どーしてもやりたいことは?
私の自分の人生を振り返った時に一つだけ、成し遂げてきたことがあると思ってきました。
それは自分の心に嘘をつかないこと。
私が思う自分の心に嘘をつかない、というのは、やりたいことはなんでもやるとか、そういうことでもなくて、自分の心をそのまま見つめる、と言うこと。
私は小さい頃からいろんなことをやらされてきた感がありますが、自分の心に嘘をつかないというのは、それは「やらされてる」ことで、やりたいことではないんだと自分でわかっていること。
やりたくないなあと思いながら笑、そんな自分の心に嘘をつかないで、でも、しゃーないからやるか、みたいな風に思えること。
人のことを見ていると、やらされていると、いつしか、やらされていることがやりたいことにすり替わってしまっていたりするのですね。本当はやりたいことでもないのに。
やらされるとまではいかなくても、みんながやっているから、それを私もやりたいんだと思い込んでしまっていたり。
みんなが良い大学に行くから、私も行きたいとか、みんなが良い会社に行くから、私も行きたいとか、みんなが留学するから、私も留学したい、とか。
私はそういう他の人たちのやりたいことはことごとくスルーして、自分がどーしてもやりたいと思ったことはやってきたように思います。
家族の中に反面教師がたくさんいたので、そうなったのもあると思うし、私の場合、「どーしても」という枕詞が大切で。なぜかと言えば、それほどの強い気持ちがあるものでないと要求が通らない環境に小さい頃からいたから。
やりたくないことに囲まれていたので、やりたいことが際立ったとも言えるかもしれません。
そういうわけで、選べる選択肢が少ないのが幸いしてか、どーでもいいものはスルーして、どーしてもやりたいことを選べてきたのかなあと。
「なんでそんな役に立たない専攻に行くの?」と言われながら、大学で哲学専攻を選んだり、大学卒業を目前にして、オーストラリアに留学することを勝手に決めたり、せっかく入った大学院を一年で辞めて、他の大学院に入り直したり。研究生活を手放すことにして、歌を突然始めて、ボストンのバークリー音楽大学に学びに行ったり。
そういうどーしてもやりたいことができたら私はよくて。なので、今日の夕ご飯が何だとか、そういうことは人に合わせても全然よいという感じなのですが、どーしてもやりたいことはできるようになってきたので、そういう日常のささいな「やりたい」も大切にしていってもいいのかなあと最近は思ってます。
「どーしても」やりたいことには一直線なのですが、それ以外のことに「〜すべき」がたくさんくっついていることに気がつきまして。
人には丁寧に対応すべき、とか、空気を悪くしないようにすべき、とか、気分を害さないようにすべき、とか。
そういう日常のことでも自分の「やりたい」を大切にしていきたいなあと。
「どーしてもやりたい」とか「やりたい」の良いところは、そこに何も余計なものがくっつかないこと。
ただやりたいから、やりたい。
山があるから登るのだ笑
なので、上手くいかなかろうと、理不尽なことが起きようと、そんなことはどうでもいいのです。
そうやって生きていくと、自分の人生の輪郭みたいなものが、最初はうすらぼんやりとしていたものがだんだんはっきりしてくるんですね。
自分にとって大切なものの輪郭が。
あなたの「どーしてもやりたいこと」は何ですか?
あるいは、日常のささいなことのやりたいことは?
ちょっと考えてみてくださいね♪
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