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広島の小吉は厨二病!(3/24)

気に入ったリップは必ず翌日にポケットから落下させてしまう。「このポケットの形状だとすぐに落としそう。実際に何回も落としてる」というジャケットがある。最も頻繁に着用しているものだ。
ある時はAirPods、ある時は鍵、そして最も落下回数が多いのがリップだ。何度も何度も何度もポケットに入れては落とすので、登場回数分落としてきたことになる。
ここいらで「リップ落下の解剖学」をトリエ先生にして頂きたいくらいだ。

例えば福岡出身の芸人さんがいる。博多の中吉大吉だったか、華丸大吉中吉だったか、何回も間違っては指摘されてもシナプスが混乱して分からなくなる。いや、分かっているのに分からない、みたいな感覚が近いだろう。

これは何かの病なのだろうか?

ちなみに顔はよく覚えていて(順当な忘却の典型的な例と言えそう)なおかつ、結構好きな人たちである。(お二人の風貌が記憶では瓜二つなので、どちらにも大吉の称号を授ける者が現れてほしいところだ。でも、中吉だって気の持ちようなのだから、これからも頑張ってほしい。)

テレビのリモコンを「これはテレビのリモコンである」と分かっているのにテレビのピッピと言ってしまったり「歯磨きは、歯を磨いているのだから歯磨きだ」とわかっていても、"はみばき"の可能性を捨て切れない気持ちになる現象に似ている。
この、分かってはいるけれども分からない気もする症状に言葉は存在しているのだろうか?

これを読んでいる多くの人たちから「ピアノの練習ばっかりやってきた奴は大人になってもこうなんだな。やべぇー!」(なぜかハマのギャル男設定)などとゴロつかれているかも知れない。自己評価に基づいて「恥ずかしい」と感じる事はあれど、他者の評価での恥ずかしさはそんなに感じないタチなので、遠慮なくそんな生き物を時折眺めて楽しんでもらいたい。


また、結果がわかっているのにやってしまうこともある。例えば私の可愛い可愛いシトロエンちゃん(C4)は傷だらけだ。故意ではないが故意にやっているので当然である。

「今、この角度で入れば確実に擦る」と分かっている曲がり角があるとしよう。

誰もいない田舎道や自然エリアに行くと、途端に私の過剰な警戒心がゼロになる。(なんでも過激)
あんなにも街中であらゆる歩行者にビビりあげてノロノロ運転をし、いちいち停止して左右の確認ばかりやっているというのに、人間がいなくなると広島の小吉が顔を出すのだ。

確実にこんな感じで擦るだろうな。擦ったら修理にすごいお金かかるよな。と思いながら、擦ってみたいわけではないけど擦る。この感じ、わかるって人いる?

想定のコースで行って、想定通りに擦って、やっぱり擦った!みたいにキャッキャし、車を降りてめちゃくちゃ擦られたボディを見て「やっぱり擦ってるな!」と興奮してから、なんで結果の分かっていることをやるの?というモードに突入する。

理解不能な人もいるかもしれないが、そういうふうにして、自分のシトロエンちゃんと離れたら泣いちゃうくらいに愛しているのだ。

え、この現象って厨二病ってやつか?厨二病なのかアホなのか暇なのか分からないが、何せそういう事柄と我が人生は切っても切り離せないところがある。

海外生活のためにいよいよシトロエンちゃんを手放さなければならない段になり、文字通り落涙した(年に一回泣いたら多い方の私が!)。
査定では傷だらけのせいで評価が著しく低い私のシトロエンちゃん.... 誰にも分からない私の愛の形である。

むしろ、私の愛の形をそう簡単に分かられてたまるかよ!小吉には、小吉なりの矜持ってものがあるのさ。

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