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OLYMPUS E-520を取り出して彼岸花を撮ってきた話


そもそも最近はデジタル一眼から遠ざかっていたけれど、運動会となるとiPhoneのカメラでは心許ない。

E-M1を取り出して、フォーサーズ規格のキットレンズであるZUIKO DIGITAL 40-150㎜F4-5.6 EDをMMF-3を介して装着する。我ながらフォーサーズ→マイクロフォーサーズへの変換というルーティンに何の意味があるのかと思うけれど、初めて手にしたデジタル一眼であるE-520への感謝を忘れないため、そして初心を忘れないための儀式なのかもしれない。フォーサーズ規格のレンズを使わないことが勿体ないという訳ではないと思う。多分。

運動会は今回が初めてではないし、これまでもZUIKO DIGITAL 40-150㎜F4-5.6 EDの描写性能には正直満足していないところがあった。勿論、カメラ側の設定や撮り手の腕が良ければ10年以上前のキットレンズでも十分に質の良い写真は撮れるのだろうけれど、残念、というか、当然ながら僕にそのような知識も技術もない。

では何故もっと高性能なレンズを買い足さないのか?
理由は単純。何を買うか決められないから。

次に買うズームレンズの候補はいくつかある。

1 M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO
焦点距離はZUIKO DIGITAL 40-150㎜F4-5.6 EDと同じでf値は通しでF2.8とズームレンズとしては明るい。OLYMPUSのPROレンズということで、ユーザーの評判も上々。しかし、テレ側がもう少し欲しい(200mm=フルサイズ換算で400mm)と思っているので、なかなかコレと決められない。

2 M.ZUIKO DIGITAL ED 12-200mm F3.5-6.3
焦点距離はワイド側もテレ側もZUIKO DIGITAL 40-150㎜F4-5.6 EDよりも広く、これ一本あれば大抵の撮影シーンをまかなえてしまう。
これは本当に悩んで、何度か心の買い物カゴに入っては出してを繰り返したレンズ。購入に踏み切れなかった理由は、ZUIKO DIGITAL 40-150㎜F4-5.6 EDと写り方が重なるところ。新しいレンズを買うときには、今持っているレンズのアップグレードではなく、何か別の個性を求めてしまう。人の心はないものねだりがデフォルトのようだ。

3 LEICA DG VARIO-ELMARIT 50-200mm / F2.8-4.0 ASPH.
パナライカのズームレンズ。焦点距離も明るさも十分。OLYMPUSレンズとは違った個性。ワイド端が50mm(フルサイズ換算で100mm)になることを考えると、手の届く範囲を撮るのは難しいものの、僕が必要としているスペックを備えたレンズ。
このレンズ、ほぼ同じ焦点距離のレンズがLUMIXブランドならお手頃な値段(3万円くらい)で買える(LUMIX G VARIO 45-200mm/F4.0-5.6 II)。これとどちらにしようか迷っているので購入に至らないのではないかと考えている。ここまでくると優柔不断とも言う。

結局どれも決め手に欠き、運動会当日は去年同様にE-M1にZUIKO DIGITAL 40-150㎜F4-5.6 EDをMMF-3を介して装着するという、無駄にレンズ長を伸ばしただけの凡庸な構成で臨むことになった。

今年はコロナ対策ということで、大幅に観客の数を減らしての開催となり、そのおかげで常に最前列で撮影ができるという恵まれた環境だった。
それでも望遠が足りない場合には、デジタルテレコンを使用したりして何とか我が子をファインダーに収めようと必死になる。世のお父さんは本当に大変だ。

帰宅後に現像するも、まあまあな写真ばかり。撮りたい写真と撮れた写真のギャップにガッカリすることには慣れているけれど、そろそろレンズを(場合によってはカメラを)買い足しても良いのではないかと真剣に考えるようになった。

もやもやとした気分になったので、疲れて寝てしまった家族を家に残し、一人で写真を撮りに外出した。

そのときに持ち出したのがE-520だったという話。

なぜE-M1ではなくE-520かというと、普段ブツ撮り用に使っているSIGMAの30mm F1.4 EX DC HSMが着けっぱなしになっていたから。暗いズームレンズでもやもやした気分を、明るいレンズで硬い写真を撮って発散したかったから。
何度でも言うけれど、レンズは悪くない。悪いのは僕の腕と怠慢さだ。

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現行機種に比べると1段も2段も性能の劣るカメラとレンズでも、モノクロ写真にするとそれが味として出ることがある。JPEG画像をLightroomでモノクロにしただけでも「カッコイイ風」の写真を撮ることができる。
バリアントモニターなんて付いていないカメラ。踏切上に長い時間とどまってはいられないので、一瞬だけしゃがんでシャッターを切る。
右側をもう少し切ってしまえばシンメトリーな画になったのだけれど、ちょっとした違和感を残すことで撮影時の状況を思い出すことができるので、これはこれで面白いと感じる。

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モノクロでも分かるメッキ部分の質感は一眼でなければ出ない美しさだと思う。
翌日にツーリングに行くのだそうで、綺麗に磨かれていた。共通の趣味を通じて出会い夫婦になるケースもあり、結婚後も揃って趣味を楽しむ。それはそれで良いことだと思うけれど、個人的には夫婦の趣味に全く共通点がなくて良かったと思っている。趣味を楽しんでいるときくらい自分だけの世界に没頭したい。

多分、僕がE-520についての思い出を語ったところで、妻には何ひとつ響くところはないだろう。それは僕の語り方が悪く、さして面白くもないエピソードしか持っていないせいでもあるのだろうけれど。

幸運なことに息子がカメラに興味を持ってくれている。きっと、E-520は息子の手に渡り、そのうちE-M1も息子の物になるだろう。
父子で繋ぐセミオールドカメラというのも悪くはない。いつか来るその日まで、もう少しE-520とは付き合うことになるけれど、飽きずに聞かせるエピソードができるかどうかは、僕の行動次第なんだろう。

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