#令和元年にやりたいこと

2019年 令和元年なんだって。

4/1 (月) 11:30 テレビ中継。各SNSでのライブ配信。
その時、私はそれどころではなかった。 
彼がいるインナー打ち合わせ終わりで、何か受け取った指名に取り掛かろうとしていた。

元号を予想する人。元号の発表を今か今かと気にする人。
が大多数の中で、私は全く気にならなかった。
元号が変わっても、世界が、社会が何か変わるわけではない。
と、何だかツンケンしていた。
それか、元号なんて気にしている精神的余裕がなかったのか。

今年1月からは、スピードは毎度のことながら怒涛だったが
思い返すと断続的で、かつ悶々としている。(継続中)
そんな中、元号が変わった。くらいで、私の状況は変わらないのだ。(なんて冷めた感じで)

それよりも、4.1 正確には4.2は私にとって別の理由で思い入れがある。
入社してちょうど1年。エモい。
これもまた、今だから言えるが当日の実感はほとんどなかったのだが
同期や友達がストーリーにあげているのに便乗した。
   
    ”事由書から始まった入社式。1年早い。若い。”

それから、一気に実感が湧いてきた。
当時の気持ち。(と言っても1年前だが)
あれから研修、配属を経ての今とを比較するととても複雑な気持ちになった。
成長の実感よりも、フレッシュさやエネルギー、勢いみたいなものが失くなっていることがつらかった。

特に、私の場合は5年間入りたかった会社に入り
同期初の事由書からの結果的に3枚提出者にして
第1希望の配属に行かせてもらえた”シンデレラガール”。

そんな目標を叶えたはずの人間に生まれる感情がこれ、というのがショックだった。思っていたのと違う環境はよくあることだ。ただ、そのどうにも変えられない状況が続いていることが私にとっては堪え難い。

今までは、何かしらアクションを起こせば変えられることが多い、人生だったから。「社会はそんな甘くない」という認識や周りの当たり前を受け入れることが出来ない質だから。人一倍、無駄に考え悩む。面倒な人間だ。

4/2の夜。研修班での1周年記念日お祝い。という名の先輩の結婚お祝い。
(体調不良で本人欠席のため、チルい班会 前編となった。)
班員とリーダーと近況を交えながら1年前を振り返った。
そこで、リーダーから出たお題。

”この1年でできるようになったこと、2年目でやりたいこと”

これに対して、直感的に思った。
出来るようになったこと・・・ない。

そんな時に口から出てきたのは「あるプランナーのための社内での根回し」
もっと細かいことは色々あるだろうだが、年明けから私がしていることと言えばこれに尽きる。やさぐれている。

そして、2年目の目標について
「経営戦略とグローバルの案件をやりたい。」
本心。配属後からずっと意識し、発信し続けていることだ。
今年に入ってからは特に。

そして、次の日。
先輩のところに昨日のお礼をしに行ったときのこと。
流れで、昨晩話に出ていた先輩が1年目の時の日記を見せてもらった。

そこには、思ったように行ってなくてつらいということが鮮明に書いてある一方で
家族や先輩など周りの人の支えや仕事があることへの感謝、それを胸に上を向いて歩いて行こうと言うような前向きさが綴られていた。
言葉で言うのは簡単だが、人間が忘れがちなことNo.1。まわりへの感謝。

恐いくらいモーメンタムをとらえられていた。
その少し前に、部長の部長に現在の担務を変えてくれるように話をしていた。それは、パワハラプランナーが原因と言うよりはそれに振り回される先輩やプロジェクトが自分にとって利を持たないという言い分からだった。

そんなことを言い放ち、早々にデスクを離れて帰るところだった。
その時、不意にされた話。(その後、聞いたら顔が死んでいるからそういう話をしてくれたそう)話を聞いている途中、ジーンと目の周りが数回熱くなった。

まず、反省した。
改善や工夫ということを試みずに、逃げようとしたことに。
少しでも、状況が良くなるよう自分でな何か行動を起こしたか。

先輩に不平を言うことも、上司に状況報告することも、誰かにアドバイスや助けを求めることもしても無駄だと決めつけ、しなくなっていた。

         「どうせ、状況は変わらない」

聞き覚えのある言葉だ。私の部全体が持つ共通認識。
動かない上司。使えない上司。と、部員は改革に対して消極的だ。
私は配属直後から、そんな部が、部員が不思議でしょうがなかった。
そして、嫌だった。自分は絶対そうなりたくないと思った。
影響されず、自分だけはそうならないようにと言い聞かせていた。

なのに、気づいたら自分もそうなっていた。と、気付いた。
あんなになりたくなかった人間になってしまっている。

そして、帰りながら考えた。
思えば私は、営業という立場でありながら社内も社外でもなく
自分のやり方や感覚を優先としてきた。(ペーペーのくせに)
自分が正しいと思うやり方や考え方と違うことに疑問やストレスを感じ
それを押し付けられると、やる気を消失させる。0か100しか出来ない、と言って。

なんて、自己中なんだ。これが”自分らしさ”・”自分の軸”などと勘違いしてきた。会社で働くということ、人と生きるということは、時に自分とは異なる考えや方法と遭遇し、それと調和することだ。自分だけの世界ではないのだから。

自分らしさがなくなる、なんてのは弱音や言い訳だ。
ということに、気付きました。

長くなりましたが、#令和元年にやりたいこと として
目標という意味でも「どうせやるなら、楽しく」をモットーに
人と生きる中で新しい自分らしさを見つけたいです。
そのために、工夫を怠りません。という宣言で終えます。