エッセイ:私の思う「3の法則」

 note更新3回目のお話は私が生きている中で感じる「3の法則」をお話しします。

まず私は3にまつわる出来事によく遭遇します。
ある日の3時に生まれて、くじ引きをすると3等がよく当たったり、IDなどの数字も3を割り振られる場合が多いのです。

そういう偶然が続いたため、自分にとって3という数字にこだわりを感じています。そもそも3という数字はかなりよく使われている数字な気もする。

「3度目の正直」「仏の顔も3度まで」「早起きは3文の得」みたいに。
デートも3回目までが大事といいます。そして3日坊主なんてことも言われている。3という数字を意識すると、この世には3という数字に満ち溢れていることか。
心理学的用語にも「マジックナンバー3」という言葉がある。
どうやら3という数字には、人間にとってバランスがちょうどいいという感覚があるので、情報を提示するときは3つにまとめると記憶されやすいということらしい。皆さんも参考にしてはいかがだろうか。

しかし、思うところがある。人間の体は3がないのだ。
多くても2つまで、もちろん目などは立体視のために機能的に2つなのだろうが、それにしても内臓などにも3つ以上のものはない。
ちなみにタコは心臓が3つあるのだ。我々はタコ以下である。

これは詭弁だが、人間は2つのものしか持っていない生き物であるため、3を求めているのではないだろうか、人類が1つ先への進歩を求めて社会を発展してきたように、3への渇望と思いが3に対しての魅力に感じるのかもしれない。

3への渇望からnoteの投稿もなんとか3回目の投稿まで続くことができました。
4回目の投稿まで行けばルーティンとして続いていけるような気がする。
書くネタもまだまだあるので、これからも色んなことを書き留めていき
このnoteも「第3の脳」として機能してもらうことにしよう。

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