見出し画像

電脳に拡張された自我とセカイ

なんともキュウキュウとしている。
とりあえず、面接である。
この間の、編集の仕事に就く前に、景気付けに散財したのが、馘首された今となり、響いている格好だ。

地元に、夜までやっている居酒屋を見付けたのと、久々に行った大箱で、久々に音楽に踊り狂ったのが、最近の幸せの一欠片だろうか。

読書だが、清水マリコ女史の『侵略する少女と嘘の庭』、これは好きなライトノベル、 そして松尾スズキ氏の、『人生に座右の銘はいらない』、これは人生相談、この二冊を読んでいる日々である。
双方に共通するのは、ライトでありながら、影が濃く、生なましい本であるという所だろうか。

友人達もそれぞれにキャパシティオーバーな状況らしく、あまり連絡も取り合っていない。
まあ、僕が前の仕事が決まって忙しくなってしまった事も一因なのであるが。

我が精神の周囲…これは安吾のサンプリング、を見ると、これはもっぱら機材との対峙であり、また、パソコンという、元々はあまり好きではない道具とひたすらに仲を深めてゆく流れに居るという事で、まず間違いないであろう。

さらに、最近考えた事…といえば、某逃げちゃダメだアニメについての回想だが、あれは日本とアメリカの関係であったのか、サイケデリックの話であったのか、自と他が明確に区別され始めた世代の始まりの物語であったのか、ひとつ言える事は、肥大化した自我、エゴ、が、世界の命運と連動する救世主願望=『セカイ系』の表出の始まりであったのであろう事は間違いないだろう。

某雨降らしアニメもまたセカイ系であるが、何故だろうか?人間のエゴは、ついに個人と世界の破滅と救世とまでが直結するまでに大きくなってしまったという事だろうか?
とはいえ、根本的に神話的物語類型にこの救世主型が存在する以上、ある意味で神話への回帰…語るべき物語が無くなった世界が、現代だという事なのだろうか。

何かを否定したい訳ではない。
ただ、宮崎駿などに見られたあの屈折した共生への意志…が、消え去るほどの自己。
それはSNSや口々に言われる承認願望…
端的に言おう。ナルシズム、が、肥大しているのであろう。
ナルシズムだ。
僕は先天的に狂気的なナルシストなので自己のナルシズムの肥大や縮小に自覚的であり、また、表現をやっている人間は自己を客観視するために、そこに対し自覚的である。
しかし、主観のみの中で肥大してゆくナルシズム…SNS、youtube、これら、脳の機能の拡張をひた進めるITテクノロジーというヤツは、人間をどこに連れていくんだ?

SFが現在なら、現在はSFであるからして、未来もSFであり、過去もSFなのかもしれないね。
ghost in the shell、肉体が機械に取って代わった時、サイバーの中に自我が写し取られた時、じゃあ、魂ってヤツは、一体、どこにあるんだろう。

僕は人間で在り続けたいと願う。
しかしこうしてSNSを使い、脳を拡張し、自我を肥大させる…
電脳のテリトリー。イメージの浸透。
芸術の罪。芸術の愛。
エゴ。利他。果たして??

仕事が無いのでね。
下らない事ばかり書く。

とりあえずこんな感じで。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
今日は少しばかりつっけんどんだが、赦して頂きたい。
皆様に幸のあらんことを。

梶本

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?