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仕事のこと。

さて、私は「短期離職のだめだめニート」としてTwitterでつまらないつぶやきをしているんですが、自分の詳しい経歴を話したことがないなあ…と気づきました。

リアルの世界には友人がほぼいないわたしにも、ツイッターでは300人のフォロワーさんとの繋がりがあると思うとすごく感慨深い…😭

いつもは皆さんのツイートを楽しく拝見してる立場ではありますが、少しわたしの話をしたいと思います。

この記事を読んで、救われる人もいれば、下には下がいると嘲笑う人もいるかもしれません。

まあ、なんでも良いんです、人間だもの。みんな違ってみんな良いんだもの。

まあ暇だし読んでやっても良いかなってくらいのスタンスで読んでやってください!

看護学校を中退

わたし、高校卒業してすぐ看護学校に入学しています。

四年制の専門学校で、看護師と保健師の資格が取れる学校でした。

自分で言うのもなんですが、クラスでは優秀なほうで、成績も5位以内には入ってましたし、実習の成績も優や良ばかり。(優・良・可・不可の4段回)

明るくて前向きな性格だけが取り柄だったので、とにかくクラスメイトにも教員にも実習指導者にも患者さんにも愛嬌を振りまいて八方美人で生きてました。

どんなに辛い実習も楽々とこなして、四年生の秋までなんとか頑張って乗り越えたんです。

学校が辛いとかしんどいって気持ちはあったものの、辞めたいって気持ちは一度も起こらなかったですね…

四年生の秋、看護実習も全て修了して、残るは保健師実習と国家試験だけ!と言うタイミングで、身体への異変が突然現れました。

役所の保健師実習に行く途中、バスの中で理由もわからない恐怖に襲われたのです。

いつも乗っているバスだし、何も怖いものなんてないはずなのに、「あ、死ぬわ」「これだめだ、わたし死ぬんだ今から死ぬ」って言う気持ちだけで頭がいっぱいになって冷や汗かいて、腹痛と頭痛に苦しみました。

なんとか実習先にたどり着いて、実習を乗り越えたものの、次の日からバスに乗るのが怖くなったんです。

結局実習は行けず、単位を落としました。

当時の実習メンバーが少しキツい子たちで、小言を言われたり、何より実習に行けない自分にとても落ち込んだのを覚えています。

まあ、そんなこんなでもう学校に行けない!となったので、休学することに。

わたしの両親はきっちりしている厳しい人だったので、夜寝る前にこっそり手紙を置いたのを鮮明に覚えています(笑)

多分内容は「死にたい」とか「辛い」とか、そんなだったなあ…

休学の決め手になったのが、彼氏が連れて行ってくれた診療内科ですね…

診療内科は3つから4つくらい行って、やっと自分に合うところを見つけたのですが、「抑うつ」「パニック障害」「不安障害」あたりで診断されました。本当のところはどうなのか今でもわかりません。

休学中はうつでどん底

休学中はとにかくどん底でした。

毎日のようにヒステリック、泣き喚いたり、自傷行為を繰り返したり。

実は、病気のことを理解してくれない実家に居座っていたせいか、ご飯を2週間〜3週間ほど食べられなくって倒れてしまったことがあったんです。

ようやく両親もことの重大さに気がついたのか、話し合いの機会を設けることになりました。

私は環境を変えて療養したいという旨を伝え、いまの彼氏と同棲をしたいと提案…

両親は金銭面の補助はできないけど、それで落ち着くのなら好きにしなさいと言ってくれました。

当時、彼氏はフリーターだったので急いで正社員の職を決めて、消費者金融から2人で引っ越し初期費用を借金してアパートを決めています。

若いのに借金なんてって思う人もいるかもしれないけど、私たちにとってこれが「最善」だったんです。

同棲を始めたは良いものの、まだまだうつの症状は重く辛い日々を過ごしました。もう看護学校には行けないだろうと中退を決意し、そのまま退学届を提出しちゃったんですよ…これでよかったのかは分からないんですけどね…

とりあえずで始めた在宅ワーク

とにかくアルバイトも続かないし、そもそも精神病んでるのに就活する気になれるわけもなく、在宅ワークを始めました。

割とお金を稼いではいましたが、その分作業をする時間はすごく長かったし、家が落ち着く環境から仕事をする環境に変わった感じがしてすごく嫌だったなぁ、、、

周りはみんな働いているのに、私は何をしているんだろうとか、将来真っ暗だとか考えて、

結局モチベーションもなく在宅ワークをしながら、就職先を探していました。

1社目:ジュエリーショップ店員

まあ、そんなこんなで在宅ワーク辞めてえ!!!ってなったので色々面接を受けてたんですね。

正直、医療事務とかしたかったんですけど10社受けても全部落ちました。

なので販売とかやってみるか…とジュエリーショップの面接を受けたら内定が決まったのでそのまま働くことに…

ショッピングモールの中にある店舗だったので、朝はそんなに早くなく、夜も22時には終わるような所でした。

私は契約社員での採用でしたが、その店舗には人員が私含め5人しかおらず、正社員は3人、契約社員は2人という構成で回していましたね…

店長と店長代理、お局(契約社員)、新卒の正社員の子、そして私。

仕事は割と楽しかったんだけど、お局がとにかく更年期で本当に本当に嫌だった…

50代、母親と2人暮らしの人で何か嫌なことがあるとすぐに若い子に当たってくる。(若い子って言っても私と新卒の子しかいないんだけどね…)

新卒の子は天然ちゃんって感じの子で、お局に気に入られていたのでターゲットはいつも私。

思いっきり肩を叩かれたり、店長代理に指示されてきていたことも「そんなのしなくて良いから」とキレてきたり、とにかくわたしの仕事を掻き乱してました…

そして、入社から2週間経った頃、朝の体のだるさや吐き気などの症状が出るようになり、店舗に出勤した際にもどしてしまったんです。

そこから3日間ほどお休みを貰うことになりましたが、そこから会社に行くことはありませんでした。

適応障害でわずか2週間で退職…

なんとも不甲斐ない。

2社目:介護施設

私は看護学生時代、ずっと介護施設でアルバイトをしていました。

介護ならやったことあるし、できるかも!と受けに行った会社で即採用。

通勤時間が1時間と少し遠い距離でしたが、とりあえず正社員にならなきゃ!って思ってたので決めました。

そこは夜勤もないけどお給料もそこそこ良かったし、続けよう!って思ってたんですね。

でも、入社してすぐに、この施設やばい…って気づいてしまったんです。

利用者さんに対する態度の悪さや、職員同士のいがいがした感じ、若い職員をいじめる男性看護師…

私は環境に左右されまくる人間なので、1日でもう無理ってなりました。

2日出勤してそこから体調不良で休み続け、1ヶ月間毎朝出勤しようと早起きして化粧も着替えもお弁当も用意して家を出る準備も完璧にこなしましたが、出勤することはありませんでした。

上司も病気に理解があって、優しくしてくれましたが行けずじまいで本当に申し訳ない…

そんなこんなで2日間出勤して退職した2社目でした。

その後もアルバイトはすぐに離脱。

その後もいろんなアルバイトを試してみましたが、1ヶ月続いたことがありません。

大丈夫かな、こんなんで…

不安ばっかりですが、なんとか生きてます。

彼氏には本当に頭が上がりません。若いのに養わせてごめんね…

今は大学時代にやってた介護施設で週1日のパートと、以前していた在宅ワークでようやく落ち着いています。

週1日のパートも月4回中、2〜3回しか行けてないけど、病気のことも伝えてるし、まあいっかと思ってます。(休んだ日はとにかく病む)

不安しかないけど生きてる

こんなド底辺のわたしでも、それなりに楽しく笑える日もありますよ、こんなだけどね。

ぐるぐる病んで死にたい日もあります。

でもなんだかんだ生きてます。

下を見て安心する人がいるなら、ぜひ私を見て欲しい。ド底辺だから…

それで、生きる気持ちを取り戻せるなら全然利用して欲しい!!!

聞きたいことがあればなんでも聞いてください!どんな内容でも答えます。

生きてれば何かしら良いことがあるかもしれないから、こんなやばい人間でもまだ死にません。

死にたい時はあるけど、死にません。

長いのに最後までお付き合い頂きありがとうございました…

またそのうちブログ書きたいなあ。






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