その日

先日、5年前から闘病していた友人が亡くなった。訃報を聞いた時、自分でも意外なぐらい落ちついていた。


5年前の『その日』。友人が、癌と診断された事を教えてくれた日。病気の状態や余命などを聞く前に、涙が出て止まらなくなった。

それから数日は、何をしていても友人の事が頭をよぎる。

その後、具体的な事を教えてもらった。

胆管癌のステージ4 。手術もできない状態であること。余命はあえて聞いていない。でも、5年生存率が0.25%である事は調べてすぐ分かった。

俺は彼のために何ができるのか?
何をするべきか?

迷っても答えは出なかった。

彼と久しぶりに会ったとき、俺に気を使わせないようにか、いつも通り明るく振るまっていた。

そんな彼に結局何もできない俺は、自分が一番言われると嫌な言葉を彼に言ってしまった。

「大丈夫?」

彼自身が一番不安な時に、病気のない俺が、病気で苦しんでいる彼にかけてしまった言葉。

本当は、彼自身が常に頭の中で考えている「大丈夫か?」という不安な気持ちが入る隙間もないくらい、「絶対に大丈夫!」って励ましたかったのに...。


しばらくして彼は、彼と同じ、子供を持つ世代の癌患者が繋がるコミュニティサービスを立ち上げた。

今では、全国に3千700人もの会員がいるコミュニティサービスで、よくメディアにも取り上げられるほどになった。

彼は闘病しながら活動を続けた。

それは人のためではなく、自分のためだと言っていた。ただ、「自分事が他人事にもなれば嬉しい。」とも言っていた。

「病気に勝って!」この言葉が嫌いだと彼は言っていた。理由を聞くと「それやと、死んだ時は負けたってことやんか」と。

「終わりがある事が分かった」と何度も言っていた。(そんな事ぐらい俺も知っている。でも俺は知っているだけ。彼は分かったんだ。) 「終わりがあるから行動しよう!行動したら変わる!」と自分に言い聞かせるように言っていた。

挑戦』彼が今1番好きな言葉。

確かに。挑戦し続けている限り、彼は無敵なんじゃないか。と思えるぐらい、より一層アクティブに、そして元気に見えた。

それでも、やはり現実は奇跡のドラマみたいには行かなかった。

今年の年始に彼と会った時、始めて弱気な事を言い出した。

「もうそろそろやわ。多分、会えるのもこれで最後やと思う。」

俺は「そんな事ないやろ!」と言いたかったが、その言葉が出ないぐらい、目の前の彼は弱っていた。

ただすごく冷静に、そして淡々と、もうそろそろである理由を話してくれた。

正月の休みも終わり、彼が東京に帰る日の朝、LINEで「またな!」と送った。
彼は「ありがとう。」と返してきた。

本当は、俺の方が、ありがとうを伝えたかった。伝えたかったけど、伝えた時、その瞬間に最後が訪れるような気がして。だから何も言えなかった。


そして。


あれから5年、病気の事を聞いた日とはまた別の『その日』がやってきた。

令和2年5月8日 の朝 彼は逝った。
正確に言うと、逝ったらしい。

家族のみで葬儀を終え、数日後にその事実を教えてもらった。

訃報を聞いたとき、俺は意外と落ち着いていたが、それから数日、事あるごとに彼を思い出す。

その都度思うのだが、思いのほか悲しみが湧いてこないのは何故だろう?

現実をまだ受けて入れていないのか、何か自分の中で整理ができていないのか。(なんか変だ。なんやろう?)まだ実感が湧かない。素直に悲しいという気持ちになれないのは何故か?


あー。分かった……。


最後、会ってないからや。

最後会って、顔を見て、泣いてないからや。多分そうやな。そう思う事にした。

Yahooニュースでも彼の死が伝えられていた。コメント欄を見て、その数に、その内容に、彼の生きた証があり、それを見てはじめて涙が流れた。

いつかは来ると思っていた『その日』

正直に言うと俺も、何となくそろそろかと思っていた。だからこのnoteに記録する事を始めた。(多分そうだと今では思う)

何かを始めたら、何かが変わると思って始めたのではなく、『その日』が来たとき、きっと何かに思いを吐き出さないと、心が壊れてしまいそうな気がして。動き出せなくなると思ったから。それがすごく不安で怖かったから。

今さらだけど、ありがとうを言おう。

西口洋平君へ

小学2年生の時、同じクラスだったけど、ほとんど話はしなかったよな。

洋ちゃんは休み時間になると、急に立ち上がり教室の後ろに行き、無言で意味不明なダンスを踊っていたよな。

それを見たクラスメイトが大爆笑する中、チャイムと同時に無言のまま席についたよな。

あれめっちゃ面白かった!ありがとう。

小学4年生の時、校区外にあるおもちゃ屋に行きたいけど、1人では不安な俺の気持ちを察してか、「一緒に行こう」と誘ってくれてありがとう。嬉しかった。ただ、行きも帰りも特に話をするわけでもなく、目的が済んだら「じゃあ」って帰ったよな。本当はあの後、洋ちゃんの家で遊びたかったのにな。

小学6年生の時、同じサッカー部でめっちゃ頑張ってたよな。洋ちゃんは、ドッヂボールが上手いから。という理由で無理やりさせられたキーパーを、めちゃくちゃ嫌がっていたよな。でも、ごめん。おかげで俺はキーパーをせずに済んだ。

それでも、自分で道を切り開く精神を、この頃から身につけていたのか、当時はこの世で一番怖いと思っていた大人、誰も反抗できない鬼監督に、「キーパーはもう嫌や!今日でキーパーは辞める!」と、急に怒鳴ってその場を離れた洋ちゃん。よほど怖かったのか、泣いていたよな。

泣くほど怖いのに、戦う姿勢がかっこ良かった。この時ばかりは鬼監督も黙っていた。

鬼も頑張れば黙らせる事ができるんや。身をもって教えてくれてありがとう。

社会人になり、たまに通勤電車であったよな。将来の夢とか話して楽しかった。

ありがとう。
ありがとう。

ちゃんと伝えたかった。正直、後悔している。あの時言えばよかった。

気持ちは整理できたかどうか、まだ分からない。でも一区切り。無理やり一区切り。


分かった事がある。俺もあなたも、必ず死ぬ世界で生きている。

でも生きていたいし、大切な人にも笑っていて欲しい。

気をつけてください。 ウイルスだけじゃないよ。

今生きているのはただのラッキーかもしれないから…。


大阪では明日、長らく出されていた緊急事態宣言が解除されそうだ。

『新しい生活様式』が始まるらしい。

馴れない事にも挑戦だ。

死ぬまで挑戦し続ける。俺の中で伝説の存在となった洋ちゃんのように。

俺も『その日』が来るまで、頑張っていこうと心に決めた。というお話。




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