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つけあがる前に断ろう

中身をちゃんと整理せずに依頼する人。なんでも考えずにとりあえず投げてくる人。助けてばかりでGiveしまくる人。そんな人はいくらでも湧いてきます。一度、やさしさや許容すれば、つけあがっていくだけ。自分ばかりが損します。そんなふうになる前に「断り」ましょう。

1、「断る」は悪いのか?

「これやってよ~」「ちょっとだけ手伝ってよ~」「今度は○○するから~」こうやって、あれやこれやとお願いしてくる人がいます。はっきりいってクズです。人間としての誠意がまずスタートラインからありません。どうしようのもない人です。

初めから元も子もない話ですが、世の中には一定の、こういう「ぶらさがり」な人生ばかりを歩んでいる人がいます。人の良心につけ入り、断れば「友情」とか「信頼」とかを持ち込んできます。

そもそも、そんな安易で一方的なお願いをすること事態が「友情も信頼もできない」わけですが、そんなことはお構いなしに「自分の要求や困りごと」を叶えるためだけにあちらこちらをお願いをしにきます。

はっきりいって、タダのりです。人の力を使って、生き延びているだけです。それを渡り鳥することを「うまくいきている」と勘違いさえしています。単に、人の善意をつなぎ合わせただけの人生なのに…。

だから、どうどうと断ればいいのです。

「できません」と。

その時に、どんなことを言われようが、友情が壊れたなど言われようが、かまいません。だって、その人にとっては「誰も相手にしてくれない」道しかないのですから。

お願いする選択肢が減ることに困り果てるのは「相手」です。だから、断っても窮地に立てば、どうせ戻ってきたりするのです。そんな相手のために、有限の時間や労力、睡眠時間や体力、知恵を使う大義などありません。

だから、断りましょう「できません」と。

2、「怒る」という芝居も使い方次第

それでも、穏やかな口調だったり、早く激しくいい詰められてしまうと、言葉が出なくなってしまう人もいるでしょう。それでもいいのです。

「できません」といえばいいのです。

何度言われても何を言われても、今度は力を込めていいましょう

「で・き・ま・せ・ん!!」

たまには怒りをぶつけたって、いいのです。そんなどうしようもうない相手なんですから。誠意なき相手に誠意がなかろうと、こちらの責任でもありません。相手の問題です。

むしろ、穏やかで居続けるほうがが、相手にとっては「都合がいい人」というカテゴリに区分され、いつでも何度でも使われるだけ。

だから、もう一度いいます。

「できません!」といいましょう。

「無理です!」でもいいです。「やれません!」でもいいです。

「忙しい」でもいいです。それでもしつこく絡まれたらこういいましょう。

「いま、時間がありません!」

そして、立ち去ればいいのです。電話は切ればいいのです。メッセージを送り返すのをやめればいいのです。未読スルーすればいいのです。

3、やさしさは、相手次第

どんな人にもやさしくすればいいというわけではありません。相手の敬意と配慮ある姿や言動に対して、こちらもそれに「合わせる」だけなのですから。

「罵倒する」相手には「罵倒して」もいいですが、そもそもそんな応酬をしても無駄の極み。無視一択です。

「しつこい」相手には「断り続ける」でもいいですが、遮断して離れればいいのです。

やさしさとは一体なんでしょうか。それは、「相手に対する返事」でもあると思うのです。

されたことをこちらの思いと気持ちを込めて返す。それが「やさしさ」の本来ある姿のはず。だから、「やさしく」する相手は選んでよいのです。誰でもいい顔をすればいいのです。

いい加減につけあがった相手には、ばっさり断ればいいのです。

「やさしさだけではないのですよ、わたし」と。

4、人間関係はリトマス試験紙

こうした「どうしようもない人」が近寄ってくるには、相応の理由や態度が自分にもあることは一方で理解しなければなりません。断る気配がなければ、相手だって要求を高めてくる。

声をかけづらければ、相手だってそうそう声はかけてこない。

相手が自分に要求する。その雰囲気やきっかけは、態度や姿勢にあるはず。そう思って、人との接し方を変えていくしかないのです。

いいように利用されない。

そうした固い意志と決意こそが、結果的には「いい人間関係」を作って根幹だと思います。

さて、あなたの周りのも、迷惑な人はいますか?エスカレートしないうちに、断っておきましょうね。あなたの時間と人生を不幸にするだけです。

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