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ヨーロッパ文化教養講座(1994年フランス映画「パリ空港の人々」)

2023/01/05  フランス映画「パリ空港の人々」の鑑賞記。
個人的採点は、★★★と★★★★の間
(★★★★ 直ぐにではないが、再度観たい作品)
(★★★ 再び観たいとは思わないが、退屈せず、観ていた時間は楽しめた作品)
Filmarks: 3.7 (165レビュー)


同じ実話を題材に作られた、「ターミナル」(スティーヴン・スピルバーグ監督、トム・ハンクス出演)の方が有名だが、こちらの方が製作は古い。
制限エリア内の疑似家族の絆を巧みに描いていると思った。

「パリ空港の人々」の舞台は、出国検査場から搭乗口までの制限エリアですが、そこは、もはやフランスでもなく、目的地でもなく、一種の鎖国された空間です。

 この制限エリアに滞在せざるを得なくなった、アルチュロ・コンティは、このエリアで生活をしている人たちと出会います。
コロンビアから国外追放された、女性アンジェラ
ギニアから父親を捜しに来た、賢い少年ゾラ
言葉が通じない、何者かわからないナック
作家志望のセルジュ・ダリダン

 ここで、アルチュロは、一般の現代社会人の中では社会的身分(ステータス)がかなり高めの人物と設定されています。ここだけみると、制限エリアの人々と一線を画して、なかなかその「家族」に受け入れられないようですが、ここで、彼をカナダとフランスの二重国籍で、イタリアに在住しているという巧みな設定にすることにより、彼も十分に一般社会から見て、「外」の人になりうる資格を持っていることを暗示します。

 アルチェロがこの人たちに会ったときには、すでにこの人たちは、家族の様なコミュニティを作っており、境界外にいたアルチェロも最初は、よそ者のように扱われます。
 特にアンジェラの拒否反応が大きく、女性においての家族の重要性を暗示している様でもあります。フランスも日本と同じ感覚はあるのでしょうか。

 この「家族」は、みな何らかの不幸な境遇を背負って、この場所に強制的に生活させられているわけですが、逆にのびのびと暮らしているように見えます。 少なくともドアの外で睡眠薬で眠らされている看守に比べれば、はるかに自由人に見えます。

 一般社会との絆が、パリの出国検査場と目的地の入国検査場でブロックされ、断ち切られ、いままで、自己の社会的身分を形成していた基礎との関係が断ち切られ、却ってアイデンティティを取り戻したかのようです。
 ここには、忙しい日常によって、自己を見失ってしまっている現代社会人、つまり、この「家族」に出会ったばかりの、アルチュロのような、エリート層に属する現代社会人はいません。
 アルチェロも時間がたつと、この「家族」の一員になってきて、逆に、今までの自分から離れ始めたようです。

 今までの、アルチェロを表現しているのが妻のスサーナです。
スサーナは、非常に攻撃的な女性として描かれており、アルチェロが普通の「女房の尻に敷かれる」亭主であることが、暗示されています。
アルチェロが後生大事に持っていた、おみやげの包みも、彼が、「家族」に入っていく過程の中でどうでもよい存在に変わってしまいます。
 スサーナが夫を助けようと、職員に怒鳴り込めば怒鳴り込むほど、スサーナ(=古いアルチェロ)と新しい、アルチェロとの乖離が強調されます。

 映画の進行中に自然に、この制限エリアは、実は出入り自由であったことがわかります。
アンジェラが、一度抜け出して、不法入国で捕まってしまったからです。
つまり、制限エリアは、いつでも抜け出せるのですが、そこで、生きていくためには、この「家族」との絆をたって、以前の社会的身分を取り戻さなければなりません。
つまり、一般の人たちが何の疑問も持たずに暮らしている社会は、この「家族」のメンバーを受け入れられないわけです。
 ちなみに、明日ギニアへ強制送還されることになった、少年ゾラに大晦日のパリの夜景を見せたいと、アルチェロが、他の「家族」と共に、セーヌ川へ向かう時にも、当然のことながら制限エリアを抜け出すのですが、このエピソードも自然に受け取られるような巧みな設定になっています。
 セーヌ川の景色には皆感動しますが、皆何か、落ち着かなく、早く「帰宅」したがっている様にも見えるのが、不思議です。

 セルジュ・ダリダンはどうでしょうか? 彼はどうも大法螺吹きの、狼少年のようなタイプの男で、この「家族」の中ではもっとも「一般人」に近いようです。
 彼の悲しい見栄っ張りぶりは、他の「家族」の独立した個性、強さを際立たせているように思えます。

 ナックの存在意義はなんでしょうか? 結局どこの国の人で、何しに来たのか最後まで謎です。
 ただ、ここに7・8年も滞在するナックが「家族」にいることによって、大黒柱の様に、「家族」の存在が地に足がついているように見える効果はあるのかもしれません。
 ナックに食事の世話をするアンジェラの姿は、小津映画で原節子が笠智衆のために、ちゃぶ台の上に食事を用意する姿と重なるような感じがします。

 アンジェラの魅力は、生活力・生存能力が人一倍ありながら、達観したような、アンニュイにも見えるような行き方・態度でしょうか。
 「家族」では、ゾラの「母」であり、ナックの「娘」であり、セルジュの「姉妹」です。
 アルチェロが「夫」の候補だったはずですが、残念ながら、制限エリアから追い出されることになってしまい、時間切れでした。
 もし、「夫」になっていたら、スサーナとの関係はどうなっていたのでしょうか。
 それとも、アルチェロが、「家族」の一員になってしまった段階で、現世界のスサーナとの関係は、心情的には断ち切られたのかもしれません。
 最後にゾラも一緒に歩いてパリに向かうことになったのは、アルチェロが、もはや一般社会人に戻ろうと思っても、この「家族」との関係を断ち切れないということを暗示しているのかもしれません。

 アルチェロとゾラがいなくなった「家族」は今後どうなるのでしょうか?
 案外、新しいメンバーが追加されて、相変わらず、ナックを中心に良い「家族」関係が続いていくのかもしれません。

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