21歳から始める推しコンテンツの話[音楽編] 平沢進 前篇

はじめに


 皆さんは通勤や、通学などで徒歩や電車で移動する方が多いと思われる。その時ほとんどの方が音楽を聴きながら移動しているのではないだろうか?
(ちなみに自転車に乗りながら音楽を聴くのはNGだぞ)

 私もC県から東京都に通勤している身なので電車の中では音楽を聴いている。そんな中、スマートフォンでTwitterでタイムラインを観ていたら、とあるアーティストのツイートが流れていた。

ちなみにああいうもはディレクターによって作られます。

私はあのMVが大嫌いであり早く消滅して欲しいのですがオマエタチが拾ってくるのでいつまでも不愉快です。

 これを観た私は「この人はどういう音楽を作っているのだろうか。」と思い、このMVを観てみようと思い、早速Youtubeで調べてみた。
 その曲名は

世界タービン

 平沢進を知っている方ならもう察しただろう。私が平沢進の曲で聴いた曲は、観たMVは世界タービンなのだ。

知らない方はこのリンクを飛んで観ていただきたい。
https://www.youtube.com/watch?v=iRMFZuTNY9w&t=120s

私はこのMVを観て、ただ一つの言葉しか出てこなかった。
「すげえ!」と。

そこから私が馬の骨になる日々が始まる。


平沢進氏のプロフィール


 さて私の敬愛する平沢進氏のプロフィールを簡単に紹介したい。

画像1

そのまえにWikipediaから引用。
1973年にロックバンド・MANDRAKEを結成、音楽活動を開始。1979年にP-MODELのボーカル・ギター担当としてメジャーデビュー。1989年以降はソロ活動も行っている。
その他、音楽実験ユニット「旬」、「不幸のプロジェクト」などでも活動していた。
P-MODEL結成後、バンド活動と並行してペンネームでの楽曲制作を行い、プロレスラー長州力の入場テーマ曲「パワー・ホール」を異母犯抄として作曲。ストロング・マシーンの入場曲「ハリケーンズ・バム」も福来良夫名義で作曲している。
アーティストのプロデュース活動や楽曲提供も行っており、宮村優子などに楽曲提供の他、後述のShampooや1985年にはTHE LOODS、1996年にはP-MODELのコピーバンド大会優勝者PEVO(ピーヴォ)をプロデュースしている。
1990年代からはアニメ作品の音楽製作にも進出し、『DETONATORオーガン』の音楽や『剣風伝奇ベルセルク』の劇中歌を担当した。2000年代には今敏監督作品の音楽を担当し、TVシリーズ『妄想代理人』、映画『千年女優』や『パプリカ』の楽曲を手掛けた。第79回アカデミー賞のオリジナル歌曲部門のノミネート対象作品に『パプリカ』のエンディングテーマである『白虎野の娘』が選ばれている。
1999年、後述の理由からメジャーレーベルを離脱。以降はインディーズレーベルで活動を行っている。
 

 これが主な来歴である。本投稿日では66歳の御仁である。
特に、フロントマン、発起人として活動していたP-MODELはテクノ御三家の一つとしても有名。

 現在も、ライブ活動などに力を入れており、去年はなんと、FUJI ROCKにも参加していた。その様子もYoutubeのFUJI ROCKの公式チャンネルに載っているので観ていただきたい。(動画は随時消しては新しい曲が掲載される形式なのでURLは割愛させていただく。)

 ライブについても語りたいのだがその前に師匠が制作した音楽作品について紹介していこう。


楽曲について。

 これから平沢進氏の曲を紹介していきたいが、その前に私のお気に入りプレイリストを先に公開しておこう。

1 世界タービン
2 庭師キング
3 パレード
4 白虎野の娘
5 Big Brother
6 夢みる機械
7 Rotation (LOTUS-2)
8 AURORA3
9 MOTHER
10  BERSERK -Forces-
11  金星
12  論理空軍
13  SPEEDTUBE
14  フル・ヘッ・ヘッ・ヘッ
15  2D OR NOT 2D
16  灰よ

以上だ。

 比較的に入門篇ではないだろうか?馬の骨の方々に問いたい。
ぜひ少しでも興味を持った方はこの時点でブラウザバックしてもらって構わない。そのままYouTubeかiTUNESかケイオスユニオンのサイトに飛びなさい。
だが、師匠の言葉を借りると、「他人に勧めないでください。」との言葉もある。
師匠、すいません。この記事は推しを紹介する記事なんです。。。

 平沢進氏の曲の特徴は、ソフトシンセサイザーを軸に使ういわゆるDTM(デスクトップミュージック)がメインである。もちろん、生音も入っているのだが、おそらく弦楽器やパーカッションなどはソフトシンセサイザーではないだろうか?という考察のもと、この話を進めていく。

 平沢進氏はもともとAmiga OSという今では廃れてしまったパソコンのOSにて作成をしていた。このOSは音楽制作や動画制作に強いOSであったが、AppleやMicrosoftの普及には敵わずなくなってしまったOSである。しかし、平沢進氏は2000年代まで愛用しており、Amiga OSの起動音も担当しているくらいの愛好者だ。
 おそらく、Amiga OSで作った音のアウトプットをレコーディングコンソールに流してProToolsかアナログテープかでギターなどの生音と合成していたのではないだろうか。私はAmiga OSを実際に触ったことがないので真偽は定かではない。
 今現在ではAmiga OSの使用をやめ、(おそらく)Windows OSでStudio OneというDAWを使って曲制作を行っている。

 私が平沢進氏の曲で好きなポイントが3つある。以下にまとめよう。
・声の加工の技術、楽器としてのボーカル
・誰もがやりそうでやらない曲の作り方
・歌詞の作成の意図

後篇ではこの3つのポイントから語っていきたい。


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