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波打ち際のオト

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何が起きるかは分からないですが、今ここに紡ぐ言葉・間を共有していきます(^○^)
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#今ここ

永遠と有限

ふと、こんなことを思った。 「明日死ぬとしたら、何がしたい?」 「僕たちの存在は永遠」と聞くと、何か余裕みたいなものが生まれ、この感覚を楽しんでいたいと思える。 しかしそれは頭では理解できず、その余裕が焦りに変わることがある。 そんな時、感じた。 「有限」を。 この「セイヤ」を体験できるのには限りがある。 それは死という体験によって、終わる。 もちろん、このセイヤというアイデンティティが本当の私だとするなら、死によって終わるだろう。 しかしそれはあり得ないん

もう何も必要ない

ぼくは今までにこう思った事が何度かある。 「何にも要らない。」 これはポジティブにもネガティブにもとれる言葉に聞こえるが、ぼくの場合はとてもネガティブだった。 「この世界にはぼくを満たしてくれるようなものが何一つない。」 これは絶望だった。 怒りでもあった。 この世界はぼくに何も与えてくれないし、ぼくにはどうする事もできないと思った。 ただ、一つだけ可能性があった。 それは、「今ここ」に戻ってくることだった。 もちろん、これさえも不確かでそれで満たされる保証

問い①

問い①ってタイトルになってますが、問い②があるかどうかは別として。 ウサギとカメの物語は誰でも聞いたことがあると思います。 ウサギとカメが競争して、ウサギは余裕こいて途中で寝て(見出し画像は飲み物飲んで休憩してますが)、カメはこつこつと進み、ウサギに勝ったという物語。 この間、あるドラマを観ていて、そのドラマの中の男子小学生がこんなことを言っていました。 「このウサギとカメの物語には謎がある。なぜカメはウサギが寝ているのに、声をかけずに通り過ぎたのか?もしかしたらウサ

美しさに命が宿る

ぼくたちが観ているものって変化していきますよね。 変化は常に起きているし、ぼくたちが観ているもので変化しないものはない。 命とは何?って考えたときに、植物は命あるもの。 彼らは変化する。種から芽が出て、茎・枝が伸び、葉がつく。 彼らは生きている。 変化の中に命がある。 ならこういう言い方も出来るんではないか? 「変化しているもの全てに命は宿っている。」 植物や動物・人だけに限らず、目の前に見えている全てに、今観えている全てに命が宿っているんじゃないか。 そし

ぼくのほしかったもの。

ぼくの欲しかったもの。 それはこれらの景色じゃない。 これらを見た時に感じるココロ。 それは鮮やかで鮮明で、ただただ晴れ渡っているココロ。 それが透明になった時、ぼくはこれらの景色を映し出している。 これらの景色を見るから、心が晴れ渡っている訳じゃない。 心が透明になっているから、これらの景色を映し出している。 ぼくが欲しかったものはこれらじゃない。 これらはぼくが映し出したかったもの。 ぼくが欲しかったものは、ここにあるもの。 あなたの中にもあるもの。

一瞥体験ってみんな体験してるよね。 この瞬間を強烈に体験した事を一瞥体験って呼んでるんだと思う。 それはいつか訪れるものではなくて、今この瞬間を強烈に体験すること。 だからみんな一瞥体験の真っ只中で、エゴもその一部。 あ、あけましておめでとうございます🙏🎉🎊🎍

新しい生き方

https://minimalist.tokyo/money/mexican-fisherman-story/ 「メキシコの漁師」、記事リンク先↑↑ この話しを聞いたことがある人は多いと思う。 簡単に言うと、今の暮らしがお金をたくさん手に入れた後の暮らしと一緒だって事。 今の暮らし=望みの先にある暮らし これってすごくおもしろいですよねv(^ ^)v 今現在、ぼくは仕事をしていないのでお金の事を気にしています。 お金が無くなったらどうしようという考えがよぎります

この瞬間は呼吸をするのと同等である

感覚はとてもいい、ここに戻るためのツールである。 今タイピングしている指の感覚を感じるてみる。 そして、今タイピングしている、ここに浮かんでいる言葉たちを眺めてみる。 両手をすり合わせる感覚や、隣で友達がキーボードを打つ音、絶えず呼吸をしていること、絶えず流れていく思考に気づいていること。 ここで行われているのは起りしかなくて、ここには何もない。 目的はなく、ゴールだけがある。 これは感覚でもない。 真実でもあり、体験でもある。 真実を生きる人は、ここへ導くこ

もっともっと近くに

ぼくは遠くのものを考える。 今より遠くのものを。 そして目の前のことが見えなくなる。 その時は、その遠くのものがとても大切に思える。 それらは存在してないのに。 目の前の人たちを見てみる。 そうすると、そこに愛が溢れている。 人は遠くのものを見つめたがる。 今より大切なものを探したがる。 存在に足すものなんかないように、遠くのものにも足す必要はない。 ただただ、今に戻ってくる。 身近なものを見よう。 ”明日”じゃなく、”今日”を愛そう。 もっともっと

不完全さの中から生まれた

こんにちは☺️ せいやです。 今日は不完全さの中から生まれた僕たち、 ということについて話していこうと思います。 不完全さの中から生まれたとは、 初めにこの宇宙が生まれた時、 いわゆるビッグバンが起こった後、 この宇宙には2つの粒子が出来ました。 それが 粒子と反粒子 です。 この粒子と反粒子はぶつかりあって 消滅するという性質がありました。 なので、 粒子と反粒子はぶつかり合い、 次々に消滅していく中、 なぜか粒子だけが残りました。 なぜかというと

ぼくは今ここにいる

ぼくはずっとここにいる 今までもずっとここにいた これからもここにいる 10年前もここにいた 幼少期もここにいた ここにしかいなかった。 たぶん生まれる前もここにいたんだろう 何も変わってない 色即是空 色をつけていたんだ 空というキャンバスの上に