トライアスロン女子日本代表・高橋侑子選手とスマチェ・古屋絵理華のカンケイ(後編)
スマートチェックアウトがスポンサー契約を結んでいるトライアスロン女子日本代表の高橋侑子選手。
今年もアジア大会の個人、リレー種目での連覇、そして日本選手権も優勝するなどアジアのトップ選手として活躍しています。
そんな高橋選手と我々スマートチェックアウトがつながるご縁は、実はスマチェ執行役員・古屋絵理華が幼馴染であったことにあります。
今シーズンの戦いを終え、スマートチェックアウト本社を訪れてくださった高橋選手と弊社・古屋絵理華に昔を振り返りつつお話を聞きました。前編はこちら。
-古屋さん、人間的に見て高橋さんの強いところというのはどんなところなんですか。
古屋:なんかメンタルじゃないですかね。やっぱり。
-どこで感じますか。
古屋:学年でも一目を置かれる存在だったんですけど。その中でも持久力っていうんですかね。持続精神みたいなのは、うん。すごいなって思うんですよ。
その試合の瞬間、瞬間もですけど、私だったら、2時間もあんなことしたくないんですよ(笑)ちょっともう飽きて歩こうとかね、皇居1周も嫌になってしまいそうなので私は。でもそれを楽しく最後までやり遂げる力と、小さいときから、今、私達は今年32歳ですけど、そこまでやり続けた忍耐力っていうのは本当にすごいなって思います。
-高橋さんはご自身で自分のメンタル面の強みとかではどんなものがあると感じていますか?
高橋:そうですね。やっぱりいろんな経験をしてきてるなと思ってるのでその経験値ですかね。幼い頃からやってきていて、いろんなところにも行って、そういういろんな環境への適応能力みたいなのはついてきてるかなって思います。
-環境の変化に左右されるようなメンタリティではダメですか。
高橋:難しいですね。難しいというか無理だと思います。
-いい意味で、細かいこと気にしない方がいいですか。
高橋:そうですね。それこそ日本はちゃんとオーガナイズがされていたりとか時間もきちっと守られていますし、コースのレイアウトもちゃんとしていて、整備されていてっていうのが大前提みたいになりますけど、他の国とかではそんなものは通用しないですからね。
そういうところでいかに冷静を保ってられるか、そういう環境にも惑わされずにやれるかどうかはとても大切です。あとやっぱり文化も違うので、食事も含めて、そこで対応できていなかったら難しいですよね。やっぱり体が資本ですから。
古屋:今はポルトガルのチームにいるんだよね。いつ行ったんだっけ一昨年ぐらい、5年前ぐらい?
高橋:ポルトガルに行ったのは多分4年ぐらい。インターナショナルのトレーニングチームがあって、そこを拠点にしていろんな国の選手が集まって、1つチームとしてコーチのもとトレーニングをしてます。
古屋:食べものがちょっと苦労してそうだよね。
高橋:そうね。
古屋:日本食と比べてしまうとね。侑子は毎日納豆食べたいらしいんですよ。
高橋:そうですね。やっぱり日本食が一番なのは間違いないんですけど、向こうで見つけられない食材もたくさんあるのでなかなか大変ですね。
-世界で戦っていく中で、世界トップ選手でこれすごいなとか、この人のこういうところすごいなと感じることがあれば教えてください。
高橋:そうですね。今、環境への対応がどうのこうのとか、適応能力がとか言ってますけどもそれを平気で超えてくる選手がたくさんいるんです。
-どういうことですか?
高橋:いやもう全然、本当にもう順位を外さないんです。絶対、どんな環境でも順位を外さないし、ちゃんと結果を残してくる。たとえどんな劣悪な環境のレースでもです。あと競ったときの、気持ちの強さとかそこから出てくるもうひとギアみたいなのは、海外の選手たちは全然違いますね。またトライアスロンって3種目の状態を揃えるのって難しいんですけど、もう抜けがない選手っていうのがここ最近増えてきていてます。昔はランだけ走れるとかスイムだけは得意とか結構いたんですけど、今はスイムも速いしバイクも強いし、その後もランももう絶対外さず走るみたいな選手がゴロゴロ出てきててすごいなと思います。
-そうなんですね。いろんな環境・・・という意味で、高橋さんが体験した。今までで一番過酷な環境って、思い出せたりしますか?
高橋:過酷な環境・・・そうですね。寒さとかだとまず、水温が13度とかで外気温も10度とかで走るとかそんなレースもやったことありますし、あとは東京のテストプレイベントとかは逆に暑すぎてランが短くなったりとか、あと湿度が高いとてキツいんです。気温が30度超えて、さらに湿度が80%みたいになってくると大変ですね。
古屋:これは同級生たちも言ってたんですけど、東京の日本選手権を見に行ったとき大雨だったんですよ。雨で気温も低くて見ている方もかなり寒いねって。でもよく考えれば侑子が一番大変だ。みたいな(笑)いや本当にそうだなと思って、私は地上で傘をさしてレインコート着て、それで寒い寒いって言ってるわけですけど侑子は水着で海に飛び込んでるわけだからそんなこと言ってられないよねって話したぐらい。そういうのもすごいなと思ってます。
古屋:パリで終わるのは決めてないと思うんですけど、せっかく私達は侑子きっかけでみんなトライアスロンを知ったし、そういう人たちが増えてほしいって思いで侑子はやってると思うんです。だから仮に引退しても、選手としてやらなくても何かトライアスロンにはずっと関わっていってほしいなとは友人ながら思ってます。
-32歳という年齢になるとトライアスロンでは皆さんどこで、ひと区切りつけようかな、と考え始めるものなんでしょうか?
高橋:そうですね。
古屋:結構もう上の方になるの?
高橋:32歳はもうかなり上だよ。日本だと今もう一番上で、その下が多分・・・次の世代が三つ下ぐらいね。ちょうどいないところなんですよ。
-引退・・・そういった気持ちの持っていき方とかやっぱちょっと考え始めるものなんですか?
高橋:そうですね。本当はもう東京オリンピックのときも、1回もうこれでいいかなって思ってました。ただ周り見たらやっぱりまだ自分ももうちょっといけるかなとか、東京オリンピックもコロナ禍でしたし、自分自身のパフォーマンスもあまりよくなかったので、もうちょっとやれることがあるかな、もうちょっとやりたいなっていう気持ちがありました。でも終え方っていろいろだと思うので、また来年やってみてどんな気持ちになるかは今はまだわからないです。
トライアスロンはやろうと思えば、もう何歳まででもできる競技だと思うんです。第一線で活躍するどうこうは別として、87歳でやられてる方もいらっしゃいますし、本当息の長いスポーツでいわゆる生涯スポーツでもありますから、そういった意味では関わっていくことは間違いないと思います。ただそれがどういった形でなのかというのは、またやっていきながらかなと。自分が何を、どうしたらいいかっていうのがまた見えてくるかなと思ってます。
聞き手:新広報部員X 撮影:平岡樹