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「私は偶然に転がっていたい」(2/20)

今日もなかなかハードな一日だった気がする。ハードだったのだろうけれど、いや、ハードだったのだけれど「気がする」と言ってしまうのは遠慮がちな性格によるものではない。疲れすぎてサハラ砂漠のようになっている脳みそ(イメージ)が限界に近くなってシュッシュと蒸気を出すやかんに成り果てているせいだ。コジコジだったか、ちびまる子ちゃんだったかの漫画に出てくる、顔面がヤカン、そう、アイツのイメージ。
こういう時に画才があったらサラッと"アイツ"だって描いて見せるのだけれど、絶望的な描写力と写実性、あらゆる分野で"再現"が苦手な性分で、残念ながら「アイツ、そうアイツのことさ」としか言えないのが悔しい。加えて、疲れてない時でも鳥取砂丘くらいには記憶力が砂漠なので(イメージ)、蜃気楼のように無いものをある!と主張することだけはないように努めていきたい。

日記は良い。唐突に、失礼。日記を書き出す時は砂漠の風に目も霞むような気持ちなのだけれど、書き進めていくと少し元気になってくる。「なんだ、普通に水道あんじゃん!」みたいな安堵感。

そういえば、朝から中國新聞社さんで若者に向けたメッセージを届けるための取材を受けた。私が好きな類の取材だ。自分が若かった頃、留学するにも先人の情報が少なかったし、作曲家としてデビューするにもコネもなければ何もなくて闇雲に手探りだった。色々な生き様があり、方法があることも全く知らなかった。だから自分は、若者がヒントや救いやアドバイスなんかを求めて何かを探している時、偶然に転がっていたいという気持ちがある。社会の中でどんな自分でありたいか、と問われたら「私は偶然に転がっていたい」と答えると思う。

一本目の取材の後、とある企画の相談を受けるため別の記者さんにお会いした。その方の熱意とか文化貢献に対する謙虚なお考えに賛同するところも多かったので、私に考えられるだけのアイデアや気持ちは述べた。述べながら、これは自分にも言えることだな、などと思った。コツコツ地味に続けることが自然と説得力という力となって、人の目に留まっていくということ。

それから広島駅の方に移動して、テレビ派の生放送に出演した。森(拓磨)アナウンサーは今年も日南や沖縄キャンプに取材に行ってらして、現地からたまにキャンプ小ネタ実況中継を送りつけてくる。私は羨ましい気持ちを少しも隠さず「くそ、めっちゃ自慢してきよる...」などと一発退場レッドカード的な汚い言葉を可愛い絵文字でなんとか誤魔化しながら返したり、何の意味もない写真とか、日南市で有名な焼肉のタレの写真を無言で送りつけたりして存在感を見せつけた。まあまあしてやったりの顔でスタジオに入ったわけだが、森アナは取るに足らないって感じに日焼けした爽やか顔で「あの写真、どうせーちゅうの!」と勝者のツッコミを入れてきた。(このくだり、かなり盛ってます。すみません、プレイです)

...というやり取りをするような仲(間)なのだが、キャンプのお土産にキャンプ用のカープ帽を「世武さん、これお土産」と本番前にくれたので、好きだ。

20日もあと5分を切っているではないか!ちょっとラクダをそこで待たせてるいるので、今日はこのへんで!

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