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【感想#4】光のつかまえ方を考える夜

人は二種類に分けられる。

英語が話せる者と、そうでない者

言葉にしてしまえばたったそれだけの事なのに、それだけの事が多くの絶望を生み出し、暗闇の中でたったひとつの希望となるのだと感じた。

『エンドロールのつづき』
監督:パン・ナリン

ヒューマントラストシネマ有楽町にて、観てきました。劇場コラボドリンク、サマイのマサラチャイを片手に。スパイシー×やさしい甘さでとてもおいしかったので、これから観に行く方は是非!

インドの田舎町で父親のチャイの店を手伝いながら学校に通う9歳の男の子が主人公。映画は低俗だと厳格な父の教えがあったが、唯一信仰するカーリー女神の映画だけは特別だと、家族で観た映画は主人公サマイに鮮烈な光を植えつけた。以来すっかり映画に魅了されてしまったサマイは授業を放り出し映画館に忍び込んだりするが、あえなく見つかりつまみ出されてしまう。そんなサマイの様子を見かけたのが映画技師の男ファザル。彼はサマイが母から持たせてもらっている弁当と引き換えに、映写室から映画を見せてくれるというのだ。
 映写室から映画の世界に触れ、様々な光を目にして。やがて映画を作りたいという夢を抱くサマイの運命がまわりはじめる……

光は物語を映し出すと、作品の中で語られていたのがとても印象的だった。作品の中での光はとても大事な役割を担っていたと感じた。サマイと友達たちが映画を作る過程で“光をつかまえる”と話したことは、物理的な意味に違いなかったけれど。これは光をつかまえるために歩き続ける、発展しつづける人生そのものの話にも掛かっているようで。ラストのシーンでサマイに向けて友達が光を送ってくれた事がとても嬉しかったし、涙を流さずにはならなかった。

映写機はカトラリーに、フィルムはアクセサリーに。
エンターテイメントが実需あるものに変わっていく様はさびしかったけれど、そのものに宿っている生きざまは消えないのだと。
主人公は映写機やフィルムのなれの果てを見ることでさらに成長したと思えた。
そして冒頭へと戻るのですが。この作品と切っても切れないのが進化し続ける世界で生きるには?ということ。全体的に台詞数も少なく綺麗な描写で静かに進んでいく物語の中で、学が無い(という言い方は少し乱暴かもしれませんが)だけでこうも簡単に職を失ってしまうのだという事実。考えればすぐ出る答えかもしれないけれど、衝撃だった。「英語が読めません」という父や映画技師のファザルさんの言葉に思わず奥歯を噛み締めてしまった、やるせない。
それぞれの環境はあるけれど、学ぶために外へ外へと歩み、臆せず手を伸ばしていける人間は強いし、自分もそうありたいなと実感させられました。

印象的なシーンはいくつかあったけど、個人的にサマイのお母さんが作る料理の描写がとてもすきです!色とりどりの野菜や香辛料で視覚的に釘付けになるのはもちろん、油で素材たちを揚げる時の音には香りまで感じるかと錯覚したし、お弁当を包む手はあたたかで、母の深い愛情を感じました。
わたしとしては、母のお弁当はかなり大切な物の部類に入るので、それと引き換えになる映画を観る権利と考えるとサマイにとっての映画はそれだけ大切なかけがえのないものなんだな……と感じました。いや、わたしと価値観が同じではないだろうけど。
サマイ、母のお弁当は食べたい時にいつでも食べられるものじゃないんだよ……

私情が出すぎましたね。

語れるのは強さだと、作中の台詞でありました。見聞き感じた事を相手に伝えるのは簡単なようでなかなか難しいと感じます。相手に楽しんでもらえたりと、心を揺さぶるならことさら。
素敵な作品に出逢えたので、わたしも自分が築いてきたルーティンに留まるだけではなく、手を伸ばし光をつかまえて、流れていく時代に取り残されないように歩みつづけていこうと思います!

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