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「ぶらり」への憧れ

サラリーマンの私が、週末に「ぶらり」とアジア旅行に行く記事を書こうと思ったのである。
であるが、「ぶらり」とか言っても、場所がどこであれ海外に行くとなると、航空券を手配したり、あれやこれやと準備したり調べたり、国内旅行とは勝手も違うので、実はそれほど「ぶらり」感はないということは、自分自身が百も承知なのである。
そう、「ぶらり」という言葉の響きには「旅に慣れてる感」があるので、つい、使ってみたくなってしまう。さらに言うなら、「ぶらり」の目的地は、遠ければ遠いほど良い。いや、しかし、遠すぎると途端に嘘臭くなるので、ほどほどな遠距離が良い。

たとえば私は関東在住なので、
「いやあ、実はさ、一昨日からぶらりと名古屋に旅行してきたんだよね」
と伝えられるよりは、
「いやあ、実はさ、一昨日からぶらりと札幌に旅行してきたんだよね」
と言われた方が、「こいつは旅慣れていやがる」感が一気に表出して、嫉妬と羨望のまなざしで見てしまう。
これが海外旅行であると、さらに嫉妬と羨望の度合いが増すのだが、ひとつ注意点としては、
「いやあ、実はさ、ぶらりとバンコクに行って、昨日帰国したんだよね」
というのであれば、まだそれっぽい響きがあるが、
「いやあ、実はさ、ぶらりとリオデジャネイロに行って、昨日帰国したんだよね」
となると、ちょっと嘘臭い。かなり嘘臭い。そんなにぶらりとリオデジャネイロなんて行けるのか!?とも思ってしまうだろう。

冬の釜山・チャガルチ市場。アジアは「ぶらり」に程良い距離。

海外に「ぶらり」と旅をするにはアジアはちょうど良い距離感なのであるが、私が週末にちまちまとアジア界隈に出かける際は、むしろ、けっこう計画を練っている。練りまくっている。何かのインスピレーションが降ってきたかのごとく、思い立って「ぶらり」と行くわけではない。
ましてや、セコ旅である。旅の回数を増やすべく、いかに1回の旅費をセコくおさめるかということが大事なので、航空券の手配の段階で、何ヶ月も前から計画を練っている。練りすぎるくらいに練りまくって、価格を吟味している。

世の中で行われている「ぶらり旅」は、もしかしたら本当に「ぶらり」なのかもしれないが、実際のところ、「ぶらり旅」における「ぶらり率」がいかほどのものなのか…というのは、かねてからの疑問だったりする。
世の中にある「ぶらり」への羨望。「ぶらり」という言葉への憧れ。
時に「社畜」などと評されるようなジャパニーズサラリーマンの私にとっては、「ぶらぶらしたい」なんていうのは永遠の憧れだ。
「ぶらり」という言葉には束縛を逃れて自由をもたらしてくれるような、素敵な響きがあるのである。

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