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23歳、内定取り消し

一浪して立命館大学へ入学した私は、大学4回生の時に就職活動をして一部上場企業のメーカーから内定を得ました。しかし私は大学を卒業することはできませんでした。4回生の秋、私は統合失調症を発症したのです。

オフラインの知人でこの話を知っている人は少ないです。しかしインターネット上での知人の3分の1くらいは知っているはずです。ただ、昨年3月に会社を辞めて、フリーランスになり、Webライターとしての私しか知らない人には、初耳かも知れません。

ここまで書くと、これから先にとんでもなく重たい話が始まるんじゃないかと思うかもしれませんが、そのような結末にはなりません。障害の話はWebライターのお仕事でお付き合いのある一部のクライアント様には打ち明けていますし、この文章自体を私が執筆した文章の実績として公開する予定になっています。つまり見せるようの文章です。少し長くなるかもしれませんが、お付き合いください。

これは私が20代だったころのお話です。

私は内定がありながらも卒業が出来なくなったことを、入社予定日直前の3月下旬まで会社に連絡できずにいました。当時の精神状態は今思えば普通ではなかったからです。

統合失調症の症状としては、幻視や幻聴が有名ですが、私にはそのような症状はありませんでした。私に顕著だったのは迫害妄想と呼ばれる症状です。知ってる方もいるかもしれませんが、「謎の組織に狙われてる」っていうやつです。

この感覚を正確に文章化されたものを私は見たことがありません。世界が禍々しく感じられる強烈な不安感。誰にも信じてもらえない孤独感。そして誰も信じられなくなる不信感。

「現実と妄想の区別がつかない」

という表現をよく目にしますが、人間にとって、五感で感じられることのリアリティーは思っている以上に強力です。見ている光景、耳から聞こえる音、におい、味、手触り、感じているもの全てが自分のとっての現実なのです。もし、それらが否定されたら、自分にとっての現実が失われてしまいます。

統合失調症の患者は病識がないとよく言われますが、それは当たり前なのです。本人にとっては自分が感じていることと、考えていることが現実だからです。ただそれが普通じゃない。いや、そもそも普通とは何でしょうか。

今なら普通が何なのか、なんとなく実感できます。発症から16年が経過した現在、感じられる感覚。ようやく取り戻した安定した生活。少ないながらも自分の力でお金を稼いでいるという事実。なんとか言葉にしようと思って、思いついたのが「社会性」という言葉。これはわりと普通に近い。今、そう思います。

内定先へ連絡することを、母親から強制され、強い不安を感じながら電話をしました。総務部へとつないでもらい、入社できなくなった旨を伝えました。電話越しで聞いた「そうですか……」という言葉は今でも印象に残っています。

それからしばらくは通院で治療していたのですが、迫害妄想が酷くなり入院することになりました。精神科病院への入院です。

精神科病院への入院の目的として、他人へ危害を加えることや自傷を防ぐ、という面ばかりが表沙汰になりますが、あまり正確ではありません。実際の入院の大きな目的は患者と相性の良い薬を探すことです。

統合失調症の陽性症状は相性の良い薬を処方されると2,3か月という期間で目立った症状がなくなります。しかし薬にはいくつかの種類があり、患者に合っていないと、強烈な副作用が発症するケースがあります。処方の方針は医者や病院によって大きく異なります。シンプルな処方の時もあるし、多剤処方によって薬漬けにされるケースもあります。

私は入院して3週間ほどで副作用が発症しないベストな薬が見つかり、現在でも毎日服薬しています。

退院後は自宅で養生しながら、ソフトウェア開発とアフィリエイトで生活してました。もともと私は1998年からWindows用のフリーソフトの開発をしていました。デスクトップマスコットの「伺か」のプラグインや、MSNメッセンジャーの互換ソフトである「Regnessem」のプラグインの開発を精力的にやってました(※当時の事を知ってる人いるかな?)

アフィリエイトでは2004年からAmazonのアソシエイトを始めて、2005年からGoogleアドセンスを開始しました。Movable TypeというCMSで作った雑記ブログです。

ということで実はフリーランス的な働き方は、過去に体験済みだったのです。でも収益は今ほどではなく、実家に暮らしながら障害年金を受給していたので、それほど頑張って稼ぐ必要はありませんでした。そもそも当時はクラウドソーシングなんてありませんでしたし、フリーランスという言葉も今ほど普及していませんでした。ただ好きな事をしている、という実感だけはありました。

Webクリエイターとしてのスキルの下地は、1998年にフリーソフトの公開のために始めたホームページの運営と、アフィリエイトブログのカスタマイズによって身につけました。つまり独学です。実践で覚えたので、そこらへんの制作会社のクリエイターには負けないくらいの実力が付きました。

そして2010年。31歳になったばかりの私はようやく会社員への道に向かい始めるのです。

(つづく)

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