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いつもいつまでも

この子には○○が出来るようになって欲しいんです!と望む親に、
『出来たいか出来たくないかは子ども自身が決めることですよ』という台詞を、それこそもう何百回何千回と、尊大な態度でのたまう仕事をしてきた。

人生のほとんどを賭けてそこは揺るがないと自負してきたのに、
相手がイヌとなるとたちまち侮って、
散歩がたくさん楽しめる子になって欲しいとか、
イヌの友だちと無邪気に遊んで欲しいとか勝手に望み、
今太郎がそれを出来ない(やらない)といちいちガッカリしたり自分をダメな飼い主だと責めたりして、
それをトレーナーさんはねばり強く、根本から、私の気持ちを否定することなく、

『すべて今ちゃんが選ぶとおりに』

と言い続けてきてくれた。

今太郎が何かを出来たか出来なかったかに拘泥するどころか、それについて私が熱心に報告しても、
まるで歯牙にもかけずにするりと視点を変えてくれた。

私はずっと、言葉ではアホのひとつ覚えみたいに『今太郎の言う通りに』と呟き続けてきたけれども、
ホントのホントにそれが腑に落ちるまでにはまる2年かかった。

イヌと育ってきたからこその、イヌは管理して保護すべきという呪いに囚われ、
実のところイヌの自立心や判断力、個性なんてものをまるで認めてなかったに過ぎない。

そもそも自分は常に社会の道の真ん中からこぼれ落ちて、ニンゲンらしくどころか野良犬のように生きることを選んできたくせに、
そしてそれなりに幸せにやってきたというのに、
イヌにはイヌらしさを望むって傲慢が過ぎないか自分。

ウチのイヌが今太郎で本当に良かった。
おかしゃんが変わり者で孤独が好きな偏屈だから、誰よりもそれを理解してくれるキミを、神様は寄越したんだね。

キミは私の人生の導き手で、私の良心を常に鍛錬してくれる存在。


とくいわざ、あさねぼう。
これも私と一緒や

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