救急医療に疑問を持つ

救急とは何か、広辞苑をひいてみました。
「事故や急病による傷病者に対して適切な医療行為を施行すること。」

医療者であれば当然の内容ですが、例えば心筋梗塞であればゴールデンタイム90分以内にカテーテルで再開通を目標、脳梗塞であれば4.5時間以内に(適応があれば)t-PAでの再開通を試みるわけです。これらの緊急疾患は時間経過とともに救命率が下がる(あるいは後遺症の頻度があがる)わけですから、適切かつ迅速な医療行為が必要なわけです。

しかし、僕が初期研修を経る中で、必ずしもこれらだけを救急と呼ぶのは早計なのではないかと思うことがありました。

重症なものでは、脳梗塞、心筋梗塞、急性腹症などを、軽症例では胃腸炎やインフルエンザを診療する内科当直中、ある高齢者が運ばれてきました。
(ほぼ実話です)

主訴は、どうも体の具合が悪いと。ルーティンの如く、現病や既往など諸々を聴取のうえ身体所見を取るわけですが、加齢性変化を除いて特記所見はありません。いわゆる不定愁訴の類いです。

ここで何も原因がないと決めつけることは医療者として失格ですが、時として、本当に何も理由がないことが意外に多くあります。

よくよく付き添い配偶者に事情を聴いてみると、「介護に疲れてしまって、次回外来まで入院させて欲しい。」とのこと。こういったことは、地域支援病院の2次救急ではよくあることでしょう。

ここで生じたプロブレムは、確かに医療者にとっては緊急を要する病態ではないのですが、果たしてこれは救急車を呼ぶべきではないのか?当の本人にとっては、迫った問題として入院を希望しているのであって、邪見に扱うのは間違えではないかと感じたのです。

反論として、緊急疾患でないのに関わらず救急車を呼べば、本来助かる命すらも犠牲になるのではないか?という意見は真っ当です。しかし医療に精通していない一般の方にこれらの判断をさせるのはあまりに酷なことではないかと思います。彼らにとっても緊急事態を、医療者が善悪を決めることはいささか疑問が生じます。

しかし、現在の日本の救急医療の枠組みではこれらを解決できていないのが現状です。これから高齢化が一層進むなかで、果たして現状維持で適切な医療ソースのアサインメントが続行できるのか?医療者と受診者の乖離について悩む日々ですが、良いアイデアがあれば記事にしてみようと思います。

それでは。

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