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トンネル(小説)

歩いている。

自分は今歩いている。

自分の足音だけが、暗闇に響いている。

サシュ。サシュ。

足音は壁に反響するのか、妙に大きく聴こえる。

歩き始めてから、だいぶ時間が経つ。

しかし、具体的に、何時間、何分、いや、何日間?歩いているのかは、全く分からない。

ひとつだけ分かるのは、自分が歩いている事だけ。

次に、周りはまっ暗闇で、たまに、天井のような場所に、薄暗く、オレンジ色のライトが灯っている事だ。

時たま、道はカーブを描いたりして、曲がり角や、分かれ道があったりする。

(ここは、どこなんだ)

僕は考える。

その前に、まず、自分が、誰かさえも、思い出せない。

僕が持っている記憶といえば、3つ前の曲がり角で左に曲がった事と、いちばん最初に歩き出した時にはすでに、周りが真っ暗だったことくらいだろうか。

何故だか、脚には感覚がなく、もうずっと歩いているはずなのに、疲れを感じない。

とはいえ、ここ…どこかは分からない、に着くまでに、大分途中で立ち止まっていた気がする。

自分が誰なのか。ここがどこなのか。

うずくまって、よくそれを考えていた。

しかし、そういう時間は、大抵憂鬱で、そして、いつも、決して答えが出ないのだった。

いったい、この暗闇は、どこまで続いているのだろうか。

その問いが、いちばんのくせ者で、僕が、決して考えてはいけないことに定めている、いわば、タブーだった。

歩く。

サシュ。サシュ。サシュ…。

ああ。

また、曲がり角だ。

右に行くか。左に行くか。

僕の中でのジンクスとして、ずっと右に曲がり続けた時期があったために、今は、挑戦的に、左に曲がり続けることが、いわばこの暗闇の中で、僕が持てる、数少ない希望、つまりグッドラック、なのだった。

(左に行こう)

このトンネルが、いったいどこに繋がっているのかは、全く分からない。

しかし、この、どこに曲がるか、の判断が、最後に辿り着く場所を確実に変化させる事だけが、この暗闇で、鋭敏になった僕の感覚が、正確に伝えてくる、絶対の事実なのだった。

左に曲がる。

また、天井にライトがついているのを見付けた。

いったい、これで何個目のライト…。

たまに、ライトのある場所で周りを見渡すと、足元に、どうやら他の人物がつけたと思われる足跡や、壁…ごつごつとしていて、継ぎ目がなく、色は、よく分からない…に、読み取れない、殴り書きのような、おそらく落ちていた石でひっかいたような跡が残っていたりする。

このトンネルを、歩いた人物が、居るのだ。

僕はこの暗闇の中で、まだ人に出会った事がない。

だが、どうやら、このトンネルには、先駆者…それが複数か、一人なのかは、分からないが、そういった存在が居る事だけは、想像が付いた。

さっきの曲がり角を左に曲がってから、やや、空気が澄んできた気がする。

ここが、地下にあるのか、はたまた高い山の上にあるのか、なぜ僕が呼吸をしても酸素がなくならないのか、それは全くの謎だったが、空間を流れる空気は、時にほこりっぽく、時に乾燥し、時にじめじめと、今自分の居るであろう場所を、暗に伝えてくるのだった。

あの曲がり角を曲がってから、空気が、澄み始めた。

つまり、どこかに、外に繋がる穴、もしくは出口があるのだろうか?

そこに、近付いているというのだろうか。

少しだけ、胸に、希望のようなものが、湧き始める。

これまで、こんなに空気が澄んだ場所に出た事は、無かったから。

(もしかしたら)

(ここを)

(出れる…?)

歩き出す。

サシュ。サシュ。サシュ。

相変わらず、地面は冷たく、脚の感覚もないが、何故だろう。

少しだけ、歩くのが楽しくなってきた。

歩き続ける。

サシュ。

ここに。

出口が。

あるのかも。

しれないなら。

(僕は歩く)

すこしづつ、駆け足になってくる。

息が、あがる。

僕は、暗闇の中を、走る。

(疲れたら、)

(すこし、休もう。)

僕の感覚が、空気が澄んでいく過程を、徐々に捉えはじめた。

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@

『お前、どうしたの』

『えっ?』

『いやいや、何ボーッとしてんだよ。調子でも悪いの?大丈夫?』

友人が聞いてくる。

目の前には、新宿の大交差点。

横には、友人達が居る。

街は相変わらず、人、人、人。

雑踏の中に、僕は居る。

『変なもんのやりすぎじゃない?体に気を付けた方がいいよ。』

『あっ。そういうのじゃないんだけどさ。なんか、ね。』

『このあとライブなんだから、気合い居れろよ!そういうとこだぞ!』

『いやあ、マジごめん。寝不足っぽいわ』

交差点の向こうには、疲れぎみのOL、高校生のグループ、杖をついたお爺さん、早く信号が青にならないかが待ち遠しそうなビジネスマン、ベビーカーを押した夫婦、ばっちり化粧した女性、悪そうなお兄さん、作業着のおじさん、仲の良さそうなカップル、ブランド品を着こんだお姉さん、幼稚園くらいの子供を連れたお母さん、よく見ると非常に作り込まれた形をした高層ビル、繁華街の入り口のボロボロの蛍光アーチ、急ぎ足な車の群れ、パトカー、待ち合わせ待ちの女の子、無表情な建物、極めて平凡な空模様、平然とした太陽、胸が悪くなるような排気ガス、ビルのガラスに反射する日光、黒く貼り付いたガム、捨てられたペットボトル、空き缶、マックの包装紙、紙袋、金券ショップ、ダンスホール、居酒屋、睡眠薬、音楽、雑音、バーニラバニラ、山手線。小田急線。ラーメン。ペン。紙。マイク。スマートフォン。友達。人。人。人。人。人の大きさ。街の大きさ。景色の大きさ。音の大きさ。自分の、小ささ。

『どうする?とりあえず、コンビニいっとく?』

『ワンチャン中華とかでもいいよね』

信号が変わる。


人が、動き出す。

世界が、動き出す。


そして。


(この脚も、歩き出す。)






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