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ワールドカップ優勝国の夜明け前『壁を壊せ!~ドイツ女子サッカー 台北の奇跡~』

 2020年ドイツでは、これまであまり語られることのなかったドイツ女子サッカー黎明期のエピソードが、数多く紹介されました。1970年にドイツで女性のサッカー競技が正式に許可されてから50年という節目の年だったのです!

 みなさん、はじめまして。ヨコハマ・フットボール映画祭note公式マガジン第18回を担当するKAMEです。サッカー映画が好きで、ヨコハマ・フットボール映画祭は第1回目から見に行っています。2020年よりスタッフとして作品選定と字幕製作を手伝うようになりました。普段はブンデスリーガとドイツ映画をよく見ています。今回は10月9日から開催のヨコハマ・フットボール映画祭2021で上映の『壁を壊せ!~ドイツ女子サッカー 台北の奇跡~』(原題:Das Wunder von Taipeh)の背景をご紹介します。

映画の概要

 サッカーに関するドキュメンタリー番組を多く手掛けてきたジョン・デイヴィット・ザイトラー監督は、ある番組のためにサッカー関係者にインタビューを行っていた時に、「SSGベルギッシュ・グラートバッハ09の女子チームはワールドカップで優勝したことがある」という話を耳にします。公式記録を見ても、そのような記述はありません。そもそもSSGベルギッシュ・グラートバッハ09というクラブはあっても、女子チームはすでに解散し、存在していないのです。調べていくうちに、台湾で行われた非公式の女子世界大会で、SSGベルギッシュ・グラートバッハ09の女子チームに出場した事実を知ります。3年半の構想を経て、この知られざる歴史秘話を映画化したのが『壁を壊せ!~ドイツ女子サッカー 台北の奇跡~』なのです。

禁じられた女子サッカー

 1954年ドイツ代表がワールドカップ・スイス大会で優勝したことを機に、ドイツでは女性の間でもサッカー熱は高まります。しかし、翌1955年にドイツサッカー連盟(DFB)は女性がサッカーをすることを規則で禁じました。違反した場合、最も重いものでクラブライセンスの剥奪という、かなり厳しい罰則もありました。

 その後、1958年にDFBからは独立したドイツ女子サッカー連盟が創設され、1965年までに約150もの非公式国際試合が開催されました。女性の組織が拡大し、独立して自分たちを脅かす存在になることを危惧したDFBは、ついに1970年7月、女子サッカーを正式に解禁します。サッカーをしたいという女性は解禁以降さら増え続け、1970年に5万人だった競技人口は、5年後には22万人近くに拡大しました。

 しかし、女子サッカーはスタッズ付きのスパイクは禁止、競技時間は70分(のちに80分)と短く、さらに6か月間の冬休みを義務としました。なぜこのような差がつけられたのでしょうか。当時のDFBは『女性は弱く、守らなければならない存在』と説明していたようですが、2006年から2012年にDFB会長を務めたテオ・ツヴァンツィガーは『彼らは女性に抜かれるのが怖かったのだ』と指摘します。

壁を壊せ!~ドイツ女子サッカー 台北の奇跡~メイン1 (C) Corso Film _ Pressebilderdienst Horst Müller

ベルギッシュ・グラートバッハの時代 

 『壁を壊せ!』の主人公のひとりアンネ・トラバント=ハールバッハは、1977年、選手兼監督としてSSGベルギッシュ・グラートバッハ09に加わります。スポーツ指導者として正式な資格を持つ彼女は、勝つことにこだわり、チームメイトに厳しい練習を課します。ディフェンダーのエリカ・ノイエンフェルトは、『常に全力投球を求められ、ミスすると外され』、失ったポジションを挽回することは容易ではなかったと語ります。

 そしてベルギッシュ・グラートバッハの黄金時代が始まりました。クラブは今でいうバイエルン・ミュンヘンのような圧倒的な存在へとなっていくのです。SSGベルギッシュ・グラートバッハは、1977年から1989年の間に女子リーグで8度ドイツ王者となり、カップ戦での優勝も含め、女子サッカーの一時代を築きました。

女子世界大会への招待

 そんなチームに、1981年一通の招待状が届きます。それは台湾で開催される女子サッカー世界大会へ、ドイツの代表として参加しませんかというものでした。元々はDFBへ送られたのですが、連盟はドイツには女子の代表チームは存在しないと言って断っていたのです。

 台湾への渡航にあたり、DFBは彼女たちのサポートを全く行いませんでした。ドイツ代表などとんでもない、参加したければ自費でというのがDFBの対応でした。彼女たちはマーケットでくじを売り、サイン会を行って渡航資金を集めました。自分たちのボーナスもつぎ込み、メインスポンサーだった紅茶メーカーや、サプライヤー契約を結んだアディダスなどの援助を得て、ようやく台湾に向かうことができたのです。

壁を壊せ!~ドイツ女子サッカー 台北の奇跡~サブ3 (C) CORSO Film

 ほとんどの選手にとって飛行機に乗るのも初めて。台北ではサウナのような耐え難い湿度に慣れず、専門の医師もいない中で11日間で9試合というスケジュールは、想像を絶するほどハードなものだったに違いありません。

 連日のスポンサーイベントも負担となりました。国民の祝日には、軍事パレードに観客として参加させられました。誰も中国語を話せず、町には英語を話す人もいなかったため、外出すら困難でした。しかし台湾での大会は素晴らしく、町の中心にあるスタジアムは、試合のたびに満員。新聞でも大きく取り上げられ、台湾のテレビは試合を生中継しました。

 彼女たちは4-3-3のマンツーマンでプレー。ドイツ男子代表のようなリベロを置くシステムも使いました。ベルギッシュ・グラートバッハはそれまで国際大会の経験がほとんどなかったにもかかわらず、厳しい練習で積み上げた戦術とテクニックで対抗していきます。果たして、彼女たちの闘いの結末は?

壁を壊せ!~ドイツ女子サッカー 台北の奇跡~サブ2 (C) CORSO Film

その後のドイツ女子サッカー

 この大会の翌年、1982年にはついに女子ブンデスリーガが発足。ドイツ女子代表も正式に招集され、初めての国際試合を行いました。着実に実績を重ね、2003年、2007年とワールドカップ連覇、2016年のリオオリンピックでも金メダルを獲得するなど、女子サッカー界の強豪として君臨しています。(2011年、地元開催のワールドカップでの3連覇を目指した彼女たちを倒して、世界一に輝いたのが、なでしこジャパンなのです。)

 その一方、台湾でのベルギッシュ・グラートバッハ女子チームの闘いは、ドイツ代表として正式に記録されることもなく、歴史の片隅へ埋もれていきました。しかし彼女たちの孤軍奮闘がなければ、ドイツの女子サッカーの歴史は、ここまで急激に変わってなかったかもしれません。ベルギッシュ・グラートバッハの選手たちは、その後も正式に結成されたドイツ女子代表チームに召集され、アンネはキャプテンとしてプレーしました。

 そんな彼女たちの功績を掘り起こした『壁を壊せ!~ドイツ女子サッカー 台北の奇跡~』は、ドイツにおいて女性がサッカーをプレーする権利を勝ち取っただけでなく、子供心に刻まれた、ドイツ代表として優勝するという夢をかなえた人々の物語、としてもとらえることができると思います。1954年に『ベルンの奇跡』を見て芽生えた情熱は、1981年の台北に引き継がれたのです。

壁を壊せ!~ドイツ女子サッカー 台北の奇跡~サブ4 (C) Jennifer Guenther _ CORSO Film

 『壁を壊せ!~ドイツ女子サッカー 台北の奇跡~』は2021年10月にヨコハマ・フットボール映画祭で上映予定です。サッカーへの情熱をもち続けることの素晴らしさを、ぜひ多くの方に感じて欲しいなと思います。

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