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Restart from the basic

どーもです!
一本傷の狼でございます!

いちばんはじめの記事(→自己紹介について)の後半部分で、障害者作業所施設に通所していることをお伝えしました👇

今月中旬ごろに区発行のNPO法人の情報誌が出版されまして、なんとそこに私がお世話になりっぱなしの作業所のことが掲載されているではありませんか!これはやらずにおれるかっ!ということでご覧くださいませ( *・ω・)*_ _))ペコリ

tsuzuki ANCHOR Vol.8より引用

情報元は下記のリンクにアクセスいただくと掲載されております。また他の事業所団体のことについてもふれておりますので、ご興味・関心のある方はぜひご覧ください👇


昨日の友は今日の仇

さて、私は生涯の約3分の1を【クラブハウスすてっぷなな(以下、ななと表記)】で過ごしました。横浜市総合リハビリテーションセンターで心理を担当する先生に紹介され、「すこしでも状態が良くなるなら」と入所を決意。

「1年ほどリハビリして復学できるといいな」

障害といえど極端に疲れることを除けば大したことはないと思い込んでいた当時の私は、その期間中におびただしいほどの障害の量と質に遭い、さらに3年間自身と向き合うことになります。下記の内容が死ぬまでつきまとう後遺症の数々です。

  • 注意障害全般
    ⇒容量性、選択性、転換性、持続性、配分性の5点

  • 失語症(特に「聞く」ことが苦手)

  • 社会的行動障害
    ⇒おもに感情失禁、固執は強く出る

  • 遂行機能障害

  • 易疲労性

受障して5年、長らくお休みしていた某専門学校に復学を果たした私でしたがわずか1週間で退学してしまいます。あんなに待望していたにもかかわらず。

理由は簡単、この学校だけに限らず社会機構のほとんどが同障害への理解に乏しかったから。きちんとまとまっていたかはともかく、復学前に窓口でこちらの事情を懇切ていねいに説明したものの、とても話を飲み込めていたとは思えぬ対応をされましたし、目指していた界隈の「体質」を見抜いてしまった点もあって『もとの生活に戻る』ことをやめたのです。過去に還れば幸せになれる保証はありませんし、何より今という瞬間と今後の時間がもったいないと思いました。

ということで元の木阿弥、再度ななの門を叩き仲間たちとともに「今後どのような道を歩むか」を考えていくことに(´-_-`;)ウーム


鴨の水掻き

一見お気楽な毎日を過ごしているように思われがちだった私ですが、たんに苦労しているさまを見せていないだけで何もしていないわけではもちろんありません。必死にがんばっている様子を周囲に打ち明けても、人というのは案外他人に興味を示さないのでアピールの甲斐なく徒労に終わるものです。承認欲求をだだ漏れさせるより自己探求に努めたほうがよりよい自分に生まれ変われるであろうと信じ、ななに通所する以外はひとりの時間を多く堪能していました。その過程で何度も自問し見出した答えは、「やはり私は表現者でありたい」。ふたたび門を潜ったあの日から約9年が過ぎた頃、ふと私は次のような思いを抱きます。

「高次脳機能障害に関する知識や体験はおおよそななで培われてきたけれど、外はどうなっているんだろう

日本全国の同士が何を感じ、考え、今を生きているのか。情報収集のために昨年末からX(旧Twitter)をはじめたものの、最初のうちは直接的につながることを極力避けました。何故かと言いますと、一口に高次脳機能障害とは言えど損傷箇所や病因の違いから各人が悩み苦しむものが三者三様のため、共感的理解に励むにしても至難の業。濫りに近づいたことでトラブルの火種を蒔く事態に発展してしまったら、障害当事者同士で争うことになり両者ともに面白くなくなること請け合いでしょう。おたがいに繊細であることも踏まえ慎重に進めることにしたのです(;´・ω・)ソーット×2


旅は道連れ世は情け

2023年6月23日 某大学にて

今年の6月下旬、幸運なことに某大学で講演会のご依頼を頂戴しまして、ななのみんなといっしょに大学へ赴き130人以上の学生さんを前に障害に関するお話をさせていただきました。あらかじめ400字詰の原稿用紙10枚分の演説内容をしたためておきながら、実際はほとんどそれを読まずに喋りたおすありさま。何のために書き散らかしたのかわからない原稿はきっと涙目になっていたことでしょう。ただ熱意は伝わったのか、約130人のうち1人の学生さんと講演後に感想会のようなやりとりを交わすことに成功しました。いろいろと改善点は見つかりましたが、何よりもただの1人でも学生さんの心に響いたのがうれしかったです(*´ω`*)

また9月末には、脳卒中→高次脳機能障害者によるYoutube LIVEにゲストとして参加いたしました(※こちらはななとの連携はなく私個人での参入です)。もしあの放送をご覧くださった方は、私がどのような顔つきをしているかおわかりだと存じます。申し訳ないですがあんな感じです(;・∀・)

さらに今月の中旬、上記の方とは別の高次脳機能障害当事者の方とYoutube LIVEで対談することが合叶いました(※こちらもまた私個人のみの参加です)。地味ではありますが徐々に同士の方々と交流を深めていけたらと願っております。

ただ私自身はあまり話すのが得意ではないと思っております。多弁であるが故にトークスキルに長けていると一部の人に思われているようですが、一発勝負で言の葉に音を乗せるよりいくらでも書き直しが利くほうにやりがいを感じられます。

ですので今後も私自らが発信する際は、X(旧Twitter)かnoteで文字を用いての伝達になるでしょう。その日の体調がすこぶる良かったり熟考に熟考を重ねた結果更新が遅れたりすることは今後も多分にあると思いますが、どうかお付き合いいただけると幸いでございます。

そして私がここまで積極的意志をもって啓発活動をはじめたいと思えるようになったのは、間違いなく「クラブハウスすてっぷなな」のおかげです。

初期の私は人のカタチを成した何かでした。たとえば、いやな事やショッキングな目に遭いネガティブな感情を引きずったまま作業所に出向いてしまったことで統括所長に白い目と冷たい口調で、「まるで作業にならないから今日のところは帰りな?」と強制退去宣言を下されたり。作業所で1日を終えたのちに、小1時間ほど休んでからでないと自宅に帰ることすらままならなかったり。

…これらのほかにも蒸し返せばいくらでも出てくるのですが、キィを打ち込む私の気力が削がれそうなのでいったん筆を置きます。


明日は明日の風が吹く

かれこれ義務教育期間以上の年月をななで費やしましたが、骨折などとは違って脳が壊れると年単位での治療が必須ですし、完治はほぼ不可能。せめて日常生活を送れるよう寛解に努めるしか策はないといってもいいでしょう。

私からすれば完治とは過去への回帰に等しく、九死に一生を得た身にもかかわらず時間の使い方を間違えているように思ってしまうのです。各々がどのように過ごすかはそれぞれの自由です。しかし時の移ろいは人間のチカラではどうすることもできませんし、自然同様に抗う術もないのです。過ぎ去ったものは還ってこない。ならばこれから容赦なく流れ出てくる時の波に乗って、生涯を楽しく送ったほうが生きる悦びを味わえそうな気がするのです。この世界はなるようにしかならない。悲しみに沈んで立ち止まるよりも、明るい未来をイメージして着実に前へ進むべきだと思います。

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