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[恋バナ]僕の理想はこの世にいなかった

僕は、文章を書くことをデトックスとしている部分もある。ついでに思考の言語化の訓練。書くなと言われても書く。別に特定の人物と分かる情報は書いていないのだから何も問題はないだろう。そもそも、人の行動を束縛する権利は誰にもない。

ネットで理想だと思った人に会えた。その人は僕のハンデというか欠点を全て受け入れてくれると言った。僕は、その人となら幸せになれるかもしれないと思った。

だが、その人にはその人の価値観というべき守るべきものがあった。僕にはハンデがある、つまり他より劣る点があるので相手側も何かしらの欠点や要求があればイーブンであるし受け入れるつもりであった。これについて取引みたいと否定する人がそこそこいるが、交際および結婚はお互いの同意の元にするのだから紛うことなき取引で間違いない。

彼女はバツイチであった。別に構わない。
子供がいた。ん?
一人は流産したらしい。うん、そうなんだ。僕は子供の頃、自分の母から流産した話を聞いていたが特に重みもなくあっけらかんと話していたのでそんなもんだという認識。でも、彼女曰くそれを今でも重く捉えているらしい。うん…
もう一人は、無事出産したが旦那の暴力で二ヶ月で死亡したらしい。お、おう…でも、過去のことだし仕方ない。
以上は七年前の話らしい。僕は聞いた。今連れ子はいるのか?彼女の答えは、生きている子は確かにいないけど自分には大事な子どもがいるんだと。この世にいなくともここにいるんだと激怒した。まあ、そういう価値観もあるのかとは思った。ちなみになぜこの質問をしたのかというと、単純に子ども連れの女性とは特に子どもについてうまくやっていける自信がないから。また、彼女の考えというか地雷ポイントの見極めである。これは後に確信に変わる。

そして、端折るが彼女は言葉を自分の解釈で勝手に進めるようなところがあり、お互いの解釈不一致が結構あった。故に二転三転して僕も精神的に疲弊したのだが、最終的には将来的に付き合う可能性になった。この可能性というのは、一年間を通して彼女が僕を審査するというもの。

その審査は、彼女の子どもを僕が受け入れるかどうかを見るというもの。
具体的には、彼女の死んだ(僕はあえて亡くなったとは書かない)子どもの遺影があってそれを大事にするかどうかというもの。
彼女は、遺影に向かって、起床時に「おはよう」、就寝時に「おやすみ」、そして、外から帰ったらその日あったことを遺影に語りかける。旅行に行くときはその遺影も一緒に連れて行く。これらを受け入れること。
また、子どもの誕生日は盛大に祝うとのこと。
一見、簡単だと思うし、それも彼女の価値観だから問題ないと思っていた。
が、冷静に考えると受け入れてはいけないことに気付く。

そもそもの話として、子どもが死んだのは七年前である。引き摺りすぎだと思う。どんな大事な人でも一年。それ以上は時間の無駄である。なぜなら、生きているこの現実が大事で死んだものは生きているものに全く影響を与えないからだ。この考えは、養老孟司の「死の壁」がわかりやすい。
彼女の歴代の彼氏は、そんな子どもはいるはずない!妄想だ!と言って認めなかったパターンがあったらしい。それを初めて聞いた時、酷い話だと思った。しかし、冷静に考えれば彼女が死者に縛られているが故にそれから目を覚ますための行動であった可能性が高い。それを拒否していったらしいので彼女はそれを断固として曲げないだろう。
さて、僕は想像してみた。まあ起床就寝の挨拶は一言だ。そこはいい。だが、毎日遺影に今日あったことを語り続ける様は毎日見ていたらさすがに狂気だと感じるだろう。多分、耐えられないと思う。
後、誕生日を祝った写真を見せてもらった。遺影の前に食べ物を置いて、「祝!◯歳」と書かれていた。死んでいるのに祝?僕は違和感しか感じなかった。人の言葉だが、「亡くなった人に対してありがとうは言うけど、おめでとうは言わない」僕はこの言葉に同感である。やはり、狂気に侵されていると思う。
これは未来の話で想像であるが、もし彼女と僕の子どもができたら、おそらく彼女は子どもに遺影を見せてお兄ちゃんだよと言う予感がする。そして、毎日遺影にあいさつをさせる予感しかしない。それは、子どもにとって悪影響である。健全ではない。その子どもは両親を恨むようになるし、虚無感で成年になるまで過ごすことになる。
もしそうなら、彼女は母になるべきではない。僕は断言する。

理想だと思った人は狂人であった。後は、彼女は自分の理解で話を進めるきらいがあり、意思疎通が本来と真逆なことが多々ある。故意なのか過失かは分からないがどちらにしても振り回されることになる。後は、彼女の行動に不審な点もいくつか見受けられたことも追加要素としてある。それは細かいし、根拠がないので端折る。ただ、そんな要素でも積み重なると疑惑しかない。

以上のことから、僕は彼女との交際を断念した。そもそも、付き合う前の審査というか価値観のすり合わせはするものだと思うが死体の取り扱い方を課題にしていることから、相手の価値観は重要でないことが分かる。彼女に好きな人がいたが、その人がなぜ好きかというと、その死体の取り扱いが上手いかららしい。その他の人格面は気にしていない。彼女の世界は死者が中心で、生者はおまけのようだ。
正直、ショックよりも安堵の方がでかい。僕は思いのほか、冷静であったと思う。

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