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第二章:20歳~ 次の夢を見つけるまで 【 波瀾万丈な半生を歩んで、人生折り返し地点でようやく立ち上がるまでのお話 】

KINGです。おはこんばんちは。

いやぁ、やはり日が空いてしまいましたね。。
『日記のように』毎日書いていく というのは早速守れませんでしたが、
時間は掛かっても最後まで書き切る というのは死守しようと思います。

どうぞ駄文にお付き合いくださいませ。



◆ 中学の修学旅行以来の東京!進出!!

さて、前章の続き、上京したところからですね。
今度こそ、本当の一人暮らし、初めての東京住まい、色々と初めて尽くしの中でも とりわけ大きな変化は、やはり役者としての環境の変化です。

劇団ひまわりとしては やはり東京本社の方に力を入れているわけで。大阪支社の俳優養成所は週一レッスン、基本的に演技についてのみ(だったかな?確か…)だったのが、週に何コマもレッスンがあり、演技は当然のこと、発声、歌唱、ダンスや日舞、ミュージカル向けなど 多岐に亘った授業がありました。
【大阪からの移籍=周りの同期の連中より少しだけ経験者】みたいなアドバンテージなど端から微塵もなく、同期の役者仲間達と切磋琢磨しながら高め合う日々の新鮮さに 毎日が輝いているようでした。

まだ自分が【舞台役者】になりたいのか【映像向けの俳優】になりたいのか、それすら決め切れていないような駆け出しペーペーの自分には、たまに入るドラマのエキストラの仕事すらも、心躍る経験になったりして。
それと同時に、撮影現場でなくとも 街中を歩いているだけでもたまに芸能人を見かけたりして。
なんか、田舎モン丸出しですが『東京って、なんかスゲぇ…』と思ったり。それにすっかり馴染んでいく自分も居たり。
とにかく、基本となる人間性はそう簡単に変わったりしないんでしょうけど、上京して超スピードで変化していく自分に感動したりもしましたねぇ。

と、そんな忙しい毎日を過ごしていて約1年 21歳の時に、急な変化が舞い込んできたのです。
当時付き合っていた 同期の役者仲間の彼女(A子さん:仮称)が、妊娠していることが分かりました。
役者になりたい!という夢を抱き、その夢のための活動をするのに最適な地として上京することを目標に必死でお金を稼ぎ、ようやく上京して 正に役者道を歩み始めたばかりの、夢の真っ只中でした。
が、

『 結婚しよう 』

口をついて出た言葉は、プロポーズでした。


◆ まさかの、21歳で結婚! 21歳でパパに!

そこからは、また生活が激変です。
俳優としての道は一旦歩みを止め、家族を養っていくに足る収入を稼がなければならない。自分一人の人生ではなくなったのだから、当然です。
バイトを掛け持つか? 時給のより良い派遣の仕事を探すか? 就職すべきか?
色々考えましたが、A子さんも同じく役者を志していた者として、今後の役者としての再始動の道を閉ざしては欲しくない、A子さん自身が役者の道から退くことにする分 その夢を託したいという意向があり、とりあえず時給の良い派遣の仕事で繋いでいくことにしました。
今思えば、この時の派遣の仕事が、初めての IT系の仕事でした。

IT系の職歴は無かったけれど、高校の時にパソコンに触れる機会はあり、そんなに抵抗なく仕事には慣れていきました。
それなりに収入もあって、なんとか家族を養っていけているつもりになっていました。
しかし、まだ時代は【IT系業界では過剰な残業なんて当たり前、不眠不休を自嘲気味に自慢する風潮】でしたから、ご多分に漏れず残業三昧の日々。家に帰れない日も月に何日かあるのが当然のスケジュールでした。
誕生した娘(B子ちゃん:仮称)がまだ1歳にも満たない頃、A子さんが育児ノイローゼになり、もう東京(=頼れる家族の居ない地)には居たくない!と。。
B子ちゃんを連れて A子さんの実家へと帰ってしまいました。この時点で、もう東京に戻る気はないと ほのめかされました。

ここで、婚姻関係を続けたまま別居状態になることを選んだことが 正しかったのかは分かりません。が、その当時の仕事への責任感もあるし、ゆくゆくは役者として再始動したいという思いも薄らいでませんでしたし、そうなるべくしてなった感じでした。


◆ 役者道、再び! そして…離婚

A子さんとB子ちゃんと離れて暮らすことになった寂しさはあれど、
育児ノイローゼになって自暴自棄になっている姿を目の当たりにしてしまった後では、親元で育児サポートしてもらいながら快復に専念してくれているというのは、安心感にも繋がっていました。

徐々にですが、役者としての活動も再開し始めていきました。
とは言え、劇団ひまわりの俳優養成所は既に退所してしまっているので、
当時の役者仲間達との繋がりで 演劇ユニットを結成し、
定期的にどこかの会議室を借りて自分達で自主稽古をしたりして。
彼らは現役でひまわりに所属している人が多かったし、
中には 次のステージに軸足を移している人も居たりと、
新鮮な情報や感覚は相互に与え合える環境の中で、自分も役者としての感覚を取り戻していきました。

派遣の仕事と並行しての役者活動でしたが、やはり残業の多い仕事と並行して というのは足枷となり、より時間的な余裕を作るためにアルバイトに切り替え(でも、一応 IT系に入る業態のもの)、
もっと本格的に役者として動き出します。
仲間達との自主稽古と、
その延長として 小さな劇場を借りて自主公演の舞台を打ったり、
映像方面へのアプローチとして 芸能事務所への所属オーディションにも積極的に応募、
結果的に事務所への所属もしました。(短期間だったけどね…)

そんなこんなで忙しく生活していたら、いつの間にか【結婚して一緒に暮らしていた期間】よりも【別居している期間】の方が長くなっていました。
A子さんは地元で楽しく暮らしているとの情報は耳に入っており、当時の育児ノイローゼの心配はもう無かったものの、もう東京に戻ってくる気も無いと言われている。

…これは、話し合わねば!

いついつそっち行くから と伝えて、A子さんの実家へ向かいました。

A子さんのご家族は とても気さくで寛容なお人柄の方々で、
久し振りに会う俺を快く迎え入れてくれ、楽しく食卓を囲み談笑し、
夜中、B子ちゃんも寝入ってから A子さんと向かい合って話し合いました。
朝方まで話し合った結果、離婚することに。24歳の時でした。

翌朝、そのことを A子さんのご両親にお伝えし 受け入れていただき、
二人で離婚届を提出してきました。
東京に戻るために 最寄りの駅までお義父さんに車で送っていただく際に言った『申し訳ありませんでした』という言葉と同時に 自分の不甲斐なさから溢れ出た涙は、今でも忘れません。


◆ 新しい夢!?

そんなこんなでプライベートに大きな変化があった中で、
役者活動にも変化が。

事務所を辞めました。
薄々と感じてはいたものの、案の定 あまり評判のよろしくないところだったようで、後に潰れたとか何とか。。(詳しくは知らない!)
早い段階で見切りを付けて抜け出しといて、正解でした。

そして、役者仲間達との演劇ユニット活動を中心に続けてはいましたが、
生活の基盤は IT系仕事でした。
役者としての活動が振るわないのもあったのかも知れません。IT系の仕事に楽しさを覚えていたのも事実です。

ある日 ふと、自分の夢が
『役者を続けること』
よりも
『IT系仕事をより突き詰めていくこと』
に変わってしまっていることに気付きました。
役者を辞め、全く別業種での正社員になることを『転職』と呼ぶのかは知りませんが!、転職を決意したのです。


お次は

で、お会いしましょう。
続きはどうなることやら、、、

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