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去年の、なんもわかっちゃいない私と桜の話

2021年の春に呟いた連ツイを、自戒もこめてまとめておく。



2021年3月27日
今日はお天気もサイコーで、公園に着いたらたくさんの可愛いお犬連れたファミリーやカップルが、満開の桜の下で楽しそうなのが、車からよく見えた。

そんなストレスフルなとこに、人混み苦手な今太郎を連れてったら大変なことになるので、
なるべく人のいないとこを歩こうと、誰もいない一番端っこの駐車場に車を停め、
公園とは反対側の河川敷の、整備されてない薮道を歩くことにしたんだった。

とはいえ正直、私だって満開の桜並木や、盛りのレンギョウや、シルバーサービスが植え付けてくれた可愛らしいパンジー園なんかを、今ちゃんと見て歩きたいのにな……なんていう煩悩が捨て切れなくて、
なんとなくパッとしない気持ちでいて。

でも当の今太郎はと見れば、

こんな整備されてなくてウンコやゴミだらけの汚らしい藪の中を、
おかしゃん、ここ誰も居なくていいですね!!て嬉しそうに歩いていて、それが可愛くて可愛くて、
俯いてちゃダメだダメだと顔をあげたら、

目の前にすらっと桜の木が立っていたんだった。
ソメイヨシノじゃなくて、清楚な山桜。

薄桃のと、白いの。

多分、どこかから運ばれたサクランボがいつ知らず芽を出して、肥料だの剪定だのってかまって貰えなくても、ちゃんと咲いたのね。

まるで今ちゃんのようだね、て思ったよ。

周りには誰も居なくて、橙色のシジミがたくさんヒラヒラしていて、
なんだ気分いいじゃないか、こんなにも私たちに丁度いい桜がちゃんと用意されてたのに、
私はホントにマヌケな欲深だなぁ、て思って振り向いたら、

今ちゃん熱心にネコのウンコ食べてた( '༥' )ŧ‹”ŧ‹”



この頃の私はまだ、犬という動物に対する勝手な枠組みを捨てきれず、
今太郎がニコニコといつも機嫌の良い犬でないことや、初めての人や場所でもへっちゃらでぐんぐん歩ける犬でないことを、
少し悲しんでいるところがあったのだ。

今太郎は、ゆっくり時間をかけて、『在るべき姿』とは、決して作為の果てにあるものではないと、私に教えてくれた。

どんな犬でも彼ら自身が望んだように在ることが素晴らしく、
それはニンゲンも同じこと。

見失ったら犬を見よ、と私は自分に言い聞かせ続ける。

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