いているのは2022年6月6日、雨降りの夜です。ちょうど4年前、2018年6月6日、僕の親友が自ら命を絶ちました。そのときもやはり、雨降りの夜でした。自他共に認める親友だった僕たちの関係は、その日で確かに終わりました。それからずっと彼のことや死のこと、彼と僕の関係のことを考えてきました。そうするなかで僕の心の響いた言葉がいくつかあるので少し紹介します。

まずは作家 高橋たか子さんの言葉。

死に対する礼節は沈黙である。

高橋たか子

この言葉は生物学者 福岡伸一さんのエッセイ集である『ルリボシカミキリの青』で紹介されていたものの孫引きなので実際に高橋たか子さんがどの著書でどのような意図で書かれたものなのかはハッキリとはわかりません。それでも含蓄のある言葉であり、福岡伸一さんがこの言葉を引く気持ちにとても共感しました。近年は著名人の自殺も増えており、それについて語る言葉も増えています。しかしこういうときに僕たちは死に対する礼節を思い出さなくてはいけません。これは僕の親友が亡くなった後にも思ったことです。どうして死ぬことになったのか、何を考えていたのか、いつなら間に合ったのか。在りもしない if のことを皆が話したがります。そして「話したがる」というのは、死者から中途半端に距離がある人の間で最も活発に沸き起こる現象のようです。しかし本当に死者を悼み、想い、尊重するならば、何も言うことはできません。「死を前にしてはすべてが軽口である」ということに必ず気づくからです。どのような意見も憶測に過ぎず、これは度が異なるだけで、本質的にはゴシップと同じ、その色違いみたいなものにしかならないと思うのです。残された者が語ることができるは、死者に対する自分の気持ちの吐露であって、死者の死に関する憶測ではないということです。

次に哲学者 西田幾多郎が自身の経験を記した『我が子の死』という文章から。

折にふれ物に感じて思い出すのが、せめてもの慰謝である。死者に対しての心づくしである。

『我が子の死』西田幾多郎

 死に対して沈黙するという礼節の時期を過ぎれば、残された人は日常の生活に戻っていきます。残された生者は徐々に死の一点から時間的に遠ざかっていき、それと共に死者のことを思い出すことも減っていきます。実際に僕も親友の死から半年~1年ほどは、何をしていても常に親友の死のことが頭にあり、それから完全に解き放たれて何かに没頭するということはほとんど出来ませんでした。しかし徐々に彼のことが頭から抜ける一瞬があるようになり、遠くなどを見る瞬間があるとまた彼が戻ってくるという状態になる。それも2年以上たつと、彼のことを考えない日はない、くらいになってきて、常に四六時中彼のことが頭にあるという状態でもなくなってくる。そして、2年半くらいたった頃に「あ、昨日って彼のことを一回も考えなかったな」と気づいた日があったのを覚えています。さらに1年半が経ち、現在は彼の死から丸4年が経ったわけですが、最近は一瞬でも彼のことを考える日とまったく考えない日が半々くらいである感じだと思います。しかし、彼と過ごした日々と、彼のことを考えつづけたこの4年は、僕の人格、価値観、経験、僕の人生のすべてに大きすぎる影響があり、何を考え何をするにも彼の影があるというのがしっくりくる感覚であり、考えない日があるといっても全く彼のことが自分の構成物から抜けきっているかといえばそうではないんだよな、という感じ。とはいえ、彼の死からしばらくはあれだけ彼のことばかり考えていたのに、今ではそうでもないというのは、彼にとても失礼というか、自分は冷たい人間なのではないか、と考えたこともありました。そういう時に、僕はこの西田幾多郎の言葉に救われたような気がします。こうやって彼のことを考えていること自体が、彼にとっての心づくしなんだ、と。折にふれ物に感じて。常に死者のことを考えているのはそれこそ執着であり、死という問題の解決にはならない。僕たちは死という出来事に対しては沈黙し、死者のことを思い出すことで心を尽くす。そうすることが死者への最大の礼節であり、慰藉であると、僕は考えるようになりました。

 最後に、学者 中島岳志さんの死についてのコメント。

死者と出会いなおし、一緒に生きていく

中島岳志

あるテレビ番組で中島岳志さんが語られていた言葉です。僕はこの言葉を聞くまで、ぼんやりとこのようなことを感じつつも、理性が認識する言葉のうえでは、人が亡くなった時点で関係は凍結されるという反射的な考え方を信じてました。しかしこの言葉を聞いた瞬間に、死者としての彼と生者としての自分の間にある関係についての靄が一気に晴れた気がしました。死というのは、別れであり、同時に新たな出会いである。死んだ人間と、新たに出会いなおす機会である。まさに彼の死以降の自分の感覚を的確に言い表している言葉だと感銘を受けました。人が他者のことを最も真摯に考える時間というのは、もしかしたらその人が亡くなった時ではないでしょうか。生きている間を双方向性を持っていた関係が、片方の死によって一方的なものに変容します。同時にその一方向性には、双方向性のときよりもずっと強く「生者による死者の視点の内面化」が起こります。つまり「死んだあいつなら何て言うかな、どう思うかな、どう考えるかな」という思考が生者のなかに巻き起こるということです。一方的になった関係のなかで、死者から生者という消えてしまった矢印を生者が自作自演で補完する。これはもはや新しい関係と呼んで差し支えないほどの変化でしょう。しかもその補完に正しい答えはないのです。だからこそ、ずっとこの関係を続けて、常に模索して、一緒に生きていくことができる。これは西田幾多郎の言う心づくりの形にもなります。

 僕が亡くなった親友についてよく考えることは、彼の死はとても辛いことですし、戻ってきてくれるならいつでも戻ってきてほしいと思いつつ、彼の死によって彼が一生僕の親友であるということが確定したということです。もちろん彼が存命のときも一生の友だとは思っていましたが、それは結局感情論やその状況下での意志という領域を出ないもので、理性的に考えれば、お互いにライフステージや生活環境が変わり、価値観も変わり、会う頻度も変わっていけば、人生のどこかで距離が生まれることもあったでしょうし、関係がうまくいかなくなる可能性もあったでしょう。もちろんどこかで埋められない溝が生まれて関係が破綻するという恐れもあったはずです。それくらい人間同士の関係というのは何があるのかわかりません。一生を誓い合った夫婦でも多くが離婚する世の中です。人間の主観など、簡単に変わってしまうものです。しかし、彼の死を果敢にポジティブに捉えようとするならば、もう彼と僕の関係は、この世界で何が起きても、誰のどれだけ大きな意志が邪魔だてしようとしても、絶対に変わらず、彼は僕の永遠の親友であることは天地がひっくり返ってもひっくり返せない事実になったということです。こんな屁理屈みたいな話で親友との別れの慰めになるのかと問われれば、誰に威張って言えることでもないのかもしれません。それでも、生前の彼が僕にくれた無限の信頼と愛情のおかげで、僕が安心して自信をもって生きていたように、彼の死後も、彼が僕に同じ信頼と愛情を与えてつづけているおかげで僕が元気にやっているというのは事実です。そしてそれはもう僕がずっと失うことを恐れる必要なく死ぬまで享受することができる信頼と愛情なのです。もし僕がこれを失うことがあるとすれば、僕の人生が彼に対して誇れないものになったときです。彼に見せられない人生になってしまったな、と自分が感じた時、僕はきっと彼との関係を失う。だから僕は、元気に、ちゃんと彼に誇れる人生を生きないといけないと思って、今日も楽しく生きられる。彼が「死ななきゃよかったよ」と言うくらいの人生を送ってやるぞと、頑張れる。まさに死者との新しい関係だと思います。

 これが僕が考える、生者が死者と結ぶ関係。どこまでも個人的な話に基づいて書いていますが、どうやらここに引用した3名の方々は部分的にでも僕と共鳴する死者との関係についての思想を持っていた。だからこそ僕は彼らの言葉に支えられ、今日まで親友との関係を紡いでこられました。大切な人を亡くすというのは、とてもありふれた悲劇。しかし、この上なく痛ましいことです。だから、その痛みを抱えて元気に生きていくために、生者は死者との関係について知り、考えるべきだ。それには言葉という道具が必要です。僕を救った言葉たちを、そして僕自身の言葉を、ここに記してきました。僕がここに記した経験と考えに共鳴する次の誰かへ、言葉たちが届きますように。


西田幾多郎『我が子の死』(青空文庫)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/3506_13513.html

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