ボイトレの経験と「自己評価と他己評価の乖離」の話

こんばんは、Ryoです。今日はふとしたことから気付かされた「評価の乖離」について思ったことを書こうと思います。多分この記事を見てくださる人の中にも同じような経験がある人結構いるんじゃないかなーなんて個人的には思っています。

きっかけは、先週の土曜日に気まぐれで参加したボイトレの体験レッスンでした。なんでそもそもボイトレ行ったのか、というと、自分結構声が低めであんまり高めの音域を出すのが得意じゃないんですが、好きなアーティストって結構声高めの人が多いんですよね。髭男とかMr. Green Appleとかsumikaとか。というか最近人気のアーティストとかグループってみんなそんな感じの曲質の人が多いような気がします。逆に正統派の人たち、昔で言うMISIAとかSuperflyとか玉置浩二みたいな人たちって露出低めだよな。。。最近人気の正統派アーティストを知りたい。

個人的には遥海が好きです。

フィリピン人とのハーフで、ゴスペル育ちらしく、日本人にはあまりいないめっちゃ響く声の持ち主です。なんとなくMISIAみたいな感じですね。ちょっと調べたら高校生の時にX Factor Japan にでてたみたい。高校時代をイギリスで育った私的にはそれもポイント高い。

ちょっと脱線しましたが、要するにもっと高い声で気持ちよく「異端なスター」とか「青と夏」とか「イコール」とか歌いたいわけですよ。声質的にバラードのほうが向いてるし、でもそういうのってカラオケじゃあんまりウケ良くないし。

というささやかな悩みがあったので、なんとかならないかなーと思ってボイトレの体験レッスンをtake advantageしてやろうと思って片っ端から予約しました。

そういう経緯で先週横浜にある某ボイトレスクールの体験レッスンに行ってきたんですが、そのときに「君めっちゃいい声してるよね!!」と絶賛されました。

うーん、、そう言ってくれるのって声楽経験してる人だけなんだよなー。多分お世辞というかみんなにいってるんだろうなー。

そう冷ややかに思いながら「ありがとうございます!」とにこやかに答えておきましたが。社交辞令だとわかっているのに嬉しくなってしまう自分が悔しい。

で、自分のささやかな悩みを話したところ、当たり前ですが一回好きな曲歌ってみ?といわれたので、じゃあPretender歌います。となりました。

(そこは異端なスターじゃないんかい!と思った方、すいません。歌詞とメロディをまだ覚えてないので。。。)

で、先生がMacでコードを調べてピアノでめっちゃノリノリに演奏してくださったので自分も気持ちよくPretenderを歌いました。歌いながらやっぱり低いなーとおもってたんですが、先生からは意外な一言。

「きれいに原曲キーで歌えてるやん!」


・・・


いや、嘘やん。今の低い感じ聞いてたっしょ。



「あー、それはね、君のもともとの声が低くてよく響くから、それが大部分を締めちゃってるので低く聞こえるだけで、基本的には音取れてるよ。」


・・・


マジかーーー!!!!


今までYoutubeとかで聞いてる音と自分の声の音がぜんぜん違ったので、一オクターブ下なのかな、と思ってましたが、そうなんですねー。いや、まだ半信半疑だけど、その日はちょっとご満悦でした。

先生によると今のカラオケランキングで上位を総なめしてるのが声高い人が気持ちよく歌える歌ばっかりだからしょうがないけど、自分の声はよく響くからそういうポップスには向いてない。どっちかっていうといわゆる「正統派」とよばれるような、歌い上げる感じの曲のほうがあっているらしい。クラシックのテノールみたいな。

そんな意識をもったことはまったくなかったので、まじで耳に鱗でした。

で、そのときに思ったのが(声楽出身の人限定だけど)めっちゃ自分の声いいって言ってくれる人もいるけど、基本的に自分ではそんなに声がいいとおもったことはないわけで。自己評価めっちゃ低いけど案外そうでもない、みたいな基本ネガティブな人にはあるあるな現象がここでも起こってるなーと。


それって声だけじゃなくて考えとか評価とかにも当てはまるな、って思ったわけです。やっぱり自己評価ってどうしても、「こうでありたい」っていう理想とかのフィルターを通して見ちゃってて、biasがある程度かかっていると思うんですよね。多分そういうのを除こうと意識をしていてもどうしてもその部分が入ってきちゃう。だから、本質が見えてなかったりする。

さっきの声の話でも、結構好きなアーティストに似せようと頑張っていた部分があって、でもそもそもの声質がぜんぜん違うから、ぜんぜんうまくならなかった。歌いまわしとかは真似できるけど、声質は変えられないからですね。

楽器で言えば例えば、チェロでも頑張ればバイオリンの音とか雰囲気は出せるけど所詮はチェロでだしている高音なので、チェロ感がとてもでる。もちろんチェロは高音部分もとても魅力的なんだけど、あの楽器の本領って低音部分だから、そこを武器として押し出さないと本当の魅力は見えてこない。

そうじゃなくて、自分の武器 (低音ゔぉいす☆) っていうのを認識した上でそれを最大限活かせるような曲とか歌い方をしたほうが多分いいんじゃない?というアドバイスを受けました。確かに、すごい説得力ある。

しかし低音ゔぉいす☆ってすごいバカっぽいな。



時を戻そう。



逆に、他人からの評価ってそういうフィルターがないから、事実をそのままに、というか、見えてるママの評価をされるから案外本質を捉えられてたりするんだろうな。今回の先生の意見がそれ。もちろん教えるプロっていうのはあって経験からわかることもあるんだろうけど。

結論、悪い意味ではいくら自分が理想に近づこうと頑張っていてもそれがoutputとして出ていなければ相手にはそれはわからないし、良い意味ではそういう理想とかに囚われすぎてみえてなかった自分の良さとか本当に直すべき悪いところとかが素直に見えるのでしょうね。


これがタイトルにもある「自己評価と他己評価の乖離」というやつ。自己評価も自分を振り返るにはいいんだろうけど、本当に大事なのって自分が周りからどう見えてるか。だと思うので、時々身近にいる人でかつBiasがかからなさそうな人に聞いてみるのもいいのかもしれない、と思いました。(だから家族とか親しい友だちとかはNG。)

「周りからどう見られても関係ない!私は私の道を行く!」とかいう人もいますよね。わかります。でもこれって自分の趣味を突き詰めるときとかにはそういう考えも大事だと思うけど、仕事みたいに基本的に周りの人と協力する必要があるものってどうしてもそれだけだとうまくいかない気がするのよね。個人的な意見だけど。

他人からの評価として、どう見えてるのかを聞いた上で、それが自己評価と合っているのならそれでよし。あっていないのならどうしてその乖離が起きてるのか更に分析して、その差を極小にしていく、という作業が必要なのかな。これって就活ちゃんとやった人ってすでにやってることだったりするのか?と今ふと思いました。(自分はインターン上がりで内定頂いたので面接の練習とか自己評価とかはしたけど、OB訪問とか他己評価とかはぜんぜんやらなかった)

でもなんで他己評価やれ!って言う就活アドバイザーがあんなに多いのか、少しわかった気がする。まあ直接言われたことはないけどね。


なんかすごい前置きのほうが長くなってしまった気がする。。。
まあいいや。


今後は髭男じゃなくて玉置浩二とかMr. ChildrenとかMISIA練習することにします!(そうだけどそうじゃない)



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