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読書ノート:経済社会の学び方

「本書の目的は、社会の経済構造やその動き方、そこから生ずる様々な問題の改善や解決を考える者は、何を知っておかねばならないかを示すことにある。」


私の視点
環境問題は自然科学的なプロセスによって生じるが、生じさせるのは人間である。そのため、社会研究が欠かせない。自然科学者が見ている問題と社会科学者が見ている問題の共通点と相違点を明らかにすることは重要である。そのためには、それぞれの方法論についても分析する必要がある。

環境問題は現在ではグローバルな問題としてとらえられることが多いが、もともとは郊外のようなローカルな問題であった。今なお、地域循環などローカルな視点は欠かせない。ローカルごとの違い、グローバルとローカルの相互関係について分析する必要がある。


 本書は6章から構成されている。
第1章 まずは控え目に方法論を
第2章 社会研究における理論の功罪
第3章 因果推論との向き合い方
第4章 曖昧な心理は理論化できるか
第5章 歴史は重要だ(History Matters)ということ
第6章 社会研究とリベラル・デモクラシー

前半の3つの章は、自然科学との対比を盛り込みつつ、科学としての社会研究の方法論を論じている。著者は社会科学でなく社会研究という言葉を使っている。

著者は自然科学の方法論を参照しつつ、社会研究に必要な方法論について論述している。著者は、自然科学では大きな問題にはならないが、社会研究の特殊性のひとつは研究対象である未来に向けた人間の行動が、研究による介入によって変化することだとする。また、政策論のように、政策の選択が問題になるときに、何らかの「規範性」が持ち込まれることは避けられないと書いている。したがって、方法論の選択にも規範性が影をなげかける。
 それでは、著者にとっての「規範」は何か。リベラル・デモクラシーである。ここでは、リベラル・デモクラシーは、 「自由放任」ではなく、「経済政策」を導入することを意味している。1870年代のイギリスで自由放任についての疑念が高まり、「「問題解決のための科学」としての社会研究への関心が高まる。」「リベラル・デモクラシーを社会の基本理念とする限り、」制度の抜本的改革ではなく、「パッチワークを重ねながら問題解決に当たる」とする。
注:リベラル・デモクラシーは、「リベラル (自由主義的) な原理と結びついた独特な形態の民主主義」(川出 1999: https://www.gpc-gifu.or.jp/chousa/infomag/gifu/100/7-kawade.html)

用語:「はじめの段階では、その意味を厳密に理解し定義しようとすることにこだわらない方がよい。」
「定義と本質を云々することは」=逆に本質を見失う。

方法論:「はじめから具体的な素材もないままで「方法論」を説くことは、外側だけが強そうな鎧を着た「張り子のトラ」を作るようなことになりかねない。」

問うことの重要性:「日本人は「学問」というと「学ぶ」ことに重きを置き、「問う」ことを重視しない」
「何を知りたいのか、「内発的な」自分の問いは何なのかを確認しておかないと、社会研究を「持続と蓄積」の精神で継続することは難しい。」
ここで内発的な問いとしているのは、研究者の立場であって、一般化するとある主体にとって重要な問いは何かということ。

フィールドワーク:「民俗学で重要な仕事を残した人は皆旅をして、その社会を観察しながら、試行錯誤を重ねつつ自分の仮説を打ち立てる「発見的な(heuristic)」手法を用いた。」

観察:「自然科学では、実験室の中であれ、目に見えるものを観察するという作業の重要性は変わらない。」
「人間や社会の研究は心理や人間の関係性を問題とするゆえ、ほとんどの場合目に見えない世界を相手としている。」
「聴き取り調査やフィールドワークをも「観察」に含めると「観察」は社会研究でも重要な手法である点では自然科学と変わらない。」
観察は「概念化される前の風景」を見ること。
概念はある仮説のもとにつくられるから、その仮説が間違っていれば、概念も誤りである。

「歴史資料は、「現地性」と「同時性」という二つの基準に照らされなければならない。」

概念:「われわれが観察の対象を認識する場合、実は目で見ているというよりも、概念で見ていると表現した方が適切なことが多い。」
「概念規定は、研究の到達点であって、出発点ではない。研究の最初に用いる概念は仮説にすぎないとも言えよう。」

指標:「比較を可能にする指標(indicator)が必要になる。」
例えば、豊かさという概念をGDPのような指標に変換する。
欠陥のある指標は意味がないのでなく、欠陥を理解して使い、それを補完する指標を模索することが重要である。

p25
「知的誠実さというのは要するに、数字や文書、あるいは聴き取りなどで見つかったことを事実として認め、それをまずは一旦受け入れるということだ。」
「それに特定の価値を与えて無反省に主張し続けるということは、倫理的な誠実さと必ずしも一致しない。」
倫理的誠実さは自然科学においては幾分小さな影響しか持たないように見えるが、兵器の開発や生命倫理の例がある。問題解決に技術を用いる場には、技術の選択をめぐって常に倫理的誠実さが問題になるだろう。

p26 自然科学的な体裁を目指すことのマイナス面
「自然科学的な分析のフレームワークに収まる問題だけしか取り上げなくなるといったマイナス面も出てくる。」

p27 「真理」を求めるか、「真らしい」ものを求めるか
「論理的に証明可能な「真理」と、論証することのできない「真らしい」物事がるということを知る必要がある。」
自然科学においてもモデルの真偽を証明することはできず、最も「真らしい」モデルを選択するという考えが強くなっている。

p31 個別の経験がすぐに学問にはならない
自然科学について発言するには高い専門性が必要であるのに対し、
「政治や社会の問題に対しては、誰しも自分の生活や経験から得た個別的な知識に基づいた考えや意見を持っている。」
「原則として人々の日常生活(ordinary life)の基本構造をその論及の対象としている」

わかるための訓練
「物理学や医学・生物学で何かを論じることは、長い間積み上げてきた基礎的訓練があって初めて可能になる」「社会研究において」「当事者としての主張を述べることができる」

社会研究でも「分析の仕方を、訓練によって学び取らねばならない」

p33 定義の不確かさ
概念「自然科学には概念そのものに、量的に測定可能なものが含まれているものが多い。」
「人間や社会の研究においては、その中核的な概念がかなりの幅を持つ場合が多い」
例えば資本という概念も研究者によって異なる

p35 大根を「政宗」で切らない
「対象の素材に相応した程度の明確な論述」でよい。

p37 試行錯誤の可能性
「社会研究の対象となる諸々の問題は、統計的処理だけで答えが得られるものばかりでない。」
「新しい問題の理解や解決方法を見つけようとする場合、フィールドで試行錯誤を重ねて自分で見つけていく方法(heuristic)で調べることが不可欠である。」
「フィールド・リサーチには試行錯誤の可能性が織り込まれており、聴き取りを続ける過程で発見された事実により、修正された新たな仮説をさらにテストすることができる。」

p39 研究計画書のすすめ
「自分が何を知ろうとしてたのかを書きとどめておくことは重要だ。」

p43 社会研究における理論の功罪
p43 グランド・セオリーと預言
「グランド・セオリーは「預言(prophecy:神から預けられた言葉を人々に伝える)」に近いものが多く、何らかの倫理的勧告が含まれている場合がある。」…「したがって、「預言」と「予言(prediction:未来の物事の推測)」とは性格が異なる。」
「反証可能性のある形に命題を提示すること、そしてその命題を論証することが重要なのだ。」

p46 仮定に潜む価値判断
理論「仮定あるいは条件を設定してそこから論理的に演繹して一定の結論を得るという構造」したがって、「仮定や条件の中にすでに結論が隠されている」
「価値と理論を切り離すことは難しい」

p51 シュンペーターが批判した「リカード的悪弊」
「大胆な単純化の仮定を置き、数理モデルに依拠した論理から現実問題への勧告を導き出す分析方法を、ヨーゼフ・シュンペーター(1883-1950)は「リカード的悪弊(Ricardian Vice)」」と批判した。
自然科学では、現象から本質的な要素だけを取り出して単純化する数理モデルの手法は、必要不可欠である。当然、現実の自然現象上の問題に対しても有効である。

p62 レーガン政権の日本バッシングの帰結
「比較生産費についての明晰な理論が打ち立てられたにもかかわらず、現実の通商政策がこの理論通りに発動されない事例をいくつか見てきた。単純化された明晰な理論だけでは現実の政策を立案できない。仮にその理論が問題の中核を捉えていたとしても、その政策によって影響を受ける国内の社会的グループの間で対立が生まれれば、一国全体としては経済合理的な選択には必ずしも至らないということを、こうした歴史的事例は教えてくれる。」

p67 大塚史学の影響力とその意味
グローバル 一般化
ローカル 特殊性
「国家(木)を超えた地球的規模(森)の歴史変動に注目する近年の「グローバル・ヒストリー」論」が見逃しがちな「国家」と「主体」の問題を問う点で重要。

p69 演繹論理のみに頼る危うさ
「人間自体は、考えにおいても行動においても混合的・折衷的であり、二律背反的なところがある。」
「現実を理解するためには、こうした理論の世界からもう一度現実の生きた人間社会へと戻らなければならない。」

p72 多くの学問は比較に始まる
p72 比較経済史と地域研究の重要性
「「類似性がある」という場合、似ているからこそ、逆に違いが問題になる。」

p75 比較によって対象を相対化する
「「他者」や「他国」を、どのようにして理解」するための「有効な手法として持ち出されるのが「比較」という方法」
「社会研究は、比較の対象を設定せず、ひとつの対象だけを見ることによって多くの命題を打ち立てようとすることが多い。」
「比較することによって差異と類似性を議論する方が、対象を相対化し、多くの知見を引き出す有効な手段となる。」
「自然科学は研究者が、研究対象を直接認識する。ところが社会科学(経済学ももちろんそのひとつであるが)で取り扱う対象、すなわち「社会生活を営む人間」は、彼自身、現実を感じ取り認識して行動する主体である」

p77 改めて理論の役割を考える―その否定的な使用
「モデルからの乖離が生み出されると、モデルによって我々は「何故」という疑問を発するように仕向けられるもしよいモデルがあるならば、「何故」という疑問は(常にではないにしても)興味ある問となろう」

p80 プロスペクト理論は思考の枠を広げてくれた、しかし…
「「プロスペクト理論」は人間の思考というものが持つ体系的なバイアス(偏り)を明らかにした。我々は人や物事を判断するとき、自分の先入観に適合するか否かで評価することが多い」
「歴史を学び、似たケースの中に伏在する事柄をよく理解することによって、そこから知恵や勇気、反省、時には諦観などを引き出しうる」

p85 因果推論との向き合い方
結果には原因があるという思考法の歴史
p85 原因と結果の相互性―福澤諭吉の場合
「ある現象に原因が存在するか否かという問題と、存在したとしてもある特定の原因に帰することができるのかという問題は区別しなければならない」
「逆の因果性:」

p88 複雑さを受け入れる
「こうした因果の方向性の判別が困難な事象間の関係を「想像以上に複雑な問題である」として引き受けることは重要だ。特にある現象の発現を単一の原因に帰するような「過度の単純化」には警戒しなければならない。この点は社会研究においてきわめて重要な問題であるからいくつかの側面を検討しておきたい」

p90 ヒポクラテスが考えた因果の論理
「原因があるか否かという問題と、ある現象なり結果を特定の原因に帰すことができるかという問題は区別されるべき」
ヒポクラテスは「「経験科学としての医学」の道を切り拓いた」
「技術そのものは、正しい、誤っているとの判断が介入する余地はなく、用いられ次第」
「顕在する要因だけでなく、陰伏している要因があることを自覚し、その潜伏的な要素の影響力を探求することを怠ってはならない」

p94 アリストテレスからヒューム、カントへ
カントは「「真の」因果関係があるかないかにかかわらず、人間が因果的な形で物事や経験を理解する限り、自然を対象とする探求において因果関係による理解は客観的妥当性を持つと考えたのである。」

p98 因果関係にまつわる困難
p98 ルビンの壺に見る認識の特質
「ヒュームが論じたように、ある事象を観察し、それより先に起こったことがその事象を引き起こし、その事象に続いて起こったことがその結果であるとわれわれは考えがちだ。Aが起こり、その後にBが起こった、したがってAが原因でBが起きたと理解しやすい。」

p103 社会現象における因果関係把握の難しさ
「Xが、YとZの共通の原因だとする。その場合、Xが起こったとき、もしYとZが独立の事象であれば、YとZは独立に動くはずだ。しかしXを共通の原因とするためにYとZが同じような動きを見せることから、YとZの間の因果関係を推測してしまうかも知れない。」
「XがZの原因、YもZの原因だとすると、二つの独立した原因XとYがZの結果を支配することになる」
これは重回帰

p105 統計的差別の理論
情報が不足しているときの推論として、「「過去こうであったから、今度もこうなるはずだ」という推論」
これは帰納法
「情報の「不完全性」を補うために、過去のケースや他社のデータによってリスク情報に関する統計(男女間の離職率の平均値の違い)を利用して、個別具体的な2人の応募者の将来行動を予測する」
「統計的な差別理論は、個別ケースに関する完全な情報がない時に統計的データ(ヒュームの言う「蓋然的知識」)を用いて、因果的な推論を行う典型的なケースと考えられる。」

p114 近年の展開は朗報である
「「完全ではないから価値がない」というのは、知的ニヒリズムである」
因果を統計学の中心課題として位置づけるのが「統計的因果推論」

p121 第4章曖昧な心理は理論化できるか
p121 不確かさの源泉―他者と未来
「観察されていることを知った場合とそうでない場合では行動が異なってくることがある」
社会研究では、「人間は現在をどう捉え、未来に向かってどのように行動するかが探求の主要なテーマの一つになる」
しかし、未来という概念は曖昧である。->未来は不確実
もう一つは、人間が社会の一員として行動すること。->他者の心を正確に読み取ることはできない。
これらが社会研究を困難にする根本原因

p124 蜘蛛の巣サイクルに見る「期待」の難しさ
蜘蛛の巣サイクル「例えば「供給者」が来期の価格を予想するときは、今期の価格と同じ価格が来期も成立すると考える」生産と供給のタイムラグのため、「供給超過と需要超過のサイクルが生まれ」る。
「このシンプルなモデルのどこに、どのような修正を加えていけば、よりよく現実を記述できるかを検討するのが、「理論的に考える」ということなのだ。」

p128 期待を重視したケインズ
「合理的期待形成(RE: rational expectations)は、「モデルの中の行動主体はそのモデルを知っており、平均としてモデルが予測するところを妥当だとみます」と仮定する」
適応的期待:「人は前期の予想の誤り分(予測値と実現値の差)の一部を取り入れながら、前期の予測値を修正して(適応して)今期の予想を立てるというモデル」
「「期待」は人間の行動を把握するカギとなる概念」

p130 「米騒動」(1918年)の特徴
「「期待」が、現実の歴史の中でいかなるショックによって生まれ、いかなるメカニズムで作動してきたのか」

p133 若き石橋湛山の分析
米価高騰は思惑の結果であり、その思惑は「政府の愚劣なる輸出奨励政策」によって生じた。

p135 事実と「事実と信じられたこと」の違い
「「あることを事実だと考える」ことの意味をどう理解するのかは、歴史学だけでなく、多くの学問にとって、認識上の難問の一つだといっても過言ではない」
古事記や日本書紀は史実の記録ではなく、思想の表現である

p137 津田左右吉の歴史哲学
「社会研究をするものは、人々がその社会をどのように認識しているのかについて認識している」という二重性
「小説はその時代の人々が信じていた事実を(虚構として)物語ることによって、その時代の事実そのものに迫ることができる」

p143 自己実現的予言とは何か
「人間は単に状況の客観的な所得帳に対して反応するだけでなく、自分にとってこの状況が持つ意味に対しても、反応する」

p145 銀行の取り付け騒ぎのメカニズム
「予測が予測内容の不成立を招くという関係は「自己実現的予言」と逆の現象「自滅的予言」と呼んだ」

p149 クリティカル・マス(臨界質量)という考え方
「個人の行動が、他者のそれに強く連動している場合、集団全体の動きを示すパラメーターがある閾値を超えると、全体が突如異なった局面に突入する場合がある」
「 1国経済の各部門が、いずれもその部門だけでは工業化の採算が取れない場合でも、その経済のほかのオークの部門が同時に工業化すればすべてをする方向へ動く現象を説明する「ビッグ・プッシュ」理論」

p152 相互依存のない状況で、ささやかな好悪が極端な結果を生むケース
「個人個人のささやかな好み・選択が、集計されたマクロの現象として驚くべき極端な結果をもたらすというケースがある」

p158 優れた理論家の犯しがちな過ち
「社会科学はその理論構造が堅固であればあるほど、その政策的な適用には注意が必要だ」
「複雑な経済現象を理解するためには、「事実」と「人びとが事実だと信じていること」の把握と論理的に(つまり筋道を立てて)考える力が必要だ」

p163 第5章 歴史は重要だ
「ある事物が(個人、社会制度はもちろん、慣習も)現在そのような仕方であることは、過去の多数のできごとや時間の経過が作用した結果と考えられる」
「現在のあり方を理解し、変えようとする場合、その変革が真の「改善」をもたらすためには、過去に影響を与えてきた多数のファクターを知る必要がある」

p166 範囲が一般化を避ける
「歴史を知れば、範囲が一般化の危険を避けられるということだ」

p168 日本は終身雇用?
ここではデータの重要性について書かれてある。日本は終身雇用だとよく言われるが。歴史的には、短期で転職する人は増減している。

p176 経路依存性について
「物事や制度の歴史的な側面を充分に学んでいないと、観察結果を非歴史的に一般化してしまい、検証できないような「命題」を蔓延させることになる。こうした悪弊に陥らないためにも、現在の問題を現代の観察事実とデータだけから説明してしまうことには慎重でなければならない」
「変化には「初期条件」だけでなく、ある種コントロールのできない「攪乱(perturbation)」が存在し、両者が後の経路(path)を規定している点を強調するという考えが注目を集め始めている」
「過去が現在を形作っているという考えには、大きく分けると2つのタイプがある。 1つは、過去のある要素が、現在でも物事や体制を規定していると合理的に理解しようとするケース、もう1つは、過去の要素がもはや重要な働きを持たないにも関わらず、現在の状況や精度が、過去の経験や事象に規定(拘束)されてしまっているケースである」

p179 初期条件とかく乱要因
「(1)攪乱があった場合となかった場合を比較するケース、(2)異なる攪乱が加わったケース、さらに(3)かく乱の性格はどのケースも変わらないが、初期条件の違いによって異なる結果が生まれる場合、を区別する」
ダイアモンドらの著作に触れ、
「これらの「自然実験」は社会体制が1つの均衡点に向かって修練するのでなく、それぞれに加えられていく内的・外的条件によって別々の結果がもたらされていることを示す事例である」

p186 それでも残る問題点
「その社会が場所の選択がランダムになされたものではないとすれば、それらがなぜ選択されたのかという点には積極的な説明が必要である」

p188 3 証拠の客観性をめぐって
1つの均衡点には収束しない
「歴史的偶然―その多くは「小さな偶然」なのだが―の存在により、動的なプロセスは必ずしも1つの点に収束することはない」
タイプライターの配列が決まった理由を例に

p191 個別事例研究と法則定立科学
「社会研究において初期条件や攪乱を含めた歴史的要素を重視するのか、あるいはより一般的な合理的理解が可能な普遍的命題を求めるのか、という学問探求の姿勢の違いは、しばしば「方法論を問う」という形で論争されてきた」

p195 証拠(evidence)をめぐるビデオと公共政策の違い
「治療の場合は、患者の治療という点では医師と患者の目指すところ(利益)は一致している。そのためいかなる治療を選択するのかについて、「目標価値」の不一致はほとんどの場合ない。しかし公共政策においては利害関係者の目標が一致しないことが多い。」
「EBEP によって問題が解決するわけではない」
EBEP:証拠に基づく経済政策

p197 説明責任(accountability)とは
「公共政策の場合、ある政策を採択する根拠としてEBEPあ重要な役割を果たすようになるのは、採択された制作の財源が主として税金で賄われるため、その説明責任(accountability)が必要となるからである」

p198 客観性(objectivity)について
「政策論に関しては、「こちらの政策よりあちらの政策」というように、選択が問題となるとき、そこに何らかの規範性が持ち込まれることは避けられない。 だが経済学の場合、
規範性、あるいは価値の上下関係の判断について無自覚になりがちなことは否めない」
ウェーバーの言う価値自由とは「自分の視点・立脚点を明確に意識しつつ、価値観を持ちながらもそれに囚われずに、自由に見ることなのだ」
「経験的事実として「そうあること(Sein)」と、先験的原理に基づいて「こうあるべき事(Sollen)」の原理的区別を強調している」

第6章 社会研究とリベラルデモクラシー
p203 「科学の政治化」という問題
「科学に価値の選択の問題が入り込むようになったのはなぜか。それは化学が生み出した知識のほとんどが実利性を持ち、その実利性が社会のすべての人々に均霑するとは限らないからだ」
ガリレオ裁判とルイセンコ論争の例

p206 月と雲の時代
「断言できること、確率的・統計的にしか言えないこと、あるいは全く謎でしかないことなど、我々の知識の確実性にはさまざまなレベルがある」
「自然科学の問題の立て方と分析方法に見せようとする努力には明晰さという点で大きなプラスの面があるが、同時に自然科学的な分析のフレームワークに乗せるために、数々の要素を削り落としてしまう点ではマイナス面がある。」
この点は自然科学においても同様である。モデルの単純さと現実への適用性は反することが多い。何を目的とするか(問題の立て方)によって、方法は変わる。

p208 限定と単純感があるという自覚
「論証する(verify)学と探求し(explore)続ける学があり、すべての問いかけを論証する、論理的に証明することだけが「学の本質」ではない」

p210 現代の科学も政治家されうる
「感染症や疫学の専門家が科学的な知見に基づく可能性や事実を明らかにするステップ、それをベースとしつつ、政治家対策を選び取るというステップを分けてしばしば語られた。確かにわかりやすい正論だが、 2つのステップはそれほど単純には分けられない。その最大の理由は、第1のステップ自体に、すでに不確実な情報が混入しているからだ。」

p213 ゼロリスクへの誘惑
ここは、市民の中にあるゼロリスクに直面して、いつも感じている点ではあるが、
「根本的な原因の原因の1つは、科学が「絶対的真理」というものにたどり着いていないところにある」という著者の見解には賛同できない。科学には「絶対的真理」はありえないので、たどり着くことはない。自然現象の不確実性を人間の脳が理解できないでいるのではないか。
「政治判断の混入をゼロにする事が事実上無理な場合、望ましい態度は、その「主張」の根拠を吟味し、できる限り全体のリスクが少ないと総合的に判断できる方向に舵を切らざるを得ないということだ」

p215 マーシャルの"Cool heads but warm hearts"
「問題に対して冷静に(「無私」の立場から)分析の刃を突きつけること、と同時に、その姿勢には他者への「共感」の気持ちが伴わなければならない」

2 競争の利点はどこにあるのか
p220 貧困問題との対峙
「信仰生活と経済生活は分断された「別の部屋」で営まれるものではない」

p223 競争を過度に重視してはならない
「人々が競争的になることは確かであるが、それは2次的な現象の一つであって、あらゆる種類の「共同と結合」に向かうこともあり、この「共同と結合」は、各人が慎重に考慮した結果、最適の行動だと判断する場合に生まれる」
競争の正の面:活力と自発性を与える
競争の負の面:「経済競争も行き過ぎると様々な(隠れされた)ルール違反が起こることがある」

p224 「摩擦のない世界」を想定する
「厚生経済学の第1定理は、この完全競争均衡が各財の存在量、生産技術、消費者の選好を所与とする限り、「どの個人の厚生(welfare)レベルも低下させないという条件のもとでは、もはや改善の余地がない状態」、すなわちパレード最適であることを示す」

p226 発見の装置としての競争―ハイエクの重要な指摘
「競争は、誰が1番優れているか、誰が1番上手にこなすということを予めすることが出来ない場合に有効な、「発見のための装置」」
「今日双和化学の実験のような性格を帯びた「発見のための手続き」」

3 「どうにか切り抜ける」ために
p230 感情の重要性―「同感」と社会秩序
「人間社会の成立やその秩序の起源として」 2つの考え方
「理性に基づく社会契約によって秩序が成立するとする「社会契約説」」
「人間の感情の一致が社会の安定的秩序をもたらす」

「社会研究に取り組むときに持つべき心構え、或いは研究対象と研究者との間の距離感覚について、この「同感」という概念から学ぶべき事ところは大きい」
「スミスの言う「同感」とは感情のレベルを、中立的な観察者が受け入れられるようなレベルに調節することによって生まれる、自己を他者の理解できる所へと導く感情なのである」

p233 政策論の対立か、感情の対立か
「政治家の対立は主張の内容そのものよりも、「感情的な好悪」「なんとなく虫がつかない」という、些末に見える狭量な感情に記入することも少なくない」

p233 一般的モデルではなく、特殊モデルが必要なこともある
歴史の「複雑さを、部分的であれ、解きほぐすひとつの道は、第2章で強調したように、比較することであろう」
「全く異質で類似点がないものは比較できない」
「理論を批判の対象としつつ、事実そのものに迫るという点で、日本研究や地域研究は重要な反例と成り得るのだ」

p238 社会問題を見つけ、研究するとは
「自分が通ったこと、知りたいことを徹底的に調べ、証拠を上げつつ筋道を立てて推論し、人を納得させる作業だ」
「価値判断がどこに入るのかをできる限り意識しつつ、分析と推論の構造を自覚する必要がある」
「数量化できない社会風土(mores)と呼ばれる歴史的堆積物や文化的環境を考慮しつつ、感情に押し流されることなく論証する(demonstrate)こと」

強調したい点「(1)重要なことは、何が問題なのかを見出し、同時代(contemporary)の社会が直面する問題・課題との関連も改めて問うべきだろう」
「(2)問題は、政治学、経済学、社会学といった1つの分野だけの学問で理解できるわけではない」
「(3)複雑で不確かな人間社会を対象とする社会研究の分野では、解決策は「パッチワーク」を重ねるほかないと言うケースが多い」

p241 リベラル・デモクラシーにおける社会研究
「「問題解決のための科学」としての社会研究」
「リベラル・デモクラシーを世界の基本理念とする限り、こうした「パッチワーク」でどうにかこうにか問題を「なんとか切り抜けていく(muddling through)」以外に道はない」



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