【サッカー歴】③決められないまま"決まった"進路

②の続き。

そこそこ苦しい記憶について。
この話をするのは苦しいけど、嫌いじゃないです。
自分にとっては大事な経験、良い経験だったので。

小学校6年生。
初めて市内の選抜チームに選ばれたり、都大会に出たり、某スクールに通ったり、試合で腕を骨折したり、いくつかの小さな大会で優勝したり、いろんなことがあった。

個人としてはあまりうまくいってない、うまくなってない状態だったんだけど、チームとしては結果も出ててそこそこ良い状態。
薄っぺらい充実感の中でサッカーを楽しんでた時期。
今振り返るとそう思う。

そんな中で、秋ぐらいからだったかな、進路の話題が出始めた。

サッカーを続けるかどうかについて、議論の余地は無かった。
やめるなんて選択肢はどこにも無かった。
考えるべきは「どこでやるか」それだけだった。

どこでやる?

選択肢は部活 or クラブチーム。

この時点で既に中学受験という選択肢は消えていたので、部活となると地元の公立中学校のサッカー部。
そこは人数もギリギリ、顧問もサッカー未経験と、上を目指すにはちょっとなぁ、、、という感じだった。

当時からプロにはなれないだろうなぁって思ってたけど、少しでもうまくなりたかったし、高校サッカーなら、憧れの選手権なら届くかもって思ってた。
そこに届く可能性を少しでも高めるためには、部活じゃダメ。
クラブチームに入る必要があった。

ただ、クラブチームに入るのも簡単ではない。
ほとんどのチームはセレクションがあって、そこで良いプレーをして認めてもらう必要があった。

セレクションなんて大嫌い!

当時の自分には、セレクションに受かる自信なんかまったく無かった。
セレクションの内容としては、短距離走とリフティングがあって、そのあと試合形式、というのがほとんどだった。
自分は足も遅いしリフティングも苦手。
試合だけが唯一自分の良さを出せるチャンスって思ってたけど、セレクションではやっぱり自己主張の強いストライカーとかドリブラーが目立つ。
「気の利いたポジションをとる」「パスで周りを上手に使う」という自分のプレースタイルは、まったくセレクション向きではなかった。

もっと言うと、うまい選手はセレクションに行かずともクラブチームの方から声が掛かる。
自分がセレクションを受けている時にはもう、そういう選手たちで椅子はある程度埋まっていた。
残りわずかな椅子を、自己主張の塊みたいな選手たちがものすごい熱量で奪い合っている状態だった。

自分は残念ながら、そういう熱さは持ち合わせていなかった。
「そんなガツガツしないでみんなで仲良く楽しくやろうよ」「せっかく楽しいサッカーなのに、互いに蹴落とし合うようなセレクションなんか大嫌い」そんなふうに思っていた。

もちろん、ちゃんと戦って勝たなきゃいけないってことぐらい、頭ではわかっていた。
でも、戦おうとすればするほど空回り。
慣れないことを突然やったら空回りするのは当たり前だよね。
「実力を発揮できなかった」なんて思ったりもしたけど、実力を発揮できない程度の実力しかなかったんだと思う。

そもそも、幼稚園の頃とはいえ「男の子は乱暴だから嫌い」と叫ぶような人間に競争社会は向いてなかったのかもしれない。
自分は決して負けず嫌いではない。
上手くなりたいとか強くなりたいっていう気持ちはずっと持ってるけど、その根っこにあるのは誰かを打ち負かしたいとか誰かに負けたくないとかいう気持ちじゃなくて、上手いって言われたいとか誰かに褒めて欲しいとか、そういう方向の衝動だった。
闘争心じゃなくて、承認欲求の塊なんだと思う。

ちょっと話が逸れました。
話を戻します。

熾烈な競争、セレクション。
簡単に受かるわけがないってわかってたはずなのに、5〜6チームも不合格を突き付けられるとさすがに心が折れた。
もう残りのチームは受けたくないと思った。
小さなプライドはズタズタだった。

逃げたい弱さと逃げられない弱さ

セレクション無しで誰でも入れるチームがひとつだけあったので、そこに行きたいと言った。
決して強いチームでは無かった。
正直部活でやるのと大差無いレベルだったけど、小学校のチームメイトの大半はこのセレクション無しのチームに行くことが決まっていた。
みんなより上手くなりたいならみんなと同じチームじゃダメだってことぐらい、頭ではわかってた。
それでもその時は、またみんなとサッカーしたいという気持ちと、これ以上心を折られたくないという気持ちの方が強かった。
実力不足という現実を突きつけられることから逃げたかったんだと思う。

親やコーチの理解は得られなかった。
「どうせやるなら少しでもレベルの高いところでやったら?」「少しでも可能性があるなら、一通りセレクションだけでも受けたら?」と。
少しの可能性を信じたい自分がいたのも事実だった。

逃げたいくせに、逃げることすらできないほどに弱かった。

弱さゆえに、結局最後にセレクションを受けたチームに拾ってもらう形になった。

「疑惑の合格」と「不安」と「迷い」

そのセレクションはたしかに手応えがあった。
ミドルパスでアシストを連発したことを覚えてる。
だけどそこは、コーチに"紹介してもらった"チームだった。
今思えば、セレクションなんか受ける前からオトナ同士で話がついていたのかもしれない。
実力で合格を勝ち取ったわけではないのかもしれない。
事実がどうだったかなんて、今はもう知りたくもないけれど。

そのチームはJクラブのジュニアユース。
とはいっても、支部チーム。
一学年20〜30人の支部チームが3つ(3拠点)ぐらいあって、それとは別に本部チームがある。
支部で一番上手くなれば本部に移れる可能性があって、本部の中で一番上手くなればやっとプロになれる可能性が出てくる。
自分のスタートポジションは、そんなピラミッド構造の底辺の底辺だった。

クラブとしては、裾野を広げてできるだけ多くの選手を抱えることで資金(会費)を集めるのが狙いだったんじゃないかな、なんてひねくれた気持ちを今は持っている。
そしてそんなに間違ってないだろうとも思っている。

そんなピラミッド構造を見せつけられたことでプロへの道筋がはっきりした分、そこへの距離が果てしないことも明確になった。
「練習したって上手いやつには敵わない」「序列はなかなか変わらない」たかだか数年のサッカー人生を通して、そんないじけた考えが既に出来上がっていた。
Jクラブの下部組織、という肩書きだけはわずかな魅力に思えたけど、自分より上手い選手を100人ぐらい乗り越えていくなんて途方も無い道筋は到底描けなかった。
100人のうち何人乗り越えれば選手権に届くのかもわからなかった。
具体的な未来がまったく描けないこのチームでサッカーをしたいとは到底思えなかった。
他のチームに入ったところで、具体的な未来なんてどうせ描けなかっただろうけど。

そんなこんなで、やっと手にした「合格」はそんなに嬉しいものではなかった。
予め決まっていた合格なのかもしれないと思ったからなのか、魅力的なチームじゃなかったからなのか、理由はよくわからないけど。
少しの安心感を得られたのは確かだったけど、心から喜べる合格ではなかった。

「おれ、ホントにこのチームでサッカーやるの?できるの?ちゃんと通用するの?楽しめるの?」
そんな気持ちでいっぱいだった。

その進路、誰が決めた?

不安を抱えたまま時間だけが過ぎて、結局どこでサッカーがしたいのか、どうなりたいのか、自分で自分の気持ちもわからないまま、周りに流されるまま、入団することになっていた。
自分の中の"自分の可能性を信じてみたい気持ち"なんて本当にごくわずかなものでしかなくて、入団の理由にするにはまったく不十分なものだった。
入団の理由は、「コーチに紹介してもらったチームだから(=せっかく紹介してもらって合格をもらったのに、断ってしまうと翌年以降後輩たちが入りづらくなる)」というのが正直なところだった。つまりはオトナの事情ってやつだ。

NOと言える状況じゃなかったのは事実だけど、自分がNOと言えるほど強くなかったのも、紛れもない事実だった。

一応言っておくと、そのチームに入ることが嫌で嫌で仕方なかったわけではない。
支部とはいえJクラブの下部組織だから、良い指導者に出会えるんじゃないかっていう期待感はあったし、奇跡的にメチャクチャ上手くなるかもしれないという期待感もあった。
小学校のチームメイトも自分以外にあと2人、そのチームに入ると知ったことも大きな安心材料だった。
新しい環境に身を置くときは常に期待と不安が入り混じるものだし、自分の性格上、不安の方が大きいのも決して珍しいことではなかった。

良い失敗だったと言えるように

この進路が正しかったかどうかなんてことはもうわからない。
結局半年も持たずに辞めることになるので多分失敗なんだけど、必要な失敗だったと思いたいし、良い失敗だったと思いたい。
過去は変えられないけど、その過去が持つ意味は後からいくらでも変えられるもんね。
同じ失敗を繰り返さずに生きていけるなら、その失敗は必要な失敗であり、良い失敗だよね、きっと。

当時の自分には、本当に行きたいチームを選べるほどの実力が無かったし、そのための努力もしていなかった。
薄っぺらい充実感の中でぬくぬくとサッカーを楽しんでいただけ。
だから仕方なかったとも思う。
実力不足の自分がどんなにもがいたところで、どんな決断をしたところで、少なからず後悔みたいなものは残ったと思う。

ただ、一番良くなかったのは、最終的な決断を自分でしなかったこと。もがくことを諦めたこと。流れに身を任せたこと。

サッカーは「見る」「判断する」「プレーする」の連続であって、「判断する」が一番面白い部分。
進路選びという"サッカーのイチ局面"において、その一番面白い部分である「判断する」を他人に委ねてしまった以上、その先の「プレーする」が楽しいはずがなかった。
絶対に楽しめない環境を、自ら作ってしまっていた。

大事な決断は自分でしなきゃダメ。
誰かのせいにしちゃダメ。
人の意見は一応聞くけど、決めるのは常に自分。
成功は「他人のおかげ」でも良いけど、失敗を「人のせい」にしたくない。
こういうマインドが身に付いたという意味では、良い経験だったんじゃないかな。

いつでもどこでもサッカーはサッカー。
サッカーが楽しくないときは、サッカーがおかしいんじゃなくて、自分の心がおかしいとき。

いつどこで聞いたのかわからないけど、自分の中から出てきたものなのかもしれないけど、とっても大事な言葉。
中学生になってからの半年弱を振り返るたびにこの言葉を思い出す。

具体的にどんな時期を過ごしたのかはまた次回。
なかなか理解されないところなんだけど、しっかり言語化して残しておきたい記憶。
時間かかりそうだけど、少しでも伝わるように残せたら良いな。

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