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オレの街を歩くのだ

保護犬・今太郎を引き取って1年半、またまたフェーズが移行しておさんぽヤダヤダ期が終わり、ヒマさえあれば、ちょっとすいませんちょっくら外の様子を見に行きたいのですが、と主張するようになった。

特に夜の部の散歩は、私の仕事終わりからご飯食べてすぐ、街中をパトロールすることにしたらしい。
昼間騒々しかった辺りの様子を慎重に点検しながら、帰宅する人々の足元をすり抜け、電柱から電柱へと、ジグザグ歩きしながら熱心に嗅いでいる。

今日はいつもより遅めの出発だったので、スナックやガールズバーのネオンや、キャバクラのプロジェクションマッピングが道路に投影されるやつなんかも賑やかで、彼はそんなものも念入りに鼻で点検している。
うるさそうな酔っ払いが連れ立ってやって来ると、そっと電柱の陰に潜んだり、立ち止まってスマホを弄る人の尻を隙あらば嗅ごうとしたり、正しい野良犬のようだ。たいそう頼もしい。

実は私は、彼を迎えた時、犬はこの雑然とした街なんて絶対に嫌いだし、危ないから歩かせてはいけないと決めつけていた。
なので、人が起きてこない早朝に、繁華街とは反対の静かな住宅地方面へ15分もセッセと歩かせて、大きな都立公園まで連れていき、さあどうだここを歩けおまえはここが好きだろう、と、ド変態のジジイみたいなマネをしていた。

もちろん犬は嗅ぐのが仕事とは知っていたから、嗅いでるのを無理に引っ張ったりはしなかったけど、そもそも公園にたどり着くずっと手前から、『オレはもうこれ以上家から離れたくないのだ』と再三彼は立ち止まり、私は、なんで、どうして、といちいち困り果てた。ほどなく彼は、散歩に出ること自体を拒否し始めた。


それじゃあと今度は車に乗せて、毎日大きな公園に連れて行くことにした。
今太郎は車に乗るのは慣れていて、車内は安全だと判断していたから、それはそれで折衷出来たように思うのだが、やはり降りて歩くとなると、ふたりの間にはなんだかしっくりこない気まずい空気が流れた。
私は毎日悶々としていたが、それ以上に、『このニンゲンは、なんだって毎日毎日、オレを危険な目に合わそうとするのだ』と、ウンザリしていたのは犬の方だったろうと思う。


今太郎は我が家に来た第1日目から毎日、何かと言えば通りに面した方の広いベランダに出て、一番隅っこの、表からは見えないような角へ行き、大きい植木鉢の間に立ち尽くして、いつまでもいつまでも外を眺め、風の匂いを嗅いでいた。

ベランダは2階で、表通りに通じる私道を見下ろせる。
階下の玄関ドアが開く音が聞こえると、彼は急いでそこへ走り出て、出かけていく家人の後ろ姿を見守ったり、訪問した配達員の脳天をじっと観察した。決して吠えたり唸ったりはせず、むしろ気配を消している。
さながら、ゾンビの出る街へ無防備に出ていく仲間が、無事かどうかを見届けたり、訪問者がゾンビでないことを確認しているかのようだった。

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集中モード、シッポは下がる
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家政婦はみた

たった1年半の付き合いの中なのに、今思えば、ということはとても多くて、我ながらアタマをポカポカ殴りたいくらいなのだが、
今思えば(数回目)、彼はそうやって、家のベランダから『どうやらオレがこれから住むことになった街』を、とことんじっくり観察していたのだと思う。
いったいどんな生き物が行き交って、どんな未知の危険があるのかないのか。ゾンビが出るのか出ないのか。
外の世界に興味津々なように見えるのに一向に散歩に出たがらないのは、『まだ見極めてねーよ!!』という気持ちだったのだろう。

私はその後、トレーナーに諭されて一切の散歩を取り止め、少しずつ彼のペースを尊重したたのしいお出かけが出来るようになった。

そして、気づいた。
今太郎が本当に歩きたかったのは、私が、彼は絶対に嫌がるだろうと決めつけた『家の周りの雑踏』であったのだと。

そこが好きかどうかに関わらず、『オレが住むことになった街』を、しっかり嗅いで、地図を作って、毎日パトロールして、この街の先住犬であるトイプーや、シーズーやダックスなどのご近所メンツと、オシッコでお手紙を書き合いたかったのだ、たぶん。

その証拠に、車で大きな公園へ行こうよと主張するのと同じかそれより頻繁に、今日は家の周りを歩こうよ!とよく彼は言う。

文頭にも書いた通り、彼は私が考えていたよりずっと巧みに、雑踏を歩くことが出来る犬だった。
たくさんの人の足の間を上手くすり抜け、信号を渡り、車もバイクもうまくやり過ごして、毎日少しずつ、パトロールする路地の数を増やしていった。
今ではゆうに3ブロックほどの、全ての細かい路地に、何十箇所もの文通スポットを持ち、気分によってその中のいくつかを丁寧に巡回して、お手紙を書いたり読んだりしている。
慎重な彼らしく、テリトリーの境界は東西南北きっちりと、この筋までと決まっている。
彼は5歳になるまで、田舎の集落に居着いた野良犬だったから、そうやってひとりであちこちを彷徨いながら生きてきたのだと思う。私は彼のそういうアイデンティに目を向けることをしないで、勝手にイエイヌらしさを押し付けていた。


街中さんぽの頻度が増えるに従って、ベランダからの監視はまるでしなくなった。
その代わり今は、建物の反対側の、お日様がたっぷり当たるベランダがお気に入りとなり、寝そべったり植木の匂いを嗅いだりしてリラックスしている。
そこは庭と隣家に面しているので、街の様子は全く見えない。
ベランダ監視モードの今太郎は、警戒心と恐怖心のカタマリで、見ているこちらまで心臓がバグりそうだったので、やめてくれて少しホッとした。実際に歩いてみたらゾンビなど居なかったので、監視しておく必要が無くなったのだろうと思う。

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ひなたと日陰の、絶妙なバランスのところ

このまま順調に、彼の中の安心、安全が育っていけば、パトロールエリアが広がり、いつか私が無理に連れて行っていた、徒歩15分の都立公園まで、辿り着くことが出来るのだろうか。

とはいえ、ニンゲンが欲をかいて望んだり、勝手に決めつけることはやめようと思う。

いつでも、今太郎の言う通り




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