見出し画像

命の恩人と、一歩踏み出す勇気について

本当はその場で決めるべきこと、もっと踏み込むべきことが目の前にあったとき。そして、それに自分自身が薄々気づいているとき。

そんなとき、「まあ、これくらいでいいや」となるか、「よし、もう一歩力を振り絞ろう」となるかで、当然得られる結果は全く異なってくる。

そんなことは当たり前だよ、と言われそうだけれども、どうも怠け者の僕は、自分自身がその後者(「よし、もう一歩力を振り絞ろう」)の気持ちや状態でいられるように、いつも意識していないといけない。仕事で失敗するときは、大抵どこかで前者の気持ち、つまり「まあ、これくらいでいいや」が自分を支配してしまい、結果的には「これくらい」に収まらない悪い結果をもたらしてきたように思います。

そういう意味では、感覚的に「これじゃダメだよな」「詰めが甘いよな」と思うときには、その感覚に素直になることが大切だし、何よりそういう自分自身に向き合うためには、他力本願かもしれないけれども、踏みこめていない自分を鼓舞してくれる仲間的な存在が必要なのだと思っています。

話は変わって、昨日の夕方は、前回のポストで書いた「デザインフェロー養成講座」の一環で1週間ほど長野に滞在していた村井さんとともに、共通の知り合いのご夫妻(以下、I夫妻)に会いに、軽井沢にいってきました。

夕食の場所は、オーガニックなビーガンフードが食べられる緑友食堂にて。村井さんも嬉しそう(笑)

I夫妻とは昨年11月以来の再会。夕食をともにしながら、この半年以上であった出来事についてざっくばらんに共有。I夫妻のお子さんも大きくなって言葉をしゃべるようになっていて、とても楽しく、穏やかな時間になりました。

よくよく振り返ると、デザインフェロープログラムが生まれるきっかけを作ってくれたのも、実はI夫妻。個人的には全く別の機会を通じて知り合っていた村井さんとI夫妻が実はとても深い付き合いで、僕らの興味関心が近いと思った彼らが、僕が軽井沢を訪問したときにボストンとオンラインでつないでくれて(オンライン上で)再会を果たしたのが、昨年5月(説明が長くて難しいですが笑)。今に至る全てのプロセスはここから始まり、急ピッチで今年度からスタートしたプログラムの実践に繋がっていったのでした。

もっとよくよく振り返ると、I夫妻には、今回以外にも少なくとも二回、自分の人生にとってかけがえのないというか、大げさではなく「救われた」ような経験や機会をいただいていることに、なんと不義理なことに昨日の夜に気づかされたのでした。

一回目は2016年9月、I夫妻がファシリテーターとして企画していた軽井沢での3日間のプログラムに、僕が参加者として参加したときのこと。

そのころの自分は、それまでの仕事や生き方に限界を感じながらも、そのパターンから抜け出せず、自分自身の働き方やあり方全てに生き詰まっていたときで。本当に直前までキャンセルしたくてしょうがなかったのですが、「何かヒントがあるのではないか」という直感がはたらき、どうにかこうにか参加することにしたのでした。

そこで初めて「U理論」や「プロセスワーク」の存在を知り、特に、自分の中にある潜在的(でとても重要な)無意識や、それを見つめることの大切さを体感して。大げさでなく、そのワークショップのおかげで、自分自身やそれを取り巻く環境に対する見方が大きく変わったし、何を幸せと感じるのか、何を望んでいるのか、など、「自分」を主語にして暮らしやあり方、仕事を捉え直すことができるようになりました。これは、自分の中での革命的な「システム変容」でした。

そこから2年弱の月日が経ちますが、そこからの日々は、大きな流れの中ではずっといい方向に、それも、とても「僕が望む未来」に向かっているように思えます。そういう意味で、I夫妻と過ごした(それがI夫妻とじっくり話す最初の機会でもあった)あの3日間は、今の僕を語るには欠かせない時間になっています。

そして、二回目は昨年11月中旬のこと。

このnote上でも書いてきたことですが、僕の父は2016年7月に脳梗塞で倒れました。幸い発見が早く後遺症もほとんどない状況だったものの、脳梗塞後に行った精密検査で複数の病気が見つかり、同時進行的に様々な治療を受けていました。それでも、いたって順調に治療を進めていた父親の容態が、そのころ突如、急激に悪化したのでした。

原因が特定できない中で歩行障害、記憶障害、失禁と、短い時間で明らかに、それも急速に悪化する状況を目の前にしても、ほとんど願いにも似た言葉で「大丈夫だと思う」と行動に移せない両親。

僕自身は、姉からのメッセージや母親の電話口での様子から「これはおかしい」と思って実家に戻り、第三者的な視点でその感覚は確信になりました。それでも、まずは母親が冷静になれる状況をつくり、様子を見ることができれば応急処置になるだろうと、近所の知り合いのヘルパーに相談して介護申請をしたのですが、結局それ以上のことはできなかった。僕も、「絶対おかしい」と思いながらも、結局徹底的には動けなかった。もう少し経過をみよう、その上でもっと悪化したらそのときに考えよう、そんな風に思ってしまったのです。

たまたまそのとき、実家のある高崎から小布施に戻る途中で、全く別の用事で軽井沢に立ち寄り、Iさん(奥さんは出張中)とご飯を食べる機会があって。話の流れで父の容態の話になったとき、Iさんから強い口調で「それは絶対、今動いた方がいい」と言われ、Iさんの奥さんにもオンライン上でいろいろなアドバイスをもらって。

そこで、ようやく気が気ではなくなって(「やっぱりおかしいよね、俺動かないといけないよね」と確信し)、その場でnote上にまとめたのが、父の病状やこれまでの経緯をまとめたこの記事だったのでした。

結論からいえば、今の父は、病気をする以前とほとんど変わらない状態まで体調は回復しています。今でも定期的に実家に戻ると、あのころの状況(あのあと、さらに状態は悪化しました)からは信じられない、本当に奇跡的な光景を見ているような気持ちになります。

あの記事やそれを拡散したfacebookの記事がきっかけで、僕や両親はたくさんの情報を得て、適切な治療に向けた、適切な行動をとることができました。I夫妻とあのとき(たまたま)会っていなかったら、父のことをやせ我慢して話していなかったらと思うと、今でも冷や汗が出てきます。本当に、I夫妻が、僕が目覚めるきっかけをくれた、本当の命の恩人だったのです。

5月に小布施に遊びにきた(これるようになった)両親と。本当にありがたい時間でした。


話は最初に戻ります。

本当はその場で決めるべきこと、もっと踏み込むべきことが目の前にあったとき、そして、それに自分自身が薄々気づいているとき。

そんなとき、どう動けるのか。

I夫妻への心からの感謝と尊敬とともに、そういうときにこそ、「まあ、これでいいや」ではなく、「やっぱり、もう一歩」と思える自分でありたいと、改めて強く思った昨夜のひととき。まだできていないけれども(できていないからこそ)、それがデフォルトの人間になることが、今の一つの目標になりそうです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?