ルールの不備とルール運用の不備

3歳児が通園バスで放置殺された事件、記事によると内部から「ルールの不備があった」との声があるそうです。想像ですが、外から見える上位ルールはおそらくまともで、外から見えない下位ルールに不備があったのだと思います。その場合、「ルールの不備」よりも「ルール運用の不備」の方が適切だと思います。

言葉遊びのようですが、外から見えないルールの不備であれば外から見えるルールをいくら監視しても無意味です。発言の真意は表現通りでないと理解していますが、素直に受け取ると事件を繰り返す気がします。

集団の内側から見えるルールと外側から見えるルールは違います。同調圧力や口頭指示のような暗黙のルール、明文でも非公開のルールは内側やそれに近い位置からしか見えません。公開されたルールになって初めて外部からも確認できます。内側にいるとどちらもルールなので「ルールの不備」ですが、外側から見る限りはルールに不備はなく「ルールの運用の不備」です。

「ルールの不備」と「ルール運用の不備」は国民の理解を通して行政による監督方法につながると理解しています。行政のコスト削減が進むほど、保育施設や利用者と行政の距離が開いて「ルールの不備」が行政から見えなくなり、「ルールの運用の不備」として表出する可能性も出てきます。もちろん、無駄なコストは省くべきですが。

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