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※当記事では「FIRE」(経済的な自立と早期リタイア)を尽くこき下ろします。「FIRE」を夢見ている人、目指している人はブラウザバック推奨です。


まず、なぜ今回「FIRE」について持論を展開するか、についてお話したいと思います。元になったのは先日発表されたアメリカの雇用統計に端を発します。雇用統計はほぼ市場予測通りだった結果、FRBの金融引き締めの手が緩むことはない、との観測からダウをはじめとした株価は下落しました。

その中でわたしが気になったのが労働参加率です。特に顕著なのは65歳以上の労働参加率がコロナ前の水準に戻っていない点です。つまり、コロナを理由に雇い止めに遭い、そのまま職場に復帰しない人たちが一定数いるということです。さて、この人たちは「FIRE」を達成して労働市場から「引退」したのでしょうか。答えはNOです。

まず根本的に労働に参加しない人たちは生産力を生みません。生産力を生まないということは基本的に社会保障なり、誰かの支援により生計を立てることになりますので、これは≒社会のお荷物です。例えば金融所得や不労所得があったとしても、それは誰かの生産力から得た収入を吸い取るだけですので、社会に価値を生み出す生産力としてカウントされません。


つまり、「FIRE」などとのたまって労働から解放されようなどという考え方は、本来自分に与えられた生産力の期待値を無視し、自分より弱い立場の人間、あるいは自分より能力の高い人間に生産力を押し付ける行為に他なりません。みんなが「FIRE」などという甘えた考えを持った国はどうなるでしょうか。結果として新興国や移民に頼った考え方にならざるをえないでしょう。

はっきり言ってクソです。誰もやりたくないような仕事はどんどん高給になっていき、そしてわたしたちが享受できる一般サービス、一般消費材の価格はどんどん上がっていくでしょう。いくら「FIRE」しても生きていくのにかかるコストがどんどんあがっていくのです。
結果的に国民総貧困化がオチです。


つまるところ、「FIRE」とは「自分さえよければいい」という身勝手な妄想に過ぎず、周りが皆「FIRE」したら困るのです。投資なり、蓄財なりで「FIRE」を達成し労働から一抜けた時点で、誰かの労働力に頼った生活を送ることになるということです。あまりに無責任で怠惰であるとは思いませんか。

労働力や生産性の向上に努め、社会に新たな価値を生むことがそれほどまでに嫌で仕方ないのであれば「FIRE」すればいいでしょう。それも資本主義で自由主義の中ではひとつの生き方だと思います。
しかしわたしは「FIRE」した人間を心底軽蔑し、気軽に「FIRE」などとのたまう連中もすべからくバカにしています。


自己実現を含めた大きな夢や野望を持った人間を応援し、その人たちに負けないよう自分も努力を惜しまない。わたしはそういう人間に憧れますし、そういう人間でありたい、と思っています。

もし、ここまで読んでくださった方の中で、わたしの「FIRE」という考え方に異議や反論がある方は是非コメントをしていってください。ひとつひとつ丁寧に読ませていただきますし、わたしの考えに誤りがあるのであれば考えを改めていきたいと思います。



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