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【0461】落合陽一&オードリータン対談番組:まとめてみた

すでに再放送もされていたそうで、見た方も多いかもしれない、NHKさんで放送されていた落合陽一さんとオードリータンさんの対談番組。改めて録画を拝見したので、まとめてみました。

▼2人が選ぶ「2020年・今年の1字」
▼ココシャネル、ケインズ…偉人から学ぶ未来へのヒント
▼混迷の経済、でも “10年後GDPは不要”に?
▼最新データが示すデジタル空間の無限の可能性
▼1人1票じゃない?新しい民主主義… コロナ禍の世界の「半歩先」を未来予想!

こんなテーマで番組は構成されていましたが、まず冒頭、オードリータンさんのご紹介。実はAppleのSiriの開発にも携わっていたんですね、はじめて知った!
他には有名な台湾中のマスクの在庫データの可視化など台湾の感染対策についてのご紹介。

一問一答:今年の一文字

その他の部分での「人となり」を知ろうという、一問一答の回答が下記。すでに面白そうな人物像が垣間見える回答のオンパレードでした。

ー好きな食べ物は?
 A:炭水化物とタンパク質と脂質。
ー犬派?猫派?
 A:人間派です。
ー寝る前に必ずすることは?
 A:目を閉じます。
ー小さい頃、何になりたかった?
 A:人間の大人です。

そして、その中での最後の質問。
ー今年1年の一文字は?

これに対する回答が「え?これ、その場で聞かれてその場で返したの?」と思ってしまうクオリティでした。

それは「0(ゼロ)」

中国語でもアラビア語でも他の文化でも同じように書く「0」です。

もし1なら漢字では横の棒、他の文化では縦の棒。描き方が全然異なってしまう。0(ゼロ)はいくらまわしても同じ。今年のあの出来事で今、あらゆる文化の人たちが同じ状態になった。そういう意味を込めて「0(ゼロ)」だと言ったそうです。

対する落合陽一さんはBORDERの意味の「境」
境は0と1の間にある概念。ここから月のように欠けていく可能性もあるし、満ちていく可能性もありますね。とオードリータンさんも共感している中、「この年ほどボーダーについて考えたことはない。」という話に。

オードリータンさんいわく、今はマスクを口の前にあてるように、自分と他人、自分と自分の手というようにあらゆるレベルで境界線をひかないといけない状態。だけど、ここから例えば手を洗えば、このボーダーは取り除くことができるかもしれない。これも実は一つのテクノロジー。
このコロナのようなパンデミックを受けて、「やっぱり人間には何もできないことが起こるんだ」という人もいるけど、未来はテクノロジーの力で人がなんとか良い方向にしていけるものだと思う。というお話をされていました。
手洗いをテクノロジーと、デジタル界の2人が表現している。そのことに、ここにもデジタルとかそうじゃないとかのボーダーがない人たちがおるやんかと感じました。

ファッションは今どうなのか。

コロナを受けてますます加速した価値観として、「ファッション」の分野があるのでは。との話。人に見せる服よりも自分が身につけたい服を着るようになったんじゃないかなど。
その中で一番変わったのは「マスク」というお話があり、こんなQ&Aがありました。
−マスクはネクタイみたいになると思いますか?
 A:ネクタイよりも重要。マスクのほうが覆っている面積が多いことに加えて、第二の顔になっているところがある。ネクタイはしげしげと見ることはないけどマスクはどうやったって目に入る。とのこと。

この第二の顔という話で面白い事例があり、台湾で医療用のピンクのマスクしかなかった時、男の子がつけるのを嫌がっていたそうです。ところが、閣僚たちが「どうだ、ピンクパンサーの色だ、かっこいいだろ?」と言うと男の子たちが喜んでつけるようになったそう。こんな閣僚いるって、おしゃれか!と言いたくなりますが、マスクも身につけるたしなみやファッション化しはじめるのが分かる事例ですね。

冒頭にあった、見せるためだけのファッションの時代は終わったという話。危機の時代だからこそ変化が起こるのでは。という話につながり、実は、過去にも危機の時代にファッションの変化をもたらした人がいるそうです。それが「ココ・シャネル」。

当時の女性のファッションは動きにくいコルセットなどが当たり前だったそうですが、様々な社会的な危機が起こったことで変化があったそう。その危機とは戦争であったりスペイン風邪など。これによって、労働力不足に陥ったことが、女性たちが社会に進出するキッカケになったそうです。そこで、これまでの動きにくい服ではなく動きやすい服をデザインしたのがココ・シャネルだそう。(知らんかった・!)

ココ・シャネルの言葉に

今日最悪の敵に会うと思って服を身に着けなさい。装いはあなたの知恵!美はあなたの武器!

というものがあるそうで、当時は男性のファッションに採用されることの多かった黒を採用したり、上流階級のためのものだった香水を一般化したりしていったのが彼女だそう。

そんなココ・シャネル、実はもう一言いっていて、それが

慎ましさこそ真のエレガンス

誰かの目を気にしてきらびやかな服装を着る必要はない。自分の内面にあった服をつつましく着れば良い。ということをすでにこの時、世に投じていたんですね。
コロナを受けて、SNS上に無駄にハデな写真が減った印象がある。それは虚栄心が減ってきたんじゃないか。謙虚さの中で自分のエレガンスさを持っていけるかという時代になってきたのではないか。という話をお二人もされていました。

コンヴィヴィアリティ:共に生きるという価値観

人と文化はレジリエンスで語られる。虚栄心もレジリエンスを持っている。この後我々はどう戻っていくのか。虚栄に戻らず、人々は共に生きていけるか。コンヴィヴィアリティという考え方を持っていけるのか。というものを落合陽一さんから問われ、

オードリータンさんは、コンヴィヴィアリティは日本の侘び寂びに似ている。目の前のもので工夫していこうという価値観。これからは地球規模のコンヴィヴィアリティが大事だと答えていました。

そして、世界中が同じ課題をもつことになった今、時差や物理的距離の壁もネットが超えさせてくれ、朝アメリカの友達と話して、夕方アフリカの友達と話す。そういう時代になった。これは人類が初めて手にした地球規模のコンヴィヴィアリティな状態なんじゃないか。とのこと。

これを獲得した今、もう前に戻る必要はない。ワクチンが開発された後も共に生きるべきであると。時空間を超えることで、大きな文化・新しい文化が生まれる。かもしれない。そんな時代に今いるのかもしれません。

コロナ禍の経済のゆくえ

GDP予想は各国落ちている。台湾・韓国はまだマシだけど、アメリカ・イギリス・日本は30%近く下がっている。そんな状況についてのお話。

ここで落合陽一さんが面白い話をされていて、それは、
「持続可能性は生産性指標では評価できない。完全自給自足で寺社仏閣を磨きながら生活をしていたとしたら、GDPには何の価値もない。だけどその暮らしが数百年続いた時、その寺社仏閣が未来に残っていたとしたら、その価値はとてつもないことになる。」GDPだけ追っていると大切なことを見失ってしまうのではないか。そんなお話がありました。

その後、イギリスのケインズという経済学者の話に続きまして。
1930年に発表された「孫たちの経済的可能性」という論文について。これは世界恐慌を受けた悲観論に真っ向から反対する論文だったそうです。

今の苦しみは過去の行いのツケではなく、「急速な成長の痛み」にすぎない。

そんな一言が残されているそうですが、石炭・蒸気・電気・無線・ニュートン・アインシュタインと様々な技術が開発されていた当時、このまま労働効率が高まり続ければ、100年後孫たちの世代では労働の必要さえなくなると説いたそう。

金儲けは悪 金貸しは下品 金の貯め込みは汚らわしいものとなる 美徳と正気 そして知恵の道を歩む者だけが未来をみつめるだろう

という言葉も残しているそう。スタッフから

ーケインズの100年前の予想をどう思う?
と聞かれたオードリータンさん、すかさず
 A:まだ100年じゃない。あと10年猶予がある。
とこの予言のような論文をリアルに捉えている回答をされていました。

10年後と言えば、SDGsの達成目標年でもある。今後誰一人取り残さない公正な社会を残す上で、ケインズが残した大切なこと、それは「単なる金儲け」と「価値ある仕事」は違う。ということ。
GDPは169あるターゲットのうち、実は1つにしか記載されていないそう。それに悩むのは1/169の時間で良いんだと。お金のためだけに働く必要はなくなり、自分の心を満足させるために働く時代になる。10年後にはGDPは完全に意味を失う。あと10年。技術が発展していけば人類はお金に悩む段階から次の段階へ歩み始めることができる。
そういう希望に溢れたお話をされていました。

デジタル空間や今のリモート文

ケインズは予言めいた、下記のような言葉も残していたそう。

人類の物質的環境に空前の大変化が起きる

落合陽一さんは、コロナ前からの話でも「ゲームの産業」が先進国でのびているという事実に触れていました。ある程度経済成長した後では、生産性のあるものと生産性のないものという議論が意味がなくなってきていて、物質なのか情報なのか、その話自体が無意味な時代になってきていると。

デジタルスキャンで自分をデジタルコピーに保存した時に感じたこと。人間がデジタルに移行すると形や大きさ、時間の成約から解放されるんだと感じ、現実の自分は一つの入り口にすぎないんだと思ったということもおっしゃっていました。

オードリータンさんもそれに共感し、
デジタルには無限の可能性がある。スキャンするたびに自分が増える。いくつもの自分を複数もつことができる。デジタル空間では一つの自分だけでなく、たくさんの自分をもつことができる。最近の研究事例で、178000GBを1回線で流すことができるそう。それに対して、人が認識できる情報量は1秒あたり17GB/1人。これは1本の回線で1万人がつながった世界をデジタル場につくることができるということ。つまりほぼマトリックス。マトリックスの映画から21年後の今、仮想空間の島で友達と遊んだり、ゲームの中でライブをしたり、デジタル空間に経済の仕組みそのものを変える可能性さえある。

物質的な生産が起こらなくても互いにコミュニケーションができるようになる。そうすると資源を競走して奪い合わなくても良い世界がおこりえる。デジタルの世界で無限にコピーができるようになった時、奪ったり破壊したりする必要のない新たなの価値の世界がやってくる。

これまでの経済では必ずどこかで物的・人的資源の搾取が行われている。デジタルの世界では他の誰かをへこませる必要はない。人類の未来の大きな可能性がある。みんなが同じスタートラインに立てる。と、お話されていました。

民主主義のこれから

最後に台湾で実践した斬新な投票方法についてのご紹介。
民間からSDGsに関するアイデアを募集すると200あまりのアイデアが集まったそうです。「ペットボトル再利用で無料の水の提供」「障がい者に災害情報を届けるアプリ」「安全で環境に優しい不動産情報」などなど。
そこで、どれを採用するか、政府で決めるのではなく、国民で投票で決めようとなった時に、採用した方法が「クアドラティックボーティング」という方法だそう。台湾の全人口の過半数が参加したそうです。。

クアドラティックボーディングはラディカルマーケットという本で提案された方法。特徴的なのは一人1票ではないという点だそうです。
1票は1✕1の1ポイント。2票投じるには2✕2。1つの案や候補者に対して、2乗ずつしか投じられない仕組みで、100ポイントも所持していたとしたら、100人に1票ずつ投じることはできるけど、同じ候補者には10票しか投じられないという仕組み。

台湾の場合はさらに工夫を凝らして、全員に99ポイントくばり、票と交換してもらったそうです。10✕10じゃないことがポイントで、これだと1候補に全てを投じることできず、必ず分散投票することになる。自分の支持度に応じて投じることになり、自分で指示度を決めるため真剣に投票に参加できるようになる。とのこと。

やばい先進性ですね。

この方法でスマホで簡単な方法で実施すれば、どの国でも24時間ごとに国民投票を行うこともできるでしょ。とオードリータンさんはおっしゃてました。

1000万人にいきなり呼びかけての実践。元々台湾は投票率は高いそうで、約75%の投票率だそう。台湾では「投票とは楽しいものであり、祝祭」というイメージがあるのだとか。長く民主主義の獲得に戦ってきたからこそ、票を投じるという事自体に未来への可能性を感じやすい国民性もあるそうです。

落合陽一さんより
-日本は祝祭性が失われている。祝祭性を回復するとしたら、どうやって再着火するか?という質問。
オードリータンさんの答えが
A:投票のレベルを変え、回数を増やすこと。ハードコアな難しい質問だけにすると、それに答える人がどんどんニッチになっていく。投票の項目を細分化し、数秒で済むような質問もおりまぜてデザインしてあげることが大事。
民主主義の回線速度あげること。アクセスの回数を増やすことが新しい民主主義のあり方。4年に1回の選挙で全てを決めるのは旧式のコンピュータを使い続けるようなものではないか。という答えでした。いや、そのとおり。

そこで、全体のコンセンサスのとり方として、日本の人口規模についての話に及びました。人口規模によってスピードや全体の意志を尊重する・コンセンサスを得ることが難しいのではと。

物理的にみんなの意志を聞くとすると、古代ギリシャくらいの規模感が限界だそう。ただ、デジタルであれば一つの情報を無限かつ一瞬で広げることができる。その事例としてオードリータンさんが東京都のコロナサイトのオープンソースに参加した時も同じことが起こったそうで、東京都のものをみんなで改善しながら作った後、一気に他の都道府県に広がったということがありました。

進んだ理想に対しては、進んだテクノロジーが必要。民主主義自体も「人の生活を便利にするためのテクノロジー」であるとすれば色んな方法が取れる。民主主義は完成された化石ではなく、生きたテクノロジー。だと、これまたオシャレな解釈をかましてくれていました。

生きたテクノロジーの民主主義を実現していくか。多様性・多元性。

その時に大事なのが「ほどほど」の価値。と落合陽一さんもかぶせ、単一の民族が多いと、完璧な理解に力を割いてしまうのが、日本の今の課題ではないかと。学校で一人だけ違う教科書を持っている子がいたとして、その子を全員に合わさせようと排除する方向に動くのは、理解など色んなことに完璧性を求めているからではないか。「ほどほど」に勉強ができたり理解できれば良いのであれば、それを許容できる。というこれまたサステナブルに通じる考え方をかましていました。

「ほどほど」のコンセンサスで多様でいられる社会へ。

最後に聞いてみたいこと

落合陽一から最後に聞いてみたいこと。という問い。

−人の最もチャーミングなところは?
A:人はサピエンスだから、「知恵」だと思う。


以上、めちゃくちゃ濃ゆいトークでした。番組は1時間でしたが、実際は3時間の対談だったそうで、3時間分、まるごと聞いてみたいくらい、様々な示唆があふれる会だっただろうなと思います。

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