里山の環境学

22年前に書いたものです。
書評:武内和彦・鷲谷いづみ・恒川篤史(編)東京大学出版会2001年11月257頁本体定価2800円

本書では,里山を自然や景観だけでなく国土保全や循環型社会にとってのキーワードとして描いている.同時にこれまでの研究や活動の成果から得られた回答を与えてくれる以上に新たな問題提起を投げかけている.

 何気なく使っている里山という言葉だが,定義はあいまいで,落葉広葉樹の二次林,薪炭林,あるいは農地近くの二次林とため池や農地を含めた全体,などさまざまに用いられている.そこで第1章では里山,里地という用語の定義を提案している.両者は特定の地形と結びついて人と自然とがつくりあげてきた景観であるが,これらはスケールの点で異なっている.里山は斜面の二次林と谷部の農地,ため池などから構成されるモザイクの景観であり,モザイクの形成には台地や丘陵地という地形が重要な鍵を握っている.一方里地はもともと人口密度と森林面積率によって定義された言葉で,ここでは,里山と都市化されていない低地(平地)を含むより大きなスケールの空間とされている.いずれにせよ,異なる生育環境のモザイクとみることに意味がある.

 里山という言葉の由来は古く,1759年の「木曽山雑話」にあり,第二次世界大戦後に四手井綱英が林学で使い始めたらしいが,これが市民の間で使われるようになって20年ほどではないだろうか.私の知る限りでは,大阪自然環境保全協会が1983年から「里山保全キャンペーン」を開始し,当時,協会会長であった大阪府立大学教授の高橋理喜男は,都市化の度合いによって里山を「平野部外側の都市近郊」,「丘陵」,「山地」の3つに大別して,これらのうち「丘陵」が本来の里山であり「森林,集落,田畑がモザイク状になって農業と一体となった地帯」と定義している.

 こうしたモザイク状の土地には,それぞれの環境を好む種が生息するだけでなく,複数の環境を同時に必要とする種の生息が可能となる.これは第3章で書かれているサシバという猛禽の生活を通じて明解に示されている.本種は森林で営巣するが餌となるカエルやは虫類を水田や伐採跡地で捕える.そのため森林と水田が複雑に入り組んだ谷津田を含む里山が最適な生息場所なのである.里山から森林と水田のどちらが消えても生息は不可能となる.

 地域の気候と文化によって,里山は異なる景観と生態系に到達する.本書で論じられている京都における里山林の変遷は,同じ里山といっても地域による色合いの違いがあることを示している.

 里山の景観と生態系を残すことができるのだろうか.本書ではボランティアや行政による里山管理の経験が全国で蓄積されつつあることが紹介されている.これからも発展することが予想されるが,それによって保全される面積は大きくない.規模を補うものとして,バイオマスエネルギー利用(第5章)に期待したい.しかし,それによって過去の里山の景観や生物多様性の保護が達成できるとは限らない.生産性をあげるには新しい森林管理が開発されるだろう.本書の内容から離れるが,それを予感させる例として和歌山の備長炭生産があげられる.古くから商品として生産されており,原木はかつては雑木林から択伐によって得ていたが,近年はウバメガシの純林を萌芽更新することによって得ている.

 里山の自然は,それぞれの地域で,人間が採用してきた土地利用によってたまたま残されたものである.従来の土地利用の方法を同じ規模で踏襲すれば,その自然は残るといえども,規模が変われば,従来の方法では同じ自然は残らない.生物の保全のためには,文化的な里山の保全とは一度切り離して考えることも必要だろう.サシバが繁殖するためには低茎湿地があってカエルが生息することが必要であって稲を栽培する必要はない.また,埋土種子を形成する湿地植物の保護のためには,25年に一度耕起すればいいのかもしれない(第4章).

 おそらく里山の管理は,過去から学びつつも,生物多様性,循環型社会,自然とのふれあい,国土保全など新しい目標のもとで,新しい方法によってなされるものであることを本書は教えてくれた.

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