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感覚はとてもいい、ここに戻るためのツールである。 今タイピングしている指の感覚を感じるてみる。 そして、今タイピングしている、ここに浮かんでいる言葉たちを眺めてみる。 両手をすり合わせる感覚や、隣で友達がキーボードを打つ音、絶えず呼吸をしていること、絶えず流れていく思考に気づいていること。 ここで行われているのは起りしかなくて、ここには何もない。 目的はなく、ゴールだけがある。 これは感覚でもない。 真実でもあり、体験でもある。 真実を生きる人は、ここへ導くこ
「スピリチュアル」っていうと、ぼくの捉え方がフィルターになるので、ここでは「真理」とか「幸せ」っていう言葉で表したいと思います。 ぼくはただ単にここにあるものが欲しかった。それが遠くの別の場所にあるように見えて、色んなところへ行った。 でも、ここにはないなと思い、また別の場所を探す。 そんなことの繰り返し。 「スピリチュアル」っていうのは、外の世界にはないはず。 必ず、内にある。だから「スピリット(魂)」という言葉を使っている。 でも「スピリット(魂)」は実際には
ぼくが抱えてた違和感は、 自己啓発やスピリチュアルに関わる人達は、なんにしてもネガティヴを嫌がる。人の憎悪や怒りに対して、嫌悪感を感じている。それは普通のことだ。しかし、自分が嫌悪感を感じているなら、他人の憎悪や怒りも変えようとする必要はない。そのままを受け入れてあげればいい。ましてや、人が自分の恐怖に気づいたのならば、それを祝福してあげればいい。気付けたのならば、あとは変えていけるから。 自分のエゴを通して、その素晴らしい瞬間を台無しにするのは今までに宗教が犯してきた間違