生命は動的平衡か 1

福岡氏の「新版 動的平衡」が出版されたらしい。以前、同氏の「生物と無生物のあいだ」を読んだ際に、2つの疑問を感じた。生命現象を動的平衡と呼んでいいのかという定義の問題と、自分が初めて言い出したように書いていることに対する疑問である。前者に関しては、後で詳しく論じたいが、八代嘉美氏が批判している。

たしかに「動的平衡」的な考え方は、生物学に携わる人間にとっては常識ともいえるものではある。体内では食物からエネルギーがとりだされては廃棄され、タンパク質が合成されては壊され、という絶え間ない流れが存在しているからだ。
しかし、このような状態は「定常状態」と呼ばれなければならない。
じつは、福岡氏がいうところの「動的平衡」という状態は、すでに別の言葉、別の科学的なアプローチによって説明がなされている。いわゆる複雑系という研究の系譜に属する、散逸構造理論というものがそれで、この理論を提出したプリコジンはノーベル化学賞を受賞している。

https://synodos.jp/opinion/science/1578/

生命の散逸構造については、更科功氏も書いている。

言葉の使い方は時代と共に変わる。例えば、「ぜんぜん(全然)」は「ぜんぜん知らない」のように否定的な表現を用いると思っていた。しかし、最近は「ぜんぜん知ってる」と使える。実は「全然」という語が中国から日本に入った当時は肯定的に使われていたらしい。このような変化は自然なものだと思う。また、分野によって意味が異なる場合もあるだろう。しかし、この言葉遣いが最適なのか、誤解を生まないか十分に吟味する必要がある。
 
文章には情報を正確に伝えることと共感を得るというふたつの目的があるだろう。福岡氏の本は後者の目的については優れている。「散逸構造」よりも「動的平衡」の方が一般の共感を得られる。しかし、生物学者としてどこかで定義について言及すべきだろう。
 
動的平衡や類義語の定義については次に書く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?