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過去の自分を大切にしたい

「喉元すぎれば熱さ忘れる」とはよく言ったもので、過去の苦しかった記憶や嫌な記憶をそのままの気持ちで留めておくことは難しいし、何よりそのままであったらその蓄積に耐えられなくなってしまうだろう。

子どもに対して「よくそんな言葉知ってるね」「あなた小さいのにそんなこと思うんだね」と言っている人を見ると、わたしは腹が立つ。子どもだからって、なぜ難しい言葉で気持ちを表現したり、的を射たことを言ったら驚かれたり、それがおかしく写るんだろうと、子どものときに思っていたからだ。

わたしの子ども時代は、たしかに苦しいことがたくさんあった。初めての苦しいことの連続だ。初めての経験が多いから、初めて楽しいこともあれば苦しいことがあるのも当然だ。保育園でも小学校でも、30人前後の人たちと毎日会って関係を保たなければならない。嫌われたり、嫌いになったり。好かれたり、好きになったり。子ども時代それらを突き放すことは、とても難しい。突き放した先の世界を知らないのだ。そこはまったくの孤独のように思えたと思う。

大人になるにつれて、だんだんと世界が広がり、見えて来る。苦しい経験も、何度か重ねるにつれて、対処法や、「あああのときも」と、理解することができるようになる(かといって苦しさが減るというわけでもないが)。子どもは、大変なのだ。決して軽んじられる相手ではない。

昔の自分を大切にしてあげることは、今の自分を大切にすることと同じなのではないかと、ふと、思った。わたしは過去の蓄積の上にいるから。

わたしは、過去の自分を大切にして、周りの人間のことも大切にしたい。過去のわたしを慰めて、周りの人も慰めたい。特に、子どもの気持ちを大切にしてあげたい。大人がなんとなく想像する何倍も、子ども時代は大変なのだ。

大人も子どもも関係ないことはたくさんある。

大人のほうが鈍感になれる、人に対して冷たくなれる。

あのときこう思ったことを、忘れすぎていたら、もうそれは自分ではなくて、あのとき見た見知らぬ大人だ。

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