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時計の回想録

私は時計である。もしも、人ではなく時計が、君たちの〈人生〉を語ることが許されるのだとすれば……考えていまい、時計の歩み――3つの針がなす三十螺旋構造――の正射影に、ちょうど君たちの〈人生〉の紆余曲折が描けるということを。

私は時計である。未だに分からないことがある。人は人生を語るのが好きなようだが、なぜ物語調に仕立てないと気が済まないのだろうか。それなのに、なぜ架空の物語を創作したがるのだろうか。その資格があるほど賢い人間を私は知らない。
まず物語には過程がある。始まりと終わりがある。男と女、あるいはそれ以外の生き物、神までをも登場させ、彼らを踊らせるのだ。外部から物語全体を俯瞰して、それを美しいとか平凡だとか悲惨だとか、色々と価値をつけたがる。この理屈は死人にしか通用しない。というのも、物語と我々が呼ぶものはすでに書き上げられたものとしてあるからだ。しかし、この物語の価値観を生きている人間に擦り付けるという混同を平気で人はやってのけてしまう。その人間の生はまだ終わっていないのにも関わらず、「人生」という仮の存在を信じ込んでしまう多くの人は、他人の本物の生を捉え損ねて、何か別のものしか見えていないのだろう。きっと地位だとか、外見だとか、自分の利益に繋がるちっぽけなものなのだろうが。
諸君が著名な人々の死の報を聞きつけたならば、ある人は深く悲しんで見せ、またある人は偽善じみた弔辞を繕えて、等々のパフォーマンスを多くの前で演じることに余念がないようであるね。私は知っている。多くのものにとって身近に起きた死とそこで描く物語調の生の伝記(=美談)からは微塵も生への畏怖の感じられないということを。
棺の中の有名人はきっとそれに叶うだけの大きな仕事を行ってきたのでしょう。ではもし彼が通いつめていた喫茶店で溢した表情から、あるいは数多の置物ならどれでもいい——そうだ、操り人形が——いつか耳にした彼の嘆きの片鱗を繋げ合わせることで立ち現れる過去の重みも大いなるものであろう。私はこう信じる、「人生」を信じる人々より、彼らが見向きもしなかった、棚の上で埃をかぶったものたちが生の教えを授けるのだと。


想像してみると良い。人生なるものを人が見つけるとき、彼らは何を見ているか。それは死骸だ、もう動かなくなったものだ。彼らは何を見定めようとしているか。それは価値だ、逃げることのない偶像だ。賛辞であれ罵倒であれ、それは一方的な働きかけだ。諸君が最も嫌う悪徳と違いはあるまい。人生という言葉は暴力であり、語る人間は加害者だ。
約束して欲しい。これから「人生」という言葉を簡単に使ってくれるな。その言葉の持つ矛盾の中に苦しむ者を、私は幾度も目にした。その言葉を使ったことで他の者の生き生きとした躍動の今を止めて、まるで死人を語るかのような残酷さを持つようになった者を、私は見てきた。残酷さを自分の過去と未来に差し向けて、今を伸びやかに生きる勇気を失った若者の涙を、私は幾度も止められなかったのだ。

主役はマリオネットであり、主題は生の悲劇だ。予想される問いに対して、ここで私はあらかじめ断っておく必要があるだろう。
——「『人生』を否定する者が、生を語ることが許されるのか」
諸君は認識する必要がある。語り手としての私は時計であり、あるいは時計の針が織りなす幾重もの螺旋である。私は「者」ではなく「物」である。同様に、マリオネットも人間ではなく物質である。人形が動き、まるで生きているかのように見えた生の幻影たる存在である。だから次のように表記されるのが正しかろう。
——「人生を否定する物が、我々が生きていると信じる物の過去を語ることが許されるのか」
矛盾は自ずと解決された。私と彼は問いかけの範疇の外にいる〈もの〉であり、物質であるという点において対等である。精緻な動作を目的として作られ、硬い木肌をもっている。若人という生き物の特徴—奔放な自由と柔らかい肌—と真反対の性格をもち、生も知らず、死も知らない。だからこそ、私は彼について語り、人間の生に見立てる権利を有するのだ。

マリオネットも時計たる私も、ここを訪れる若人も皆んな、〈生きる〉ことに疲れた顔をしている。だが君たちと我々の最大の違いは…人間は有限の生命をもっていることなのだ。
一人きりの人間よ、君の命の限りがくるまで苦しみを幾つ、幸せをいくつと数えていけば驚くだろう。幸せのなんと数え難く、苦しみの絶えないことだろう。若人よ、君は自明に、生の苦しみの道を、ただ一つ見据えていなくてはならない。

使い古されたモノよ、忘れられた人間よ、諸君はこの大きな街のどこかでうごめくのだ。「なんでもないことから選ばれた」という点が、私たちに存続の鎖を感じさせてはいまいか。
苦しみの中を生きていこうとする全ての者よ、誇り高く、埃に埋もれるもののために、私はずっと時を刻んでいるのだ。その微かな音を聞き分けたものよ、私は時計だ。全ての人とモノたちに生を問いかける者だ。

さあ諸君、そこに腰掛けると良い。時計の音だけが響くこの部屋にいるのは君と、動かなくなったマリオネットだけだ。いま窓の外を歩く人びとは、誰一人君に気づきやしない。ゆったりと珈琲をすするが良い。
これから諸君に付き合い頂くのは、生に殺されてしまった者の話である。彼はあまりにも過去を愛した。純真無垢に自分の意義を追い求め、ついに彼は生きることを諦めたのだ。時計の針はいま、戻されなければならない。

時計は語り始めた。

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